「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「秋の暮れ」

2015年10月31日 | 季節の移ろい・出来事

                

庭に小さなサザンカが植えてある。普通のアジサイと墨田の花火と言うアジサイに挟まれるように、ひっそり立っている。
文字通り小さな小さな小さなサザンカの木。
それが、目に染みるような純白の花を早くも咲かせた。「おや、もうサザンカの季節か・・・」と一人ごと。
あと2・3日もすれば、白い花びらを散らせ、根っこの周りだけに雪を降らせたような趣を見せてくれる。

気が付けば10月も今日で終わり。サザンカが咲いてもおかしくない季節となっている。
自分の勝手で、他に気を取られて、季節の微妙なうつろいに気が付くのが遅れただけの話なのかも。

   “ この道や行く人なしに秋の暮れ ”     芭蕉

秋の暮れか~。  ・・・ ・・・いずくもおなじ秋の夕暮れ、の暮れとは意味が異なるようだ。
今まさに秋が暮れようとしている、晩秋の今を詠んでいるのであろうか。もっと深読みをすれば、人の一生の終わりの近さをも見通した心境なのかもしれない。

明日から11月の始まり。ということはもう、暦も残すところ2枚しかないということ。
格別どうこうというわけではないが、何かの節目をきっかけに、気持ちを改めよう、気合を入れ直そう・・・などと思ってはみる。
そんな意味では月が替わるのも一つの節目と捉えることは多い。 

節目をきっかけに運が向いてくるように、などと神頼みをするわけではないが、少し頭中を整理する時間のゆとりは欲しいな~。

 

コメント (4)
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