「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「梅一輪一輪ほどの・・・」

2012年03月11日 | 趣味・・エッセイ

 
   友の二階から眺める親水公園の梅の花        自画自賛

3月11日、14時46分。10回連続で吹鳴されるサイレンに合わせて黙祷。
改めて、自然の猛威と恐怖に思いを致し、心から哀悼の意を捧げた。
永遠に忘れることはない東日本大震災。一年たった今もなお、大きく開いた傷口は閉じるどころか、大きな大きな後遺症として多くの人を悩まし続けている。
梅一輪、一輪ほどの暖かさと言われるように、今年も遅咲きではあったが一輪ずつほころぶことで春を招き寄せてはいる。しかし、被災地東北地方では、梅は咲いてもまだまだ本当の春到来など思いもよらないことなのだろう。
今までも、これから先も、自分に出来る支援の手を差し伸べることを忘れはしない。

ここにも一輪ずつ開いて、小さな春を見つけた気分に浴している男がいる。
自分で勝手に始めた趣味の世界での出来ごとなので、別に自慢するほどのことでもなく、他の人から賞賛を浴びようとも思わないが、思わず笑みがこぼれる嬉しさはある。
人前で名前を呼ばれ、賞状を押し頂くなどはもう忘れた感覚である。
これまでに他の人のそういった晴れがましい席に拍手要因として欠かさず出席してきた。その都度「いずれは自分もあの席に・・・」という程度の感覚は持っていたと思う。それが、図らずも今回その晴れがましい席に座らせて頂いた。
たとえその出来栄えが大した事はなくても、こちらは精一杯書くだけ。選ぶのは向こう任せ。一旦投稿したからにはこちらはまな板の鯉。言ってみれば、嫁に行った晩の娘の心境、好きなようにして・・・かな。

何はともあれワンステップ踏んだことに違いはない。
しかしまだまだ上がある。到底手が届きはしないだろう領域がある。そうは言ってもやってみなけりゃ分らない。ヒョウタンから駒が出ることだってないわけではない。
ただその時には、自分自身はもとより、誰からも認められる納得のいく内容になるよう切磋琢磨していくことかな。
でも考えてみれば、誰からも認められることを求めること自体思い上がりなのかもしれないね。所詮人それぞれに見方がある。となると、やはり最終的には自分自身が如何に納得できるか、そこが問題だ。やはりややこしい世界ではある。
もっともっと広い世界にも目を向けて行かなくっちゃね・・・。

コメント (17)
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