怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

インサイド

2007-06-11 21:28:57 | 教育
ブログで教育の話題を書いていて、いつも気になるのがインサイドの問題。

インサイドの問題をインサイドの人間が語るのは偏りがあるし、一般に受け入れられない部分があり、ひいてはインサイドの信用を落とすことになりかねない。
そういう論理。

でも、そうだろうか?
インサイドを理解するための一つの材料になれば、それはそれで活きるのではないだろうか?

「当事者が絡んでいるから信用を落とす」はその通りだが、当事者も含めて考えていかないから自浄作用が働かないというのも理屈だと思う。
(どっかの保守政党なんてそのいい例)

「信頼関係」というのは、インサイドとアウトサイドの境界に目を向けさせることからしか始まらないと思う。
そう強気でいる今日。

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ただ、私は戦線を離脱気味であるのは認める。
匿名であるし、私に関わる当事者からの発言をセーブしようとしているし・・・。

でも、生き抜かなければね。

つっこみ力(筑摩書房)パオロ・マッツァリーノ2007.02

2007-06-11 21:20:48 | 教育書
的確な指摘は同朋ゆーじさんサイト「華氏451度」内の日記にゆずるとして、読んでいない人にはわからんことをメモリーしておく。

ゆーじさんの紹介を読んですぐに購入し読んだのだが、個人記録的には新書の中でも一二を争うほどの読み流しのしやすさだ。

この本のメインは前半。
「つっこみ力」の説明というか、必要性、合理性(?)を説いているところ。

個人的には社会学的なものへのアイロニーと社会学そのものへの私的な愛がこめられているように感じた。
それはそれでとても批判的な文で興味深かった。

無意味なものからくる圧力への対抗を軽やかに論じているようだけれども、趣味性の有意味にとらわれている気はする。
納得できるようで、共感までいかなかった。

特に後段の各論的な部分は自閉しているような気がする。
それは論理の一般受けとしての狭さを滲ませる結果になってはいないだろうか・・・。

たぶん、今後の展開はない。

以上を「つまんない」と書いたつもりはない。
著者は一流のエンタメの心得をもっており、読み流すスピードさながらの文章の書きっぷりとネタの豊かさをもっている。
社会学を楽しみたい人にはかっこうの書であると思う。

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以下、ローカルで極めて私的なメモリー。

この著者名には大学時代の知人のT氏が言い出したことを思い出す。
私の前に住んでいたアパートの近くに、「ニューセニョール」というスナックがあった。

Tと彼の悪友(私のでもある)タッキーが酔っぱらって言うには、
「なんでセニョールなのか?こんな辺鄙な場所でセニュールはないだろう。」
(「別に目立ちたいだけでないか?スナックの名前なんてインパクト勝負だろうに。」と地元人の私。)
「いや、それよりも、なんでニューなのか?オールドのセニョールが以前あったのか?」
(「知らないよ」とフォローにならないが、私。)
「それよりももっとおかしい。なんで方や英語なのか?」
(「・・・。」黙って酔っぱらいの勢いに顰蹙する私。)
以後、「ニューセニョール」の連呼。
(「なんなんだこの酔っぱらい。」って、酔っぱらいってそういうもんだ。仕方ない。)

しょうもないことを思い出したものだ。