ブログで教育の話題を書いていて、いつも気になるのがインサイドの問題。
インサイドの問題をインサイドの人間が語るのは偏りがあるし、一般に受け入れられない部分があり、ひいてはインサイドの信用を落とすことになりかねない。
そういう論理。
でも、そうだろうか?
インサイドを理解するための一つの材料になれば、それはそれで活きるのではないだろうか?
「当事者が絡んでいるから信用を落とす」はその通りだが、当事者も含めて考えていかないから自浄作用が働かないというのも理屈だと思う。
(どっかの保守政党なんてそのいい例)
「信頼関係」というのは、インサイドとアウトサイドの境界に目を向けさせることからしか始まらないと思う。
そう強気でいる今日。
ただ、私は戦線を離脱気味であるのは認める。
匿名であるし、私に関わる当事者からの発言をセーブしようとしているし・・・。
でも、生き抜かなければね。
インサイドの問題をインサイドの人間が語るのは偏りがあるし、一般に受け入れられない部分があり、ひいてはインサイドの信用を落とすことになりかねない。
そういう論理。
でも、そうだろうか?
インサイドを理解するための一つの材料になれば、それはそれで活きるのではないだろうか?
「当事者が絡んでいるから信用を落とす」はその通りだが、当事者も含めて考えていかないから自浄作用が働かないというのも理屈だと思う。
(どっかの保守政党なんてそのいい例)
「信頼関係」というのは、インサイドとアウトサイドの境界に目を向けさせることからしか始まらないと思う。
そう強気でいる今日。
ただ、私は戦線を離脱気味であるのは認める。
匿名であるし、私に関わる当事者からの発言をセーブしようとしているし・・・。
でも、生き抜かなければね。