怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

なんで地方紙のみ?

2007-06-06 12:51:57 | ニュースから
当事者による発信、具体的な行動というのは、その成否に関わらず大事だし、守られるべきだと思う。
ましてや今消え行く歴史の痕跡が、ゆがめられたイズムと不当な力に対抗しようとするかどうかというときであれば、なおさらだろう。

当事者になんのことわりもなしに「検定」というのはおこなわれるし、それは恐ろしいことだということも教えてくれる。

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教科書検定に18議会が異議 意見書可決 自民県議団に賛同要請も(西日本新聞) - goo ニュース2007年6月6日(水)10:10
 来年度から使う高校歴史教科書の検定で、文部科学省が「沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制した」とする記述に修正を求める意見を付けたことに対し、沖縄県内で異議申し立ての動きが広がっている。5日までに検定意見の撤回を求める意見書を可決した議会は、41市町村のうち18市町村を数え、9日には文科省に抗議する5000人規模の集会が那覇市で予定されている。

 集会を主催するのは、沖縄県高教組、沖縄平和運動センター、野党各党など県内の63団体でつくる「沖縄戦の歴史歪曲(わいきょく)を許さない県民大会実行委員会」。呼び掛け人代表の高嶋伸欣・琉球大教授、松田寛・県高教組委員長らが5日、沖縄県庁で記者会見した。

 実行委によると、「集団自決」について日本軍の命令、強制、誘導などの表現が削除されたことに対し、5月14日の豊見城市を皮切りに、集団自決で多数が犠牲になった座間味村、那覇市などの議会が撤回を求める意見書を全会一致で可決。沖縄戦終結の地である糸満市の市議会は「体験者による数多くの証言や歴史的事実を否定しようとするもの」と厳しく批判した。

 沖縄戦をめぐる教科書検定では、1982年に「日本軍による住民虐殺」の記述が削除されたが、沖縄県議会が復活を求める意見書を全会一致で可決し、翌年以降の検定で復活したことがある。

 だが、今回は最大会派の自民党県議団が「裁判で係争中」などを理由に慎重姿勢。意見書は全会一致が原則のため、県議会での可決は厳しい情勢という。実行委は6日、自民党県連に意見書に賛同するよう要望する。

 松田委員長は「82年のように超党派で文科省に撤回を求め、それを県民が支えたい」と強調。高嶋教授は「教科書は見本の段階で、まだ元に戻せる。県民が声を上げ続けることが必要だ」と語った。


=2007/06/06付 西日本新聞朝刊=

木造校舎の写真集

2007-06-06 06:42:33 | 戯言
趣味と一言で断じる世界もあるだろう。

けれど、観てみたいと思わせる深さはある。
私は単純に「いいな」と思ったのでメモリーする。
私はまさに校舎が職場だから、そう思うのかもしれない。

木造校舎をレトロと捉えるのか、当時のすばらしい技術の粋の一つと捉えるのか。
それだけでも違ってくると思う。

木造だけではない。現在もそういった視点はアリだ。
子どもが関わる公共施設の設計というのは、実はいろいろな配慮、ノウハウがある。

ときに、そういうことを知らない業者が関わった建物は、使い難く、本来の機能を活かしきれない。
そうなると、この写真集のテーマの一つになっているだろう「温もり」(使われた跡)は残らない。

建物は静かに息づいているものなのかもしれない。

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木造校舎を訪ね歩き30年 小学校教頭が写真集(朝日新聞) - goo ニュース2007年6月5日(火)19:32
 北海道から鹿児島まで、全国の木造校舎を30年近くかけて訪ね歩いた埼玉県草加市の小学校教頭、中島清治さん(60)が、約800校の写真を収めた「温(ぬく)もりの学舎(まなびや)」を出版した。すでに半数の校舎は取り壊されており、貴重な記録になっている。

 中島さんが木造校舎の撮影を始めたのは27年前。のめり込んだきっかけは83年、母校の草加小に赴任し、校舎の歴史を児童と調べたことだった。
 校舎は、当時の学校建築の第一人者で草加出身の故・大川勇さんの設計だった。大川さん設計の木造校舎が関東一円にあると知り、木造校舎を訪ね歩くようになった。

 各地の教育委員会に電話をかけ、校舎のある場所を地図に落としては週末、カメラ片手に回った。写真はカラーとモノクロで撮影。夏休みと冬休みには飛行機で遠方に出かけた。木造校舎の多くは山間部や離島にあり、車の中で寝泊まりしたことも数え切れない。

 何度となく訪れた校舎もある。埼玉県秩父市にあった浦山小はその一つだ。道に迷い、地元のお年寄りに案内してもらった。そこで、親子3代が学んだ学校が近く閉校になるという話を聞いた。

 「100年近く続いた地域の中心の学校。季節ごとの姿を記録に残したい」と桜の季節、雪の季節と訪ねた。素朴な校舎が、季節ごとに違う表情を見せることに感動した。ある時訪ねると更地に。「何とも言えない寂しさを感じました」

 木造と鉄筋の比率が逆転したのは72年。地震、火事など災害に強い鉄筋へと移り変わっていった。

 これまでにも埼玉や関東甲信越地方の校舎をまとめた写真集を出したことがあるが、今回は、中島さんが訪ね歩いた1千校のうち明治、大正、昭和初期に建てられたものを中心に全国の約800校を収録した。中島さんは「木造校舎には同じものが一つもない。職人の思い入れや大正、昭和初期の人々の学校教育への意気込みを感じてほしい」と話している。

 1冊8500円(税別)。問い合わせは国書刊行会(03・5970・7421)へ。