怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

遅いんじゃない?

2007-06-22 03:19:12 | ニュースから
今頃になって声明じゃねぇ。
運動しなよ。
教員、保護者へ調査するとか、いろいろデータも集めるべきでしょう。

そういうことなら少しはつき合うからさ。
こういう突っ込みも遅いか・・・と自分突っ込み。

にほんブログ村 教育ブログへ

日弁連、日教組などが声明 教育関連3法(朝日新聞) - goo ニュース2007年6月20日(水)18:51
 日本弁護士連合会は教育関連3法の成立について20日、「国の教育内容統制を進行させることになるおそれが極めて高い」「教育現場での思想信条の自由、教育を受ける権利が侵害されることのないよう強く求める」という声明を出した。

 全日本教職員組合(全教)は「国家による教育支配を強めようとするもの」と抗議。日本教職員組合(日教組)も19日の委員会採決について「与党が数の力で強行採決したことに断固抗議する」との声明を発表した。

もっとも身近な環境問題の一つ「ゴミ問題」

2007-06-22 02:30:32 | ニュースから
道徳の教材化ができそうな話題だ。
公徳心かな?

冗談はさておき、東京都のゴミ問題は深刻度を日々増している。
ただ、その意識向上や強化策は冗談かと思えるようなことも多い。

例えば、
「ゴミを減らそう」というような呼びかけを、どう考えてもゴミになるような壊れやすいのぼり旗で作って公共施設にばらまくとか・・・。
(そんなに立てる場所もない場合が多い。)
家庭数で配布してくださいとしょっちゅう同じようなパンフ、チラシを学校にもってくるとか・・・。(家庭ゴミを増やしてどうする。)

一方で、府中市の例のように、致し方ない事例に出くわすと、うなってしまうのだが・・・。

にほんブログ村 教育ブログへ

東京・府中市がダストボックス廃止、“越境投棄”に音上げ(読売新聞) - goo ニュース2007年6月21日(木)21:38
 家庭ごみを街角でいつでも捨てられる「ダストボックス」方式のごみ収集を全国に先駆けて始めた東京都府中市は21日、同方式の廃止を決めた。

 ダストボックスを全国の自治体で唯一置き続けてきた府中市は、市外の住民による“越境投棄”で、年間3億円もの余分な支出を強いられるなど、悩まされ続けてきた。野口忠直市長は「ごみ減量を進めるにはやむを得ないと判断した」としている。今年度中は現行方式での収集を続けるという。

 同市が1967年導入したダストボックスは、可燃用と不燃用に分かれた金属製の箱。街の美観を損なわず、衛生的なことに加え、曜日や時間を問わず、「365日、24時間ごみを出せる」と、市民に好評だった。

産經新聞の偏り例

2007-06-22 00:36:01 | ニュースから
ちょっと同じ系統のニュースが並んでしまったけれど、さすがに産経、偏り方が半端じゃない。
めちゃくちゃ誤解というか曲解の嵐。
つっこんでみたくなってしまった。

>現在の教員組織は校長、教頭といった一部の管理職と一般教員から成る「なべぶた型」。

都ではすでにピラミッド。
だから実害がすでに見えている。

>教育現場では近年、いじめや保護者のクレームへの対応など通常の授業以外の業務が増大傾向にある。
>こうした業務に対処するには、校長の強いリーダーシップのもと、学校側の組織的対応が必要だが、校長を支える態勢は十分ではない。
>校長を補佐する教頭も、昨年度の残業時間が一般教員より1日平均1時間多く、いま以上の仕事量を求めるのは困難だ。

そういう経緯(クレーマー対策や業務増大対策)でこういった組織体制になったかのような書きっぷりだが、全然違う。
単に上意下達をやりたいだけ。

>中間管理職的立場となる主幹の配置を規定。導入されれば教頭の負担が軽減

これは事実だが、教頭の仕事を端に学担をもつ多忙だが管理職志向のある教諭におっかぶせているのが実態の一端。
うまい主幹は更に下におっかぶせる。
民間でそんなことをしたら業務が空転したり、形骸化したりしないかい?
何かの改善になるのかい?と詰ってやりたい気分だ。

>管理職が外部折衝を受け持ち、一般教員が授業や子供の指導に専念することで、教育内容の充実が期待できる」(中教審委員の田村哲夫・渋谷教育学園理事長)と指摘する。

今まではそうでなかったかのような言い方だなぁ。
感触として全然違う。

>「対外的に学校代表という印象が高まり、職員のやる気を引き出した」(都教育委員会)という。

こういうのを我田引水とか自画自賛というのではないのか?
信用できるような(したような)口っぷりは産経新聞ならではの事実確認。

>年収は一般教員と比べ25万円程度しか増えないという待遇への不満もある。

もっと金を出せば集まるとでもいうのか?

>このため都教委では、今年度から受験年齢を2歳引き下げ36歳とし、待遇改善にも乗り出している。

青田買いという言い方の方が正しい。

>小規模校の教師からは「管理職より一般教員をもっと増やしてほしい」という声も出ている。

小規模校のコメントだけは採用されたようだ。
偏り方は尋常ではない。

にほんブログ村 教育ブログへ

校長支える学校組織期待 教育3法 「副校長」「主幹」配置(産経新聞) - goo ニュース2007年6月21日(木)02:35

 教育改革関連3法が20日、成立した。このうち改正学校教育法では学校側が、教頭より権限の強い「副校長」と、中間管理職的な立場となる「主幹」を配置できるよう規定された。現在の教員組織は校長、教頭といった一部の管理職と一般教員から成る「なべぶた型」。これが副校長、主幹の配置によって「ピラミッド型」に転換され、「校長のリーダーシップを支えられるようになる」と関係者は期待を寄せている。
 教育現場では近年、いじめや保護者のクレームへの対応など通常の授業以外の業務が増大傾向にある。こうした業務に対処するには、校長の強いリーダーシップのもと、学校側の組織的対応が必要だが、校長を支える態勢は十分ではない。校長を補佐する教頭も、昨年度の残業時間が一般教員より1日平均1時間多く、いま以上の仕事量を求めるのは困難だ。

 こうした現状を踏まえ、改正学校教育法では、学校側に教頭より権限が大きい副校長や中間管理職的立場となる主幹の配置を規定。導入されれば教頭の負担が軽減されるほか、「管理職が外部折衝を受け持ち、一般教員が授業や子供の指導に専念することで、教育内容の充実が期待できる」(中教審委員の田村哲夫・渋谷教育学園理事長)と指摘する。

 すでに副校長、主幹制度を導入している東京都では、副校長の仕事は教頭とほとんど変わらないものの「対外的に学校代表という印象が高まり、職員のやる気を引き出した」(都教育委員会)という。

 一方、選考試験に合格しなければならないうえ、38歳以上という受験年齢のある主幹は人材難だ。都内で全公立学校に複数配置するには約6100人が必要だが、これまでに配置されたのは4200人余り。校務も兼ねて多忙になるが、年収は一般教員と比べ25万円程度しか増えないという待遇への不満もある。このため都教委では、今年度から受験年齢を2歳引き下げ36歳とし、待遇改善にも乗り出している。

 ただ、副校長、主幹の配置が全国的な広がりをみせるかどうかは不透明だ。小規模校の教師からは「管理職より一般教員をもっと増やしてほしい」という声も出ている。

言っていた通り、学校は英語教室の食い物の一つ

2007-06-21 23:37:00 | ニュースから
この分じゃ余罪もあるのじゃないかな?

特にNOVA関係の落札は、私的にはいろいろ噂にはなっていた。

きちんと清算できるのかな?
教委さん方。


にほんブログ村 教育ブログへ

大阪市教委の派遣事業、NOVAが予定価格と同額で落札(読売新聞) - goo ニュース2007年6月21日(木)14:45
 大阪市教育委員会が昨春実施した市立中学校などへの外国語指導助手(ALT)派遣事業の公募型指名競争入札で、英会話学校最大手の「NOVA」(統括本部・大阪市)が非公開の予定価格(5485万200円)と同額で落札していたことがわかった。

 担当者は「まったくの偶然」としているが、百円単位まで一致するのは不自然で、市教委は予定価格が漏れていた可能性があるとみて調査する方針。市教委によると、市立中など116校に関する入札は昨年3月17日に1回目が実施された。同社を含む3社が参加したが、応札価格が予定価格を超え、不調に終わった。4月11日に予定価格を上げて2回目の入札があり、1回目に参加した同社を含む2社と新たな1社の計3社が応札、同社が予定価格と同額の5485万200円で落札した。

氷がとける

2007-06-21 07:08:50 | ニュースから
北極の氷がとけている。
そんなニュースをテレビでみた。

もとにかえるには相当の時間がかかりそうなほど事態が進攻しているという学者のコメントがあった。

あまり人類の先行きに明るいものを感じるほど楽天的な人間ではない(どちらかというとネクラ)ので、かなりやられているんだなと感じて目をそらしてしまった。
こういったことも政治力なのだろうか?とも・・・。

エコロジーだとかリサイクルだとかいうけれど、それらは延命措置で、我々の使っているエネルギーの総体がそうそう大きく変わらないという意味で根治できない環境問題。
増大する何かを止めるのか、緩めるのか、放っておくのか。

最近の暑さとともにやりきれない問題が見え見えで不快は不快だ。

にほんブログ村 教育ブログへ

やった者勝ちの小学校英語

2007-06-21 07:02:51 | 教育
中学英語の側から、小学校での「英語」をやってくれという要求があった。
いくつかの学校から中学に生徒が集まったとき、小学校で「英語」をやっていてくれた方がいいのだそうだ。
つまりは自分たちの指導の都合上、「小学校では英語をやれ」あるいは「やるなら同じだけやってこい(上のレベルに合わせて)」ということだ。

小学校では「英語」の実施はばらばらである。
学期に1コマ程度の実施から、週に1コマ設定の学校、それ以上やっているところなどだ。

「慣れる」という意味では、時間数が多く設定されている方が利があるだろう。

問題はそれを中学側から要求して、小学校側が競争させられることだ。

小学校側は各学校の独立性、独自性をカリキュラムによって一つは成している。
英語は未だ方針が定まっていない部分が多く、導入しているところでも様々な課題を抱えているのが現状だ。

しかし、現実にはそういった要求がなされ、実施しろというプレッシャーがあり、そういう方針をまがいなりにも打ち出す現状がある。

「やった者勝ち」という理屈もまかり通っている。
既成のカリキュラムの突き崩しという面もある。
しかも、本来、影響を受け、時に迷惑を被る児童や保護者への説明責任は果たされていない。
未履修問題とも似ている部分がある。
(低学年では教科である生活科を切り崩して英語を導入する。そんな設定が解釈の仕方により可能なそうだ。)

小学校の英語の内容は、簡単に言えば「音声学習のみ」という偏りがある。
中学校とのカリキュラムの連動が確認されているわけではない。

小学校の英語は中学校の英語のためにやるものになっていくのだなと、異常性を感じながら嫌らしいことだと思った。

所詮、どこかの鼻息の荒い校長が「うちは英語で保護者の信用を買う。」と言っているだけにも聞こえるのだ。
出汁にされても「うちの子どもが英語を習えるなんてラッキー。」と言っている保護者は、学校教育だとか他人の子どものことなんて考えもしないのだろう。(当然か・・・。)

たいした実効性も感じられないので、「結局、頭打ちの英語。つまらなくなっていくだろう。」とぼやいてみたくもなる。
こちらは疲れないように付き合いたい。

あくまでも事務的に行い、責任を果たしたよと言える程度にやりすごしたい。
子どもには悪いが、すでにそういう段階に教員たちのレベルは入ったと思う。
少なくとも私はそうやって軽重をつけて生き抜くつもり。

にほんブログ村 教育ブログへ

教育三法成立

2007-06-21 06:46:18 | ニュースから
教育改悪の具体化を狙った三法が成立した。

新聞各紙は予算面の裏付けや、人的課題をあげているが、問題はそれだけにとどまらないだろう。

日本は教育の事務手続き化へ舵を切ったのだが、現場は相変わらず子どものために骨身を惜しまない対応をする者があとをたたないだろう。

教員同士の格差を抱えるようになった現場では、すでに分断(よくいえば役割分担というのか?)が行われ、尾木氏などの言葉を拡大して用いれば「企業ごっこ」をしているのだ。

企業体質で望めば教育は荒廃する。
なぜなら「顧客」(=児童?保護者?)を常に満足させるようなことは不可能であるし、そんなことは教育の目的に照らして不都合だからだ。

あるいは管理職や教委などが統括した強権的な上意下達を成立させた場合、教員は自立して行動するプロとしての規範を失い、責任を放棄した教育活動を行うからだ。

目標達成のためにはどんなことでも行い、上司側のいうことに反駁しないで行動することがどのような教員を育てていくか、ほんの少しの想像力でわかることだろう。
(実は都ではそんな状況や人が増えているように思える。)

だから現場の(自立して考える)教員は直面する現実に更に苦しむ事になるだろう。

一方で、労働組合は実質機能したものがないのと同然だ。
日教組は信じられないくらい硬直した政治性しかもっていない。

こう書いてくるとお先真っ暗だが、切り返しは保護者との共同だろう。
しかし、下手に孤立して動けないところが悩みどころだ。

それからもう一つ、実践レベルでは自立的であるべきだ。
そこをつつかれない力が下支えになると信じる。

あくまでも馬鹿な施策にこれ以上つき合わされることがないように・・・。

にほんブログ村 教育ブログへ

教育3法成立 制度の具体化をぬかりなく(読売新聞) - goo ニュース

水泳指導

2007-06-20 23:18:21 | 教育
同志会のサークルに参加して勉強をしているつもりだったが、支部大会の宣伝を職員に行ったせいだろうか、水泳指導について管理職から問われた。
どのようにやっているのか?と。

私自身の水泳体験を話すと、私は未就学時から水泳をやっていた。
喘息児だった私の唯一といっていい運動経験だ。
(当時から水泳は湿度100%のため、埃などの肺への影響がほとんど心配ない全身運動として推奨されていた。)

最初は競泳のスイミングであったが、新体育連盟(現新スポーツ連盟)所属の水泳クラブに乗り換え、ドル平泳法や海での遠泳合宿などにも参加し、水の体験を自然に増やしてきた。
決定的だったのは水泳連盟関係の日本泳法の師範クラスの人たちとの交流だった。
「競泳」という縛りにとらわれずに、様々な水の関わりを学べたのは私が獲得した有意義な経験の一つだ。

引用が長くなったが、そういった経歴があるので、水泳指導についてはいろいろ学んできたところはあるし、一家言あるつもりだ。

管理職が言いたかったのは、「同志会」=「ドル平」でしょう?というイメージ。
まるで融通が利かないかのような疑いなのだと思う。

丁重に説明して、そうではないことを伝えた。
同志会というだけで、まるでなんでも反対で、現行の活動を全て勝手に変えていくというイメージでももっていたのだろうか?
ちょっとセンスを疑う話だった。

学校の年間カリキュラムや学年の連携を無視するような態度をやっていたら、だれにも理解されないことになるだろう。
それぐらいのことは考えているのに・・・。

民間教育団体への理解というのがない以上に、何か誤解を勝手にされている可能性というのは大きいような気がした。

にほんブログ村 教育ブログへ

水泳指導において、「自由時間」と呼ばれるものがある。
根を詰めて長時間の水泳指導をするのではなく、水に親しむ時間を設定してあげることで、心と身体の解放を水の特性を通して体験できる時間は大切だ。
多くの保護者がそういった時間を子どものときに体験し、知っているはずだ。

ところが、「自由時間」という名前が問題らしい。
その時に事故がおこったならば、「自由」という名前を冠したことを根拠に指導が行き届いていないと突かれるというのだ。

私は名称に特に問題があるとは思わない。
自由であるからこそ、教員も子ども達と水の中で戯れたり、個別指導したりができるのだ。

実態から離れて、そういったクレーム対応のようなことで名称が変更されるなどというのは不自然極まりない。
なんともはやな話だ。

このブログがいったん停止したわけ

2007-06-20 08:52:36 | 戯言
いずれ書かなければならないなと感じていたのですが、一応、今の言葉でここに記します。

第一に、当時の精神状況が悪かった事。
すでに病的なのはわかっているので、自分自身に対してセーブをかける意味があった。
当時は、治療に集中する意味で、本気でやめるつもりでいた。

第二に、私事でいろいろあってつらかったこと。
これは上手に書けないのでここまで。

第三に、ブログを始めたころと比べ、ずいぶん濃い内容になってきたこと。
これは身の危険を感じたし、こうやってテキストとして仕事の話を残す事に躊躇するようになったこと。
また、そのこと自体がストレスになったこと。
教員という身分を明かしながら、自分の周囲にことを記述していくのは、実は疑心暗鬼の元。
恐怖と背中合わせだということ。
このディープになる実態から逃げようと思った。

第四。自分の表現の限界を感じたこと。
うまく書けない。
というか、この時期、自分の文章が嫌いになった。
おそらくブログというものがスクエアに思えたからだろう。

第五。この手のブログが増えてきた事。
あまり独自に言いたいことがなくなったと感じたこと。
同じようなことをいっていても、共同するわけではないし、できた対話は迎合的な感じがして嫌だった。
白河氏との対話はそれに反して刺激的ではあった。

第六。つながりがストレスに感じたこと。
これはまた表現し難い。
とにかくストレスに感じることが増えて、なんでもストレスを覚えるようになったとは言える。
ダウンスパイラル。

どの理由も有機的に絡み、にっちもさっちもいかない自分を感じ、心機一転という気持ちよりも、すっぱり世界から足を洗うかどうかを迷った。
少なくともブログ生活から離れるべきだと強く感じ、更新を手始めにやめる宣言をした。
自縛し、それがなくても不自由はしなかった生活を取り戻したかった。

復活したのは、そういったこんがらがった自分をそのまま受け入れる余裕をもてる外的要因と、それでも書かずにおれないという内的要因としての欲求があったからだ。
ましてや教育に関わる部分は日々大問題で、声をあげずにいること息苦しくてたまらなかったからだ。
でも、自分の役割ではないし、そういうものでもないとは強く感じている。

だから(という言い方はへんだが)、今でも「やめたい」という気持ちは残っている。
自分以外の自分か、自分と同じような発言のできるものが出てくるまではやめることはできないかもしれない。
でも、それは土台無理な話だということも分かっている。

これだけブログは増えても、どれも疑問の答えとは成り得ない。
答えはないのだろうが、共感するレベルさえ合わない。

もう一つ書いておきたい。
このブログの落としどころだ。
ブログを始めたなら、終わる責任もあるだろう。
はけ口として始まった部分があるから、はけ口として機能しなくなればよい。
飽きるまで、誰からの様々な形の要求もはねつけて書いてみる。
外的な要因もあって停止したならば、その要因が生んだ結果をはねのけて自分自身で納得して終えたい。

数字的に、アップ率を1日1回に戻したときが終わるメドの一つになるだろう。

ストップアベ

2007-06-19 19:12:41 | ニュースから
やはりこの首相のいうことは熱にうなされているとしか思えない。

結局「彼の言うところの愛国心」を強制したいために「教育現場を一新する」と読める。

彼は自分の思想信条をファシズムよろしく押し付けたいがため行動しているといえる。
教育再生会議はその急先鋒だ。

こんな政治の介入が教育現場にあるということは異常だ。
つまりは異常な愛国心はいらない。

彼の悪意の野望は打ち砕かれなければならない。

教育現場で問題になっているものを全て利用して思うがままにしようなんてたいへんな暴力だ。
「いじめ」問題さえ、彼の悪意の使い駒でしかない。
被害者には残念なことだ。

にほんブログ村 教育ブログへ

教育法案、参院で質疑 「教育現場を一新」と首相(共同通信) - goo ニュース2007年6月19日(火)11:53
 参院文教科学委員会は19日午前、教員免許更新制などを導入する政府の教育改革関連3法案に関し、安倍首相と伊吹文科相が出席して質疑を行った。首相は、教育改革を政権の最重要課題と位置付けていることに関し「公共の精神や地域、国を愛する心などを教えていかなければ日本は滅んでしまうのではないか。今こそ教育の再生、改革が必要だと信じる」と強調。「3法案成立により教育現場が一新されていくと確信する」と述べた。

ゴミを増やすな

2007-06-19 18:58:48 | 教育
耐水紙のランチョンマットだそうだ。
エコロジーじゃないね。

毎月19日は食育の日?
だれが決めたの?

食育をやると言い出した人はこんなことをやりたかったの?

我々の食文化が変わったのは、どこに原因があるのかを追究せずにこういう施策。
まただれかが儲けているのだろうな。

それにしても、またしても世田谷区か・・・。

にほんブログ村 教育ブログへ

食育ランチョンマット 世田谷区が配布(産経新聞) - goo ニュース

主任教諭

2007-06-19 18:53:34 | 教育
>中堅層の過半数を(主任教諭に)採用

教諭は主任と若手に分断されるわけね。
それが指導力向上に役に立つと・・・。

だれがどういう事例からそういう見通しを立てたのだろう。

では主任教諭って、どういうキャリアをもっているのだろう。
また、どういう仕事をこなすのだろう。

疑問はつきないが、「指導力」というものの捉え方がキャリアで決まるということをいっているのはわかる。
そういうことならば、10年、20年キャリアがある人たちを、現段階でどうして使えないのか?
また、指示系統を明確化して、上位の管理職や教委などの責任を下位は問えるのか?
多様なキャリア養成を否定しているとも思える。
教育を事務手続き化する一歩といったら飛躍なのだろうか?

やはり疑問はつきない。
都教委はたぶんだれも答えられないだろう。

にほんブログ村 教育ブログへ

「先生の指導役」新ポストを設置 都教育庁、来年度にも(朝日新聞) - goo ニュース2007年06月19日06時08分
 東京都教育庁は、公立学校で主幹職を補佐し、教諭の指導役になる新たな職を来年度にも設ける方針を固めた。「主任教諭」の名称にする方向で、ピラミッド化を進めて役割分担や指示系統を明確にし、指導力向上を図るという。新たな職の設置が可能になる学校教育法改正案が参院で審議中だが、先取りする形になる。

 同庁によると現在、都内の公立学校では教員は校長、副校長、主幹、教諭の4段階に分かれている。このうち全体の約85%を占める教諭を「主任教諭」と「教諭」に分けて5段階にし、主任教諭は給与を上げる。10年目程度の中堅層が対象で、若手の指導役として中堅層の過半数を採用する方針だ。

 団塊世代の退職期を迎えて指導役の教員の不足が見込まれることが背景にある。女性の管理職が少なく、多くの女性教員に指導的立場にたってもらう目的もあるという。

 このほか、校長のなかでも進学重点校や困難校など改革が必要な学校では、給与の高い「統括校長」も新設する。

 今後教育委員会の承認を得た上で、都の学校管理運営規則を改定する。区市町村にも規則改定を求める。8月には都人事委員会に給与制度改定を要望し、来年4月からの任用を目指す。

 教員の階層をめぐっては、政府の教育再生会議が「公立教員給与は評価を踏まえた体系にする」と第2次報告を首相に提出。「副校長、主幹教諭、指導教諭の三つの職を新設できる」とした学校教育法改正案が衆院で可決され、国が制度改正に動き出している。

 ただ、都は03年度、全国に先駆けて主幹を新設したが、負担が重く必要数の6割しか配置できていない実態もある。新ポスト導入に現場の教員からは「管理強化を進めるものだ」「教諭の分断化を図っている」と反対する声があがっている。同庁は「指導力向上が目的で管理強化ではない」としている。

校庭芝化

2007-06-19 18:39:48 | 教育
東京都では10年かけて全校の校庭を芝化するそうだ。

なんでも、目的はCO2削減。

ホントかよ。
(というか本気かよ?かな?)

課題は二つ。

一つは教育課程にのるかどうか。
それをカリキュラムのプロである教員に押し付けられると、どんなものができるのだろう。

もう一つは管理の問題。
地域の力を利用することや管理のシステムが楽なような芝を入れる、入れ方をするのが策だそうだ。

どちらにしても、また施策のてんこ盛り。
燃え尽きるヤツが出る前に、手抜き必至かな・・・。

授業で使うと芝が傷むのでやめてほしいなんてね・・・。
運動会の後の手入れはたいへんそう。

早く手を上げてくれるとバックアップしやすいと役所は言っているらしい。
つまり、「今ならお得」という実は先々どうなるかわからないという宣伝文句なのだ。

芝化に関して儲けている連中もいるようだ。
伸び盛りでいいね。ばかくさい。

環境に配慮するのなら、全校の屋上に緑を植えたり、校舎の垣根を全部緑化したり、風力や太陽エネルギーの設備でも備えたほうがよほど邪魔にならなくていい。

なんでもかんでも学校に押し付ける時代はもうやめよう。
押し付けたいのなら人と金をよこせ。

にほんブログ村 教育ブログへ

ちなみに70年代に芝化は流行、その9割が失敗し、無駄になったそうだ。
今は技術があるからできる、成功していると言っている人もいるが、それがどこでもできるというのならいい加減な話だ。

ずーっと書いてきて

2007-06-18 21:45:41 | 教育
もう教育に関しては語り尽くしたなんてことはいわないけれど、いいたい主張は言ったような気がする。
それでも、暴言の部分があることを承知で独白しておきたい。

よりよい教育活動、高度な教育活動を行うには、教員という身分・立場ではたいへんな困難があるということだ。
これは日本に限った話ではないだろうし今に始まったことではないだろう。
そんなのは当たり前のことなのだが、また一方で教員はそういったことにずっと耐えられるスーパーマンではない。
単なる人間だ。
だから等身大以上のものを求められ続けるともたないと思う。

そのたいへんさを理解しろといったところで素人さんは知ろうとなんてするわけがないし、そんな想像力はもっていないのが普通だろう。

いや、批難しているのではなく、それは歴然とした事実だろう。
これは他の職業に置き換えてみれば明らかだ。

結局、歩み寄ろうという気持ち、信頼しようという気持ちの問題なのだと思う。
教員、保護者、地域の繋がり、信頼関係なんてみんなそんなもんではないだろうか。
そういつも思う。

そこにこそ全ての可能性が内包しているとも、ずっとここで主張してきたつもりだ。

一番の外敵は、不当な介入を繰り返す経済的な背景をもった政治的な暴力だ。
そこには構造的なお役人の弊害や偏った思想信条の強権が氷壁のように存在している。

全ての政治的教育機関はゴミだ。
少なくともここ20年の教育施策は全て悪い。
ちっともよい方向を目指せない無能なものだ。
そんなところに期待をよせる人たちは、自分たちで行動しようという発想のない想像力を欠いた甘ったれだと思う。
(われながらひどい言い方だな・・・。)

今はそんな空転ばかりする言葉を大海の岸辺から小石を投げるように発しているだけ。
このブログもそんなぼやきコメントの集合体だ。

右翼にせよ、左翼にせよ、教育に全てをおっかぶせようという発想自体が悪だ。
それは常に社会性のある民主的な個を育てるときの邪魔になってきた。

そんな思想信条をこえて、教育に口出しをする経済界の動きなどはもっとゆるせない。

利潤しか目的にないヤツらに牛耳らせてはダメだ。彼らの口を封じなければダメだ。
そういった点から必要をうったえるナントカ会の会長だとかはダメなのだ。

今の労働組合もダメだ。

労働組合自体が横のつながりを失い、個人の参加を民主的に促すシステムをもたない時点で全然ダメだ。
日教組は早々に解体、再構築したほうがいい。

私は全てを否定しているのかもしれない。
それとは別に私は保守的だが過去の教育から学べともいっているつもりだ。
だからアナーキーな発言だとは自認しない。

またまとまらない。