「理科離れ」という単語の用い方(6/25)に書いていた記述に引用した記事がKOYASU先生のブログで書かれていた内容と少しかぶっていたのだが、KOYASU先生が、実は要望書の内容は違っていたと書いているのをみて、要望書をネットでDLしてみた。
確かに違った。
新聞というのはこういう間違いをするのだと再認識した。
気をつけなければ・・・。
日本学術会議の要望書は、私が危惧していた、
>「実質的な効果のある研修や教員の自主的な研鑽を引き出す機会を与えること。」
に対応しようというものであった。
ただ、心配は、最近決まった十年次の免許更新制度などとからめて矮小化されなければいいなということだ。
一方で、要望の第一に小学校高学年からの理科専科制をかかげている。
これは一面賛成だが、前任校が理科専科であったにもかかわらず、それほど理科の充実が図られていたかというとそうではない現実から、ソフト、ハードとわず、科学教育に関して、手立てを具体的に打っていかなければならないだろうとも思った。
そういった意味で、方針的なものの「よさ」には賛成したいけれど、現場の声を充分に反映したものとはいえないような気もする。
政治的な波を乗り越えて、理念として生き残ってほしいが、どこまでの声量をもちえるかは、現実的なすり合わせの支点の置き方だろうと感じた。
確かに違った。
新聞というのはこういう間違いをするのだと再認識した。
気をつけなければ・・・。
日本学術会議の要望書は、私が危惧していた、
>「実質的な効果のある研修や教員の自主的な研鑽を引き出す機会を与えること。」
に対応しようというものであった。
ただ、心配は、最近決まった十年次の免許更新制度などとからめて矮小化されなければいいなということだ。
一方で、要望の第一に小学校高学年からの理科専科制をかかげている。
これは一面賛成だが、前任校が理科専科であったにもかかわらず、それほど理科の充実が図られていたかというとそうではない現実から、ソフト、ハードとわず、科学教育に関して、手立てを具体的に打っていかなければならないだろうとも思った。
そういった意味で、方針的なものの「よさ」には賛成したいけれど、現場の声を充分に反映したものとはいえないような気もする。
政治的な波を乗り越えて、理念として生き残ってほしいが、どこまでの声量をもちえるかは、現実的なすり合わせの支点の置き方だろうと感じた。