怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

読み取り

2007-06-04 20:01:22 | 教育
1年生の国語で「読み」をはじめている。

まず文字を「書く」がネックになるので、発言を拾いあげている。

その中から、自分の意見を時間をとって書き取らせていく。

よく考えて、自分の言葉で書いてもいいよと伝えていると、発言内容とは異なったものも書いてくれる。

また、文字の整わない子は、自分の書ける範囲で書こうと努力してくれる。

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音読やなりきり(役割あて)を大事にしている。

ここはどんな場所?
気づいたことはあるかい?
○○さんがいたね。では○○さんはなんて言っている?
○○さんがそういったのだね。なんでそんなこといったのかな?
○○さんに対して、××さんはどう?

マイクを用意して、「○○さん。どうぞ。」

インタビューワーは机間を巡る。

拡大コピーした教科書の挿絵に書き込む。
それを教室に掲示する。

科学体験教室

2007-06-04 19:52:56 | ニュースから
この手のもの(時期ものの科学体験教室)を売りにする企業、団体、各種学校はけっこう増えてきた。

「地域にある工業高校で、夏休みに科学教室開催!」
とか、
「出前授業で教室へおじゃまします。」
など。

子ども達に対する「科学的なものにふれる体験」量は多いがいい。
それは肯定したい。

けれど、「科学する体験」(特にリテラシーの養成として)はできるのだろうか?
一過性のものだけに、それは難しい気がする。

「科学的な動機」があり、「科学的な試行錯誤」が育む強烈なプログラムというものが個々人に提供されるような機会はないだろうか?

「授業を出前します。」という売り文句などが胡散臭いのは、子どもの実態に合わせて、子どもの要求を引き出して、真に実感のある体験、継続的、系統的な見通しをもてる体験が期待できないかもしれないという不安の裏返しだと思う。

くりかえすが、自分で博物館へいく、科学館へいく、実験器具に触れるなどの体験を否定するつもりはない。
それをどうつなげていくかという視点が放り出されている気がするのだ。

科学ショー的なものはエンタメではあっても、そこからどういう道筋で科学へ向かうのかは示唆してくれはしない。
それを学問だからというのは教育的には根性主義でしかないと思う。
一方で、科学は知識の体系だからという静的な見方であれば、少しは納得するが、あまり胸をはっていえたものではないなと思う。

ちょっと話はとぶが、仮説実験授業が動的でないのは、リテラシーの部分に関してのよりどころが弱いからだと思う。

こう述べてきて、少し自信がないのは、理科教育、科学教育というのは私には難しいと感じていて、私が理系的なセンスに恵まれていないという自己評価の帰結があるからかもしれない。

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科学の面白さ知って 仙台のNPO、実験体験の場提供(河北新報) - goo ニュース2007年6月4日(月)15:00
 子どもたちに科学の面白さを教える体験教室を手掛けてきた仙台市のベンチャー企業の経営者らが、教室の内容充実と科学者への自由な研究の場の提供を目的に、NPO法人「ナチュラルサイエンス」を発足させた。設立を記念し、今月24日には研究者や親子連れが参加して実験体験型のサイエンスカフェを開催する。テーマは「魚はなぜ前に進めるのか」。

 5月下旬に設立した。青葉区の教育系情報技術(IT)企業「フィールド アンド ネットワーク」のメンバーが中心で、社長の遠藤理平さん(28)が代表を務める。

 同社は、遠藤さんが東北大大学院理学研究科に在籍中の2005年、同じ研究科の学生だった大草芳江さん(24)と設立し、研究生だった林叔克さん(31)が加わった。

 塾を紹介するホームページ制作が主業務だったが、子どもたちに自然観察を通じて知的好奇心を養ってもらおうと、体験教室も企画した。

 06年3月から今年2月まで7回開催し、毎回約10―30組の親子が参加した。夏は蒲生干潟で魚の群れを観察。冬は泉区のスキー場で人工的に雪の結晶をつくった。

 講師役は呼び掛けに応じた院生や研究者。林さんら研究者のグループは、魚が前に進む仕組みについて子どもたちが疑問を持ったのをきっかけに実験を続け、3月の日本物理学会で発表するなどの成果も挙げた。

 企業の形態より社会貢献活動への理解が得やすいことから、NPOに衣替えし、地域企業の協賛も募ることにした。
 今後は体験教室を続けるとともに、科学者が研究室から外に出て専門分野以外のテーマを扱う週末研究の場を提供する。

 企業から譲り受けた装置を用意し、場所も確保。科学が絡む時事問題をグループで研究してもらう。
 大草さんは「自然に触れると五感が反応し、好奇心や論理的思考力が養われる。将来は研究成果を提言にまとめ、生かしていきたい」と意義を強調する。

 理学博士号を持ち、活動に協力する永関浩樹さん(29)は「大人も子どもも絵やスポーツを楽しむように、科学に親しんでほしい」と話す。

 24日のカフェは午前10時、青葉区北目町のHSGビル「ファイブブリッジ」で開会。参加費500円。連絡先はナチュラルサイエンス022(721)2035。

夏の出張

2007-06-04 19:51:57 | 教育
同志会東京支部が夏の支部大会の日時と場所を発表した。

毎度ながら三鷹市教育委員会の後援をとりつけたが、今年度、これを出張と認めない不埒な校長はどれほど出るだろう。

そういう校長は公務員に求められている自己研鑽義務の達成を阻害しているので処分されてほしい。

今年は昨年以上に「一日参加もOK」を前面に出しているが、やっぱり二日でしょう!

初任者から三年目までの人には割引もできた。
うらやましい。
が、そんな阿呆な気持ちは横において、昨年以上にたくさんの人が参加することを期待したい。

書籍市も目玉なので、財布の紐をすぐにゆるめられるようにして行ったらいいと思う。

ちなみに、昨年は「たのしいスポーツ」の年間購読を申し込むと、その何倍もの額のおまけ(実践ビデオ集)がついてきた。

あとは天気だけが問題か・・・。
(外実践は雨がふるとできない・・・。)

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音楽回顧録「My Bloody Valentine」その1

2007-06-04 19:32:30 | 音楽
書いてしまうと尽きないだろう。

自分の人生を変えてしまったバンド。

たぶん、時間と金があって、人がいて、好きにバンド音楽をやっていいよといわれたら彼らのフォロワーになることは必至だろう。

ネオサイケデリックともいえる90年代の奇跡の金字塔。
アルバム「Loveless(邦題:愛なき世界)」

出会ったのはモラトリアムなフリーターの時期。
ある時期、たぶん寝ているとき以外はずっと聴いていた。
気持ちが悪くなって吐いても聴いていた。
完全に中毒だった。

ギターノイズの渦中に白昼夢を見ていた。
生活の中で、殺伐としていく気持ちをどこかで打ち消したかった。

パンクでもゴスでもアコでもしっくりこなかった。

全部の音を受け入れなければ真のメロは感じられないのだよと言っているような気がした。

それが現実のかすかなつながりでさえヒリヒリと偏執的に感じてしまう若さゆえの神経質を正面に捉えて行き詰るのではなく、総体的で包括的なものでも、感じるのは自分なのだというところから始められるといっているようで、リアルに感じた。

現実に聞こえてくる音楽は現実ではないという逆説的なものを美が乗り越えて雄弁に語り始めていた。

息継ぎのできない自分を揶揄するのではなく、そういう感覚を鳥瞰しつつそれが核心的な感覚だと肯定していく力を無意識に持つアイテムだった。

Kevin Shildsはそんなことを考えて創っちゃいない。
でも、感じてしまった自分を止めることはだれにもできない。

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これが産經新聞か?

2007-06-04 07:09:22 | ニュースから
>評価する声が相次いだ。
「やらせか?」と揶揄したい気持ちだ。
産經新聞の論調か?
こんなマスコミによる世論操作が許せるものか?!

だいたいにおいて、記事上でさえ、八木の言葉と和田の言葉のつながりがないのではないだろうか?
(それぞれの内容も今までの幼稚な発言の繰り返しだ。)

ましてや会場からの声はもっとずれている。

これを産經新聞は「評価の声」と言うのだから、表現の自由とはかくありきか?
ひどい冗談だ。センスがない。

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教育再生 安倍改革 「ゆとり」見直し 評価の声相次ぐ(産経新聞) - goo ニュース2007年6月3日(日)03:07
 政府の教育再生会議に提言する「教育再生民間タウンミーティング」が2日、新潟県三条市の中央公民館で開かれ、前日に公表された再生会議の第2次報告でゆとり教育見直しの具体策が示されたことなどを評価する声が相次いだ。
 地元の教育関係者や中高生の保護者ら約300人が参加。最初に日本教育再生機構の八木秀次理事長が、「第2次報告には土曜授業の復活や徳育の教科化など、タウンミーティングでの議論に基づいて再生会議に提言した内容が大きく反映された」と強調。今後も活発な議論を行い、年末の第3次報告に提言していく方針を示した。

 これを受け、パネリストとして参加した精神科医の和田秀樹・国際医療福祉大教授は「都会と地方との教育格差が問題。優れた学校をつくることで教育による町おこしをしたらどうか」と提案。

 会場からは「総合学習の時間が学校本来の教育活動を妨げている」「掃除の指導も重視すべきだ」との意見も上がった。

音楽回顧録「Peace Together(Island Record)」1993.07.20

2007-06-04 01:23:21 | 音楽
大好きなMy Bloody Valentine(以下マイブラ)の曲が入っているというだけで入手したブツ。
(私のマイブラコレクションは未完だが、レアなモノをいくつか所有しているのが自慢。)

けれど、コレクターズ・アイテムとしてだけではなく、いろいろ楽しみどころがある盤だ。

たぶん、U2、Lou Reed、Blur、Peter Gabriel、Van Morrisonなど、そうそうたるメンツを含むものなので、その手のコレクターズアイテムにもなっているだろう。

IRAの被害問題に対する声としての制作意図は、今となっては時代がかってしまっている。
We Are The Worldなど、その方面の流れに位置するアルバムでもあるが、それほど政治的なインパクトが日本に伝わったようには思えない。

ただ、ビッグネームを寄せ集めたのではなく、キャリアいろいろで混ざり合おうという点が個性とはいえる。
(これも後にこの手のものが増えていくので、今となっては個性的というほどでもない。)
Islandというレーベルが、そういったもろもろのカラーの基調を担っている点が興味深いといえばそうかも知れない。

意外な組み合わせや選曲、アレンジがあって、当時の音なのだが今でもそこそこ楽しめる。
我がマイブラもWe Have All the Time in the World(映画007の曲にしてサッチモが元歌)で美の一端を表現している。
他も「これは!」という曲があるけれど、あんまり書くとCD紹介になるのでこの辺で・・・。

また長ーい前フリになってしまった。

この盤の思い出は一つ!
「Mikiさん」だ。

私がマイブラの日本人による情報HPってないよなー。
マイナーだからやってもいいかな?
っと、恐れ知らずなHPを立ち上げたとき、ほぼ同時期にマイブラ情報をHPで流し始めた人が二人いた。

一人はMikiさん。もう一人はNobuyoさん。
どちらも関西方面の方だった。

後に、もうどうしようもないくらいその二人にはコンプレックスを抱いた。
兎に角表現といい知識といいかなうべくものはたいしてなかったからだ。

でも、二人とも温かくリンクをはってくれ、メールでの問い合わせにも誠実にこたえてくれた。

インターネットの黎明期を過ぎ、ネット人口が増えつつある牧歌的な時期だったせいもあるだろう。

さて、実は、このPeace Togetherは早々に廃盤になっていたので入手が困難だった。
Mikiさんは自分の地域を歩いてなかなか見つからないのを嘆いていた。

私は東京のレコ屋、中古レコ屋を情報の拠点としていたため、運良く早い時期にこれを入手していた。
そこでMikiさんへ思い切って差し出がましいメールで、東京で見かけたら入手して贈りますと約束したのだ。
都内のセコ屋を相当歩いていた(暇だったんだねぇ)私はすぐに見つけ出し送ったのだった。
彼はとても喜んでくれたのを覚えている。

他にも音楽関係ではネットでたくさんの思い出がある。

今は、なにかというとすぐにリッピングの申し出があるが、そういうのってつまらないなと思う。

音源を探すという行為も音楽の趣味の一つだった私には、一方的に消費するだけのデータとしての音楽は心に残らない気がする。
日記をつけるように音楽を聴いていた私のつまらないこだわりなのだけれど・・・。

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HMVで試聴ができるようです。

あいつが丸くなったって?

2007-06-04 00:43:00 | 戯言
とんがっている管理職が丸くなるのはアガリの兆候。

たぶん異動を控えているからだよ。
あるいは退職かな?

今年度やることが無くなった証拠。
来年度に引き継ぐなんてことはしない。

勢い、若手でも育てようかなんて思い始めたら危険。

いいヤツで終わろうなんて厚かましいったらありゃしない。

なんでも退職教諭などを中心に、即戦力を呼び戻したり、広く集めたりするという噂を聞いた。
それって資質向上になるの?
疑う訳じゃないけれどさ。それって・・・。

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一方、定年前の勧奨退職を狙う先輩方。
「そりゃ個人の勝手だけれど、側にいてくれるだけでもいいから残っておくれよ。」
「殺生だよ。」

そう噛み付こうとしたけれど、それも酷だよね。
そう思い直した。