ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

やまなみを越えて

2017年03月11日 | 東日本大震災
今年もこの日が巡ってきた。

特別な日だけど
大げさに特別扱いにはせず
今日もわたしはいつも通り過ごす。
それがいちばんの供養であり復興につながると信じているから。





写真は阿武隈山地と福島盆地。
画像ではわかりにくけれど、
画面中央付近のずっと奥に、天王山(日山)がうっすら見える。
そのふもとは浪江町津島、父のふるさとだ。
このやまなみの向こうには太平洋が広がる。


夫が富岡町に単身赴任していた頃、
子ども達を車に乗せてあの山々の峠道を何度となく往復した。
富岡町には東京電力のエネルギー館というのがあって、
子ども達はそこで遊ぶのを毎回楽しみにしていた。
天神浜のアスレチックにも行ったっけ。
広野町の火力発電所の近くの公園の長い滑り台も大好きだった。
富岡町に行く途中、山木屋にあるグリーン牧場では必ず休憩して、
アイスクリームを食べた。
山木屋牛乳も美味しかったな。


父が生きていた頃、子どもの頃に天王山に登ったことをよく聞かされた。
阿武隈山地では一番高い山だということ。
山頂からは太平洋が見えること。
いつかひまわりも登ってみるといいと言っていた。
でも、わたしは天王山には一度も登らないまま、震災になってしまった。


父は双葉町の旧制中学を出た。
今はいわき市で新しい高校に統合されてしまったが、
父の母校の校歌や応援歌は何度も聞かされ、
卒業生でもないのにわたしもほとんど覚えてしまった。

 (校歌) ♪楢葉標葉(ならは しねは)の いにしえの
       名も遠きかな 大八州(おおやしま)
       その東北(ひがしきた) ここにして
       天のめぐみは みちたれり

 (応援歌)♪東太平洋の潮をあび 西阿武隈の風を受け
       鍛えに鍛えし この腕(かいな)
       振るえ双葉の健男児

わたしの母校じゃないのに、
今この歌を口ずさむと目頭が熱くなる。

父の生家は貧しくて、
祖父母が苦労して兄弟姉妹たちを学校に通わせ一人前にしてくれたという。
当時の双葉地方の貧しさは現代のわたしには想像もつかない。
貧しさから脱却するために、
一家の大黒柱のお父ちゃんが出稼ぎにいかなくてもいいように、
原発を誘致したことを責めることは、わたしにはできない。
時代は少し違うけれど、
わたしが子どもの頃に暮らしていた茂庭の同級生たちにも、
冬になると出稼ぎに出るお父さんがいたから。
後出しじゃんけんなら誰だって勝てる。


どうか
彼の地の人たちに
いつの日か必ず、かつての営みが戻りますように。

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1 コメント

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匿名希望さん (ひまわり)
2017-03-12 09:25:44
素敵な動画のプレゼントありがとうございました。
卒業・旅立ちのシーズンにもぴったりの歌ですね♪
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