日本人研究者がエルサレムでイエスの聖遺物の可能性がある乳歯を発掘するところから始まる歴史ミステリー。同じ頃、その研究者の同級生が日本の青ヶ島で地元の伝説の調査中に謎の死を遂げる。この2つの事件の謎をもう一人の同級生であるジャーナリストの主人公が追う中でその主人公の周りで怪しげなカルト集団が不穏な動きを見せる。聖遺物の発見、青ヶ島の伝説、カルト集団の動き、この3つがどのように結びつくのか読んでいて全く予想もできなかったのだが、最後に見事に真相が究明される。ストーリー自体文句なく面白かったが、一番驚いたのは、青ヶ島という島が実在していて、その存在自体がものすごく謎に満ちていること。ネットで青ヶ島の画像を検索すると、ほぼ本書に書かれたような形状の正に絶海の孤島で、そこにちゃんと住民も何百人か住んでいるという。ものすごくハードルは高いが、何となく一度行ってみたいと思ってしまった。(「聖乳歯の迷宮」 本岡類、文春文庫)
行きつけの本屋さんで見つけた一冊。頭の上に荷物を載せて歩く風習が日本や世界の各地にあることは写真などで見たことがあるが、それを研究テーマにした本ということ少し面白そうだったので読んでみた。内容は、そうした頭上運搬という風習の歴史や地理的分布についての研究成果やそこから得られる文化的、身体技術についての知見だが、これらが予想以上に面白かった。まずそうした風習そのものについては、世界中にあること、何故か女性限定であること(男性は肩に担ぐ)、運ぶものは水、薪、海産物など多様であること、頭上運搬のやり方について誰かから教わったとか練習したということでなく自然にできるようになった、それでいて失敗したことはないし失敗した話を聞いたことがないといった証言ばかりであること、小学生くらいでも30kg、大人になると60kgくらいは平気で運べることなど、かなり意外な事実が次から次へと示される。一方、元々は色々な地域に見られたそうした風習が最近まで残っていた地域については、離島や海岸に近いの地域が比較的多く、考えられる要件として、狭い地域で生活が完結している、坂が多い、電車がない、道路の舗装が遅れたといったことが考えられるとのこと。そうした頭上運搬に関する調査から本書では身体技法について色々な考察がなされているが、特に面白かったのは次の2つ。まず一つは、身体技法というものが、周りの人がやっているのを小さい頃から見ていると自然と自分もできてしまいという性質があることで、技術の獲得には「やればできる」という感覚が大きく作用するらしい。もう一つは、かつて当たり前だった身体技法も、使われなくなると急速に(おおよそ2世代くらいで)廃れてしまうということ。道路の舗装や交通機関の発達で頭上運搬が急速に姿を消し、実際に行なっていた人、あるいはそれを目撃していた人も高齢化していて、著者の調査自体、こうした調査が行えるギリギリのタイミングだったようだ。すごくニッチなテーマだが色々な意味で面白い一冊だった。(「頭上運搬を追って」 三砂ちづる、光文社新書)
団塊世代から見た現代日本の諸相についての評論集。変わったタイトルだが、これについては「まえがき」で、インパクトがあり七五調で覚えやすい題名にしたとある。本人がそう言っているので深読みしてもしょうがないが、強いて言えば、日頃から著者が社会に対して発してきた警告の書ということだろう。内容は、著者が様々な媒体に寄稿した短文をテーマに沿って再編集したものとのことで、短い文章の寄せ集めながら、時々なるほどなぁと感じる記述に遭遇した。例えば、「資源が枯渇しないようこれからは地域分散ではなく都市集中が必要」という意見に対する著者の反論、警告は、そういう考え方も大切だと考えさせられた。また、イスラエルとハマスの紛争について、問われるべきはどちらが正しいかではなくあくまで正しさの程度で、正しさを主張する権利が限度を超えた行動で毀損されるかどうかが問題なのだという記述にもなるほどなぁと思った。ただ、随所にみられる異界とか超越的なもの、すなわち宗教的なものに対する敬意や理屈ではない作法の重要性、子ども時代にはあったそうした感覚など、武道や能に結びつく著者の記述は、自分にはいつの間にか失ったという感覚もないし、怪しげな宗教説話のようで、自分自身にはピンとこなかった。(「だからあれほど言ったのに」 内田樹、マガジンハウス新書)
全世界で600万部突破という話題の書。1960年代のアメリカで、様々な性差別、偏見、ハラスメント、誹謗中傷に見舞われながら毅然としてそれらに立ち向かい前を向いて進む気丈なヒロインの物語。主人公が関わる大学、研究所、TV局といった組織のトップたちは、今の基準では完全な犯罪者という同情の余地のない極悪人ばかり。一方、絶望的なほどアウェイな環境に身を置く主人公を理解してサポートしてくれる人々との邂逅。更に、主人公を支える彼女の娘と飼い犬。これらが織りなす物語は通快でかつ読者に勇気を与えてくれる。(「化学の授業をはじめます。」 ボニー・ガルマス、文藝春秋)
今年の受賞作品が「成瀬は天下を取りにいく」に決定。同作品が大賞で「水車小屋のネネ」が第2位ということで事前予想がピタリと当たってしまったが、それだけこの2作品が抜きん出ていたということだと思う。大賞作品の、やると決めたら周りを気にせず前進する主人公、近くの人々を少しハラハラさせながらも逆に彼らに勇気を与える主人公、大都会にない近所付き合いが残っている地方中堅都市という環境に育てられている主人公、どれをとっても今までにない清々しさで読者を魅了した。今回の結果を受けてこうした前向きの小説が色々出てくると思うと、そうした作品を探すという読書の楽しみが一つ増えたようで嬉しい。
最新の芥川賞受賞作品。作中にAIが作成した文章が取り込まれているといった話が話題になっていたので読んでみた。登場するのは、犯罪者を「不可抗力で犯罪者になった同情すべき対象」として「ホモ・ミゼラビリス」と再定義し直すことを提案する社会学者、その思想に基づいて建造される新しい刑務所「東京都同情塔=シンパシータワートウキョウ」のデザインを担当する建築家、同塔で勤務するスタッフ、日本の社会問題を取材する外国人ジャーナリストの4人、それに文書を自動作成するAIを加えた5者。様々な多様化が進む中、多くの意見を集約するAI と批判を最小化するための模範解答が同一化し、言葉の共通理解が失われていく様が「東京都同情塔」という建築物に投影して語られる。読んでいて一番びっくりしたのは、メインストーリーとはやや外れるが、最後に建築家が空想の中で銅像にさせられるメタファーで、この作家の視点、この作品のの斬新さが理解できたような気がした。(「東京都同情塔」 九段理江、新潮社)
書評誌にSF作品のお薦め本として紹介されていた短編集。収められた短編は13編だが全体的にSF色はうすい。史実に沿った記述や実在の出来事と著者の空想が融合しているという意味ではSF的だが、どちらかというとコンピューター、ゲーム、システム開発などの進化に関する著者自身の実体験を基にした懐古的な話が主流で、SFがやや苦手な自分にも楽しく読むことができた。また巻末の著者の解説を読むと、収められた短編は、オムニバス企画として依頼された作品が多い。自分がじっくり温めて丹念に構築していく長編と違って、時間やテーマの制約が強いこうした短編の場合は、自分自身の体験などが色濃く出るのかもしれないなどと考えた。(「国歌を作った男」 宮内悠介、講談社)
2024年の本屋大賞、ノミネートされた10作品のうち1冊(レーエンデ国物語)は未読だが現段階で今年も恒例の受賞作予想をしてみたい。9作品を読んだ感想は、今年はとにかく心に残る作品が多かったという印象だ。直近で読んだ「黄色い家」は近年多数書かれている現代日本の生きにくさや理不尽な落とし穴を描く決定版のような作品だし、「水車小屋のネネ」は面白さにおいて圧倒的な傑作だったと思う。一方、他のノミネート作品でも、「星を編む」「リカバリーカバヒコ」など、昨年のノミネート作品の主流だった息苦しさや重苦しさの先にある光のようなものを描いた作品が目立っていて嬉しかった。更に、「スピノザの診察室」「存在のすべてを」の2作品も本当にすごいなぁと感じた。これらの作品はどれが大賞になってもおかしくないと思うが、そうした中で圧倒的に清々しいストーリーだったのが「成瀬は天下をとりにいく」。既に続編も既読だが、とにかく明るいいつまでも読み続けていきたい主人公の成長物語が最高だった。
(予想)
大賞 宮島未奈 「成瀬は天下を取りにいく」
次点 津村記久子 「水車小屋のネネ」
川上未映子 「黄色い家」
(予想)
大賞 宮島未奈 「成瀬は天下を取りにいく」
次点 津村記久子 「水車小屋のネネ」
川上未映子 「黄色い家」
今年の本屋大賞ノミネート作品。主人公を中心とする女性たちの破局の顛末を描いた物語。人に優しく思いやりがあり頑張り屋でもある主人公だが、ひとりでは生きていけない、多少のお金はないと困る、というごく当たり前のことを望むなか、不可抗力のような出来事の連続で深い闇に取り込まれ悪の世界に追い込まれていく。最近読んだ重苦しい小説の中でもとびきり重苦しいエピソードの連続だ。女性たちを取り込んでいく暗い社会は一般人には想像もできないような特殊な世界だが、どこでボタンをかけ間違えたのか、本当に恐ろしい展開に息を呑むしかない。最近の小説には、現代日本の生きにくさ、悪に取り込まれる落とし穴の多さを描く小説が本当に多いが、ここに極まれりという作品だった。(「黄色い家」 川上未映子、中央公論新社)
書評誌で紹介されていた初めて読む作家の作品。副題「伊豆中周産期センター」、帯に「現役医師が描く傑作医学エンタメ」とあるとおり、静岡県三島の南の伊豆長岡にある伊豆半島一帯の高度産科医療を担う大学病院分院が舞台で、そこに配属になった主人公の若手医師の日々の葛藤と成長を描いた小説だ。パワハラ、頑固者、保守的と悪名高い上司の教授のもとで、地域医療最後の砦として激務をこなしていく中で、先端医療とは何か、そもそも医療とは何かを様々な体験を通じて考察していく。先輩医師、頑固者の教授の真の姿が次第に明らかになる中で、読者も主人公同様の気づきを体験していく。特に、教授の悪評の原因となっている教授による「病院内ルール」の真の意味が明らかになる終盤、医師不足に悩む地域医療の難しさ、異例づくめの医療現場で医師が直面する葛藤、先端医療に重きを置いた大学病院内の歪みなど、いくつもの課題を読者は知ることになる。とにかくお医者さんという仕事の尊さを強く教えてくれる一冊だった。(「あしたの名医」 藤ノ木優、新潮文庫)
話題になった作品の続編。2部構成で、前半は家の間取りに関する奇妙な11のエピソード。何か互いに関係がありそうな話もあれば、他と全然関係無さそうな話もあって、全体像は全く見当が付かない。後半は解決編ということでこれらのエピソードから導かれるびっくりするような真相が提示される。関係ないと思われた複数のエピソードの関連が徐々に明らかになっていくのが面白い。読んでいて強く感じたのは、前作同様、とにかくおぞましい話が満載なことと、図解や文章が非常に的確でわかりやすいこと。この二つが、読む速度の濃淡をつけられる紙の読書と違うネット小説の大切な要素なんだろうなぁと感じた。(「変な家2」 雨穴、飛鳥新社)
今年の本屋大賞ノミネート作品。大賞受賞作「汝、星のごとく」のスピンオフ作品と紹介されているが、前作より以前の話と前作の後の話が収録されていて、どちらかというと両方のエピソードを全部合わせて一つの作品という感じがするほど一体感がある。読後の感想は、自分だけかもしれないが、本作を読むことで前作の印象がかなり変わってしまったということだ。前作でちょっと気持ち悪いなと思っていた人物がガラリと誠実を絵に描いたような人物に思えるようになったし、そもそも前作は、親のネグレクト、SNSによる謂れのない誹謗中傷、各種ハラスメントなどの暗い社会問題のオンパレードで、登場人物もどうしようもないダメな人物ばかりだったと思っていたが、本作を読むとそうした絶望的な状況ばかりではないなと感じるようになった。この感覚の変化がどこから来るのか、もしかしたら話のタイムスパンが長いからだろうか、時間が経つとものすごい悲劇も和らいでいくものなのだろうか、などと考えてしまった。こうした変化を著者自身が最初から意図していただろうと考えると、本当にすごい作家だなと改めて感じてしまった。(「星を編む」 凪良ゆう、講談社)
書籍の売上低迷、書店数の減少が言われて久しいが、このところそうした流れに抗うように独立系の小さな町の本屋さんの開店が全国的に増えているとのこと。本書は、最近になって開業した本屋さんのオーナー達が語る、開業を後押ししたキッカケ、本屋さんという職業への思い、開業前から現在までの苦労話、コロナ禍への対応などのエピソードが収められている。開業まで別の書店や出版社で働いていた人が多いのは当然だろうが、中には全くの素人だったという人や特に読書好きではなかったという人も結構いて、その行動力にびっくりした。ほぼ全ての人が語っているのが、本屋さんの利益率の低さを起因とする経営の難しさだ。こうした中で経営を安定させるため、あるいはコロナ禍対策として各店が打ち出しているのが、貸し棚、選書サービス、イベント開催、カフェ併設、談話スペースといった多角化だ。それがそれぞれの良い個性になっていて、掲載されている全国各地のお店を行脚してみたいと思ったくらいだ。各エッセイの最後に掲載されているのが「店長の大切な一冊」。これも色々な本があって面白かった。なお一番びっくりしたのは、この本、自宅から電車で一駅の本屋さんで購入したのだが、何とその本屋さんが本書で紹介されていたこと。本書は前から気になっていたが、大きな書店では見つけられず、ネットで買おうかなと思っていたところで偶然その本屋さんの棚の最上段、手の届きにくいところに一冊だけひっそりと置いてあるのを発見して購入。自分の店が紹介されている本なのにひっそり置いてあったのが何とも奥ゆかしいし、他の本と同じように淡々とレジをしてくれた店員さん有り難うという気持ちになった。(「本屋、ひらく」本の雑誌社編集部編)
書評誌のランキングで本書に収録されている短編「恋澤姉妹」が年間ベストワンと絶賛されていたので、読んでみることにした。内容は、実際の事件を題材にしたミステリー、ショートショートなどバラエティに富んだ短編集。ベストワンに推されていた「恋澤姉妹」は、自分たちに干渉する者を容赦なく抹殺してしまうという姉妹の物語。これまで読んだことのない不思議な物語だが、ベストワンに推されているのが何となく分かる気がした。それと同じくらいびっくりしたのが表題作。監獄に収容された政治犯が脱出するための11文字のパスワードを推理していくというこちらも不思議な設定の話。先日読んだ著者の「地雷グリコ」に通じる論理思考パズルもので、どちらが先に書かれたのかは分からないが、こちらも今まで読んだことのない虜になるような不思議な面白さをもった作品だった。(「11文字の檻」 青崎有吾、創元推理文庫)
外務省でアラビア語通訳だった元事務職員によるイスラエルパレスチナ紛争の歴史と今後の展望についての解説書。両者の和平交渉が最も実現に近づいたにも関わらずそれが崩壊してしまった1990年代後半にイスラエルで勤務していた体験を持つ著者。その体験に基づいて語る和平プロセス実現、今の紛争解決の困難さには説得力がある。和平の弊害となっているのは、①現在も続くパレスチナ地域に入植したイスラエルのガザ、ヨルダン川西部からの撤退問題、②エルサレムの帰属問題、③イスラエル建国以降故郷を追われたパレスチナ難民の帰国問題の3つ。和平が最も実現に近づいた90年代の主役は、和平に積極的だったイスラエルのラビン、バラック両首相、紛争解決に非常に意欲的だった米国クリントン大統領、カリスマ的指導者だったパレスチナのアラファト議長ら。和平の当事者とアメリカの指導者が前向きだったにも関わらず実現しなかったところに和平の難しさがある。さらにロシアや中国との対立に軸足を移さざるを得ないアメリカの現状、経済を優先し始めた他のアラブ諸国といったその後の変化を考えると、早期の停戦和平を「ほとんど絶望的」とする著者の意見、ガザ地区を何度も訪問しそこで暮らす難民の悲惨さを語る著者の目線に、何ともやり切れない思いがした。(「ガザ」 中川浩一、幻冬舎新書)