クイズ作家という珍しい職業の人が日頃思っていることを綴った一冊。TVのクイズ番組やクイズの掲載された雑誌は沢山あるが、専業のクイズ作家というのは凄く少ないようで、究極のニッチ市場とのこと。クイズを作る際の肝は、相手の関心をどのように引き付け、少しびっくりさせた上で、へぇと思ってもらうかだが、そこには当然ながら色々な独特のノウハウがある。最初読み始めたところで、何だかありふれたビジネスノウハウ本のように感じたが、クイズの例題やところどころにあるトリビア(銀魚という魚がいる、天寿を完うの天寿は250歳は間違い、午前0時は正子など)がとても面白く、さすがだなと感じた。ありふれていると思ったビジネスノウハウ部分も、クイズ作家ならではの独特の情報の扱い方、正確性を担保する方法、効果的な伝達の仕方などが興味深かった。(「クイズ作家のすごい思考法」 近藤仁美、インターナショナル新書)
幼い頃に死んだ父との約束を果たすべく高校野球で甲子園出場を目指す少年を母親の目線で描いた一冊。スポーツ根性的な成長物語かと思いきや、最初から何だか雰囲気がおかしいことに気づく。少年野球の監督は、父兄にたかることしか考えていないようだし、少年の進学した高校の関係者は野球を学校の知名度アップの手段と見ているような振る舞いを見せる。高校野球部の監督は何百万円もの裏金を父兄から徴収して悪びれる様子もなし。さらに一番厄介なのは、同志でもありライバルでもあるという選手たちの関係性を反映した嫉妬が渦巻き、ヒエラルキーと何事も金次第的な理不尽なルールだらけの父母会で、読んでいて高校野球の醜い裏側を描く暴露本を読んでいるような感じが漂う。自分自身、試合を見ていてそうした臭いを感じるようになってから高校野球を全く見なくなってしまったので、やっぱりそういう世界なんだろうなぁと思った。但し物語の方は、終盤になって少し雰囲気が変わり、悪い人たちが改心したり、予想外のことが多発して良い話に収斂し、結構後味の良いで終わったのは予想外だった。(「アルプス席の母」 早見和真、小学館)
若者世代に絶大な人気の著者の本。読むのは2冊目。今回のテーマは、物々交換の煩雑さを回避するために価値尺度として発明された「貨幣」、それを拠り所とする「価格」というものが遠い将来不要のものになるだろうというものだ。まずネット環境など個々の取引を簡易かつ迅速に処理する様々な技術の進歩によって「一物一価」という考え方が崩れ始め、さらにビッグデータの集積とその解析処理などを大規模化・精緻化することにより、次第に同一基準による価値基準を持つことが不要になっていくとする。そうしたなかで過去の個々人の来歴データなどから、個々人の効用、社会全体の効用、社会的公平性などの最適解を導き出すアルゴリズム(招き猫アルゴリズム)があれば、貨幣というものの存在意義が消滅するだろうという。遠い将来のSFのような話だが、その萌芽や予兆がすでに沢山見られるとし、それに関する様々な事例が示される。読んでいて色々反論できそうな感じがするが、それらも事前に加味したアルゴリズムを考えれば解決してしまうと先回りしてちゃんと書いてあり、残っている反論は人為的なものではなく、資源やエネルギーの制約くらいかも知れない。SFと言えば、宇宙の何処かに貨幣というものを発明せず、非効率ながら非常にゆっくりと地道に進歩を続けている宇宙人がいるかも知れないなどと考えてしまった。(「22世紀の資本主義」 成田悠輔、文春新書)
著者の学園もの短編ミステリー集最新作。同じ学園を舞台に作品がいくつもあるのでシリーズ作品ということになるが、作品によって主人公が変わっているようだ。本書の主人公は学園理事長の娘とワトソン役の男子学生「石橋君」で、解決していく謎は学園内で発生する密室、人間消失など軽めだが、謎解きはかなり本格的。主人公たちのやりとりや「石橋を叩いて渡る」という設定がとにかく面白い。この設定の作品、まだまだ続いて欲しいと思う。(「朝比奈さんと秘密の相棒」 東川篤哉、実業之日本社)
有名な本だが初めて手に取ってみた。世界の人々の属性などを100人に換算して描写する本書の内容は、当初一つのネット広告メールから始まり、アメリカの学校の学級通信、科学者たちによる引用を経て全世界に伝わっていったという。伝達される中で、それぞれの書き手の思いなどから、100人ではなく1000人というバージョンになったり、最後の記述にも色々バリエーションができたりしているとのこと。簡単に真偽不明の情報を拡散できてしまうネット環境普及の弊害が注目されているなか、本書の存在は数少ない好事例ということになるだろう。(「世界がもし100人の村だったら」 池田香代子、マガジンハウス)
著者の本は3冊目。今回のお話は、大学の演劇サークルの仲間たちが卒業してから8年振りに集まり、卒業公演のリハーサル合宿中に変死した「木村君」の死の真相を、事件当日の出来事を演劇風に再現しながら探っていくというもの。登場人物たちの会話と展開の面白さは、これまでに読んだ著者の作品中一番のような気がする。また、事件の核となる演劇関係者の演劇に対する思いの違い、事件によって大きく変わってしまう仲間たちのその後の人生の切なさなど、至る所に読みどころ満載で、この著者、本当に凄いなぁと何度も思った。恒例の巻末の告知がないので、今のところ次回作は予定されていないようだが、とにかく次の作品が楽しみだ。(「死んだ木村を上演」 金子玲介、講談社)
初めて読む作家。本屋大賞ノミネート作品ということで読んでみた。最愛の弟の急死をきっかけとして、離婚、アルコール依存に苦しむ主人公が、様々な人たちとの交流を経て希望を見出していく物語。弟の死因、奇妙な遺言書、死後に弟から主人公に届く誕生日プレゼント、どことなくよそよそしい元婚約者、取り乱す職場の仲間など当初は謎だらけだが、読み進めていくうちに少しずつ思わぬ真相が明らかになっていく。人に支援の手を差し伸べることの意味、本音で話し合うことの難しさと大切さが強烈に心に残る一冊だった。(「カフネ」 阿部暁子、講談社)
世界各地で様々な軋轢や分断の火種になっている移民問題について、イスラム移民が急増している日本の現状と問題点を厳しく指摘する内容。著者の視点は、多文化共生、多様性、他者への寛容という言葉を無条件で正しいものとするマスコミを含む日本全体の危うさを様々な角度から糾弾し、他宗教を敵視するイスラム原理主義に対して素朴な多様性信奉で大丈夫なのかと問いかける。本書で語られている仏像やお地蔵さんを繰り返し破壊したイスラム教徒移民が不起訴になった件、イスラム団体による行政への土葬墓地整備の要求、川口市でのクルド人集団による犯罪事件の多発、難民申請を不法就労に悪用するケースの多発といった事案を知ると、著者の懸念がすぐそこまできているのは確かだと思う。著者によれば、これらは、イスラム教がそもそも「多様性」と相容れない教義を持っていることが根底にあるとする。さらに、日本よりも移民受け入れに積極的だった欧米諸国が、移民によるテロや凶悪犯罪の多発、それに起因する国内の分断の深刻化に直面していることについても克明に語られていて、自分も含めて「困っている移民や難民がいたら助けたい」といったナイーブな同情論だけで良いのかが今問われているのは確かだし、トランプ新大統領の厳しい移民排除政策を巡るアメリカ国内の分断そうした文脈で考え直す必要があるのかもしれないと感じてしまう。また、本書で描かれている内容と、先日読んだ「イランの闇世界」で描かれた「一般的なイスラム教徒はイスラム教の厳格な戒律に辟易している」という内容の違いの大きさに唖然としてしまう。普通のイスラム教徒と過激なイスラム原理主義者、イスラム教徒の中でも大きな分断が生じているということで、ますます今後の世界情勢が心配になる。(「イスラム移民」 飯山陽、扶桑社新書)
本屋大賞にノミネートされた作品ということで読んでみた。本書は、現役医師である著者のデビュー作で本格ミステリーの登竜門鮎川哲也賞受賞作とのこと。ある病院に搬送されてきた変死体がそれを検分した医師と瓜二つという、あまりにも不思議な出来事から物語が怒涛のように展開していく。随所に散りばめられた医学知識と深まる謎に翻弄されながら、こんな不思議な話が本当に収束するのか、納得のいく謎解きがされるのか、色々疑問に思いながら読み進めていくと段々物語の輪郭が見えてくる。そして最後の展開の意外さに、途中のかなりご都合主義的なところもあまり気にならなくなるし、事件全体と関連する医療技術の進歩や医療行政のあり方の課題は現役医師らしい問題提起になっていて考えさせられる。巻末に本作の探偵役の医師が登場する次の作品が2025年中に刊行されるという告知が載っていて、医療+本格ミステリーとしてシリーズ化されるらしい。デビュー作には作者の全てが詰まっていると言われるが、次回作が本作を超えることができるかどうか、今から楽しみにしたい。(「禁忌の子」 山口未桜、東京創元社)
大好きな「〇〇日記シリーズ」の最新刊。匿名の警察官が新人のための警察学校から退職するまでの日常を綴った内容。最終章を除いて暴露本という感じではなく、淡々と職場での出来事や人間関係が書かれているが、結構「へぇそうなんだ」という驚きが満載だった、内容は、警察学校の教場というシステムや射撃訓練の緊張といったところから始まり、初めての交番勤務でのパトロール体験、機動隊での災害派遣や右翼団体対策、刑事課への登竜門とされる留置係、警察の花形刑事課への転勤と様々な業務経験の話が語られる。特に交番勤務では職務検挙件数と交通取り締まりが自身の査定に直結しているといった警察小説ではわからない内輪の話が大変興味深かったが、それ以上に全体を通じて本当に大変な仕事なんだなぁという尊敬の念を強く感じた。(「警察官のこのこ日記」 安沼保夫、三五館シンシャ)
父親の仕事の関係で転校を繰り返す小学生男子を主人公とするミステリー連作短編集。小学生が主人公なので軽いコージーミステリーかと思ったが、読み進めていくと、起こる事件はかなり深刻なものだし、各編に登場する主人公やその同級生たちが親の都合で苗字が変わったり、欲しいものを我慢しなければならなかったりと、色々な苦労を強いられていたりして、そうした現代的な問題が謎と謎解きに関わってくる重いテーマを含んだ物語だった。「正しいバールの使い方」という題名が意味するところも、人がつく「嘘」に関わる大変考えさせられる内容だった。初めて読む作家だが、これから色々読んでみたいと思った。(「バールの正しい使い方」 青木雪平、徳間文庫)
本屋大賞ノミネート作品。東京銀座を舞台に人生の岐路に立つ5人の主人公たちが、アンデルセンの童話「人魚姫」のストーリーに触発されて、これまでの人生を振り返り再び前向きになっていく様を描いた連作短編集。「人魚姫」というフィクションがそれぞれの登場人物の心に影響を与えると同時に、心の持ち方でフィクションと現実の境界が曖昧になっていくという不思議な雰囲気の物語が続く。再生の物語という点では前に読んだ作者の作品「リカバリーカバヒコ」と似ている感じだが、本作ではリアリティを気にしないで自由に物語を綴っているのが伝わってきた。また、一つの短編の風景の一部のような人物が次の短編の主人公になっていたりして何度もびっくりした。(「人魚が逃げた」 青山美智子、PHP研究所)
今年の本屋大賞ノミネート作品。著者の本を最初に読んだ時の衝撃から、その後何冊も著者の本を読んだが、少しライトノベルっぽいテイストの本が多くて、こういう作風なのかなと思ったりしていたが、本作を読んでやっぱりすごいなぁと感じた。本を読むのが好きな主人公の少年とその友だちが学校の隣の不思議なお屋敷に迷い込み、そのお屋敷の作家らしき住人の隠された秘密に翻弄されるというストーリー。読み進めていくうちに、宇宙の誕生、生命の進化、文明の発展の歴史の考察を通じて著者の考えるフィクションとしての小説を読むことの意味、小説を書くことの意味が明らかになっていく。物語の終盤はファンタジー小説のようになっていくのでやや戸惑うが、最後の著者の思いはしっかり伝わってきた。(「小説」 野崎まど、講談社)
本屋さんで偶然見つけた本だが、帯をよく見てみたら「このミステリーがすごい大賞」受賞作と書いてあってちょっとびっくりした。内容は、パン屋さんでアルバイトをしている漫画家志望の大学一年生が職場でのちょっとした謎を解き明かす、よくあるお仕事小説的なコージーミステリーだ。短編ごとにクロワッサン、フランスパン、シナモンロール、チョココロネ、カレーパンといったお馴染みのパンが登場してパンに関するトリビアを知ることができるのも楽しいし、主人公がパン屋さんの仲間やお客さんのちょっとした秘密を推理していくのも楽しくて、読んでいて気持ちがとても良かった。著者の略歴を見ると本書の主人公と同じく漫画家としても作品を世に出しているらしく、著者自身と重なる部分も多い気がする。本書の続編でも良いが、デビュー作である本書の次の作品が楽しみだ。(「謎の香りはパン屋から」 土屋うさぎ、宝島社)
何人もの校正のプロたちにインタビューをして「校正のあり方」を語ってもらうことにより、「言葉とは何か」を考えていくという内容の一冊。言葉というものの正誤は時代によって変化していくもので、彼らが参照する辞書の内容もそれに従って変化していく。ある校正のプロは、こうした変化を確認するために版や刷の異なる広辞苑を100冊以上、言海を270冊も所有しているという。そうした変化は辞書に載っている単語だけでなく助詞の使い方や表記の仕方にも及ぶし、さらに文学作品では、敢えて一般的ではない表記をしたり、確信犯的に間違った表記をする場合もある。また、言葉の使い方や漢字の表記は、行政によって効率化や教育的思惑から標準語という形で歪曲されることもある。こうした要素が、ある意味単純な間違い探しと思われがちな校正という作業の背景に無数に存在しているという。氷という漢字は本当は「ニスイに水」だった、校正の専門会社がある、AIに校正をやらせてみた、人体中での遺伝子複製の際に校正を担うDNAポリメラーゼという校正を行う仕組みがある、アメリカ占領軍から提示された日本国憲法案の日本語訳を巡る国会内でのやりとりなど、興味深いびっくりするようなエピソード満載の一冊だった。なお、本書は著者の遺作だが、あとがきに著者の奥さんの病気の話が書かれていて、人生どうなるか分からないものだと痛感した。(「ことばの番人」 高橋秀実、集英社インターナショナル)