怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

老いることについて

2023年05月10日 20時18分46秒 | たわごと
釈迦の残したスッタニパータより
805 人々は「わがものである」と執着した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、とみて、在家にとどまっていてはならない。

おおよその意味は分かってもらえるだろう。
執着(しゅうじゃく)広辞苑によると「強く心をひかれ、それにとらわれること。深く思い込んで忘れられないこと。」とあるので物でも事でも(人でも)あらゆる物事に対していえる言葉だ。
常住(じょうじゅう)広辞苑によると「生滅・変化なく永遠に存在すること。特に迷いの世界の無常に対し悟りの世界の永遠性を意味する」広辞苑のこの解釈の前半の事、永遠ではないの意味だろう。
変滅(へんめつ)中村先生の註によれば「存在しては滅びるもの、生滅するもの」とある
在家にとどまっていてはならない。 この解釈は日本ではことに現代の日本では非常に微妙な言葉だと思います。普通に解釈すれば在家ではなく出家しなさいとなるが、出家ということが私には理解できていないのであやふやになる。

生きていくうちに年老いていくが、いずれ死ぬことになる。死んでしまえばそれまでなのだが、なかなか人間は死ねない。その生きている間に執着が生まれる。恐らく仏陀はその生きている間に起こるこの執着こそが苦しむを生むものだと言っているのだろう。だから在家のとどまってはならないというのは在家でいる限りはこの所有から所有に対する執着から離れることができないと言っているのだろう。

806 人が、「これはわがものである」と考える物、ーそれは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してはならない。

805の段で述べられたことを突き進め死によって終わることが説かれている。この段の中ほどにある「われに従う人」の註釈で中村先生はあえて「出家者でも在家者でもよいのである」と書いておられる。

 
さあこの続きは?