スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(憲法9条は戦争放棄をしていない)

2020-11-25 11:03:47 | 日記
11月25日(水)
「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」

 第1項により、放棄したのは「国際紛争を解決する手段」としての「戦争」である。ならば自衛の為の戦争はして良い事になる。ここまでは誰もが認める所だと思うが、問題は第2項である。
 「前項の目的を達成するため」が、「~これを保持しない」までに係るのか、「~これを認めない」の最後までに係るのかである。政府解釈は「。」があるのだから、「これを保持しない」までと係を限定するようである。そうすると第2項の意味は、「国際紛争を解決する手段としての」戦力保持を認めないと文意をいったん切ってから、改めて交戦権も否定すると追加をしていることになる。これだと後述のように自衛戦争も認めないと、することになる。つまり第1項で戦争放棄の意思を宣言し、第2項で戦争する手段を自衛戦争も含めて、一切持たないとすることで、戦争がそもそも出来ないようにする縛りを掛けたと解釈するのだ。
 「交戦権」には、国或は集団が戦争をする権利との意味と、現に交戦している集団が持つ戦闘技術面からの権利との、2通りの解釈があるが、戦争をする権利は第1項で既に否定しているのだから、ここは現に交戦している集団が持つ権利と解すべきである。具体的には敵の港を封鎖して第三国の船舶の臨検をする権利とか、占領地の行政を司る権利とかであるが一番重要なのは、敵兵を殺す権利である。これを否定されると単なる殺人者集団となってしまう。従って本当に緊急避難的な抵抗なら許されようが、交戦権がなければいくら自衛の為と言っても長期にわたる戦争は、テロリスト扱いされて出来ないことになる。
 しかし第2項の「前項の目的を達成するため」が「。」で途切れるとの解釈は、間違いであると思う。何故ならこれでは一つの項目の中に、国際紛争を解決するための戦力放棄と、自衛戦争も出来ない交戦権の否認という、二つの主題が入る事になるからである。そういう趣旨なら第3項を立てて交戦権否認を書くのが普通であると思う。だからここは「国の交戦権は認めない。」の、最後にまで係るのが正しい読み方だと考える。「。」で途切る読み方は、日本を武装させないという政治目的からくる、条文から逸脱した読み方だと思う。
 そうなると交戦権が認められないのは飽く迄「国際紛争を解決する手段」としての戦争に、限られることとなる。ならば自衛戦争なら交戦権が認められる訳だから、立派に国を守る戦いが出来よう。
 9条を正しく読めば決して自衛戦争を否定したものではないと分かる。
 もう一つ言うと1項の戦争放棄は、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」との文言を単なる修飾語と取らないならば、それが成り立つ限りにおいて、戦争を放棄したものだと読める。つまり世界は平和で正義と秩序があるものだとの前提があるから、戦争放棄が成り立っているのだ。もし世界が不正義と不秩序に溢れるものになれば、いくら希求しても世界平和など実現できる筈がなく、従ってこれに続く憲法の文言は無効となる。故にその時に日本が国際紛争解決に武力を用いたとしても、それは何ら憲法違反に当たらないと考えることも可能である。憲法に単なる修飾語が書かれているとは考えにくいので、この解釈は十分に成り立つ。
 我々の先人は決して言われるように無責任に、GHQ案を日本国憲法として転写したのではないと考える。ぎりぎりの所で踏みとどまる知恵を絞り出したと考える。無責任なのは、先人の意思を無視した解釈に居座る、我々の方である。

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