スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(韓国と中国に対する不思議な雰囲気)

2022-07-28 10:46:49 | 日記
7月28日(木)

 子供の頃から韓国に対して気を使うというか、尊重するとか、もっと言うと韓国のすることは大目に見るとか、世の中にはそんな雰囲気が多いと感じていた。例えば「韓国人」とは言わず、「韓国の人」「韓国の方」というような、気を使った言い方が多かったように記憶している。
 在日に対しても、気を使わなければならない存在、という風に接していた。在日に対する気遣いの原因は、終戦直後の朝鮮人の暴虐振りを恐れる気持ちからだったと理解できる。まあ暴力団に対するのと一緒の感覚だ。しかし在日は身近に居るが、韓国と韓国人は遠い存在だ。それを何故尊重し、お客様扱いする雰囲気だったのだろうか。
 一つには間違いなく自虐史観から来る遠慮である。戦前の日本は朝鮮を植民地にし、朝鮮人を酷い目に遭わせた。だから戦後は償いの意味から朝鮮半島に対して遜った応対をしなければならない、それが良心的日本人の態度だ、という意識である。
 もう一つは全くの想像だが、日本を悪の国と見なす統一教会と自民党が手を握ったために、自民党が(それは日本政府としてとなる)、韓国に遠慮する態度をずっと国民に要請して来た為なのではないか、との疑いだ。教科書問題で河野洋平や宮澤喜一はなんと馬鹿なのかと思ったものだが、統一教会の機嫌を取るために日本を悪だとして謝ったと考えれば、納得がゆく。まあそのもっと前から統一教会とは日本を悪とする教義を受け入れるとの、暗黙の協定が出来ていて、それが慣習になっていて、あの時点で再確認し直したという事なのであろうが。
 統一教会との提携は恐らくアメリカから言われてやったことだと思う。東京裁判をやったアメリカとしては日本を悪とし続けることにメリットはある。日本だって直近に60年安保があり、革命前夜の体を示していたのだぞ。韓国から反共勢力が提供されることは大きな利益である。まあ名誉は失うがアメリカからの経済的保護も期待できる。それで歴史問題では日本は常に韓国に譲歩する、政治的慣習が出来上がったのだろう。ならば一般国民にも韓国をお客様扱いする事が当然だと意識させねばならない。マスゴミも立身欲しさの似非学者たちも、日本を貶める事なら大賛成である。それでそんな雰囲気が出来たのではないかと考える。
 この先どうなるかだがアメリカが中国と対抗するために日本の力が必要となる程度に応じて自虐史観が減り、従って韓国への変な雰囲気も減るのではないか。
 中国であるが韓国以上にお客様扱いする雰囲気だ。ピンポン外交を中日新聞は嫌になるくらい取り上げていた。文化大革命だって、これこそ真の共産主義革命だと、賛美以上の持ち上げ方だった。私は大学に入学して中国哲学の先生から、自身の留学体験を聞いたことがある。先生は戦前の中国に留学していたのだが、留学仲間が中国を知らねばならんといって屋台の臓物飯を食いに行こうと誘われたが、あんなものが食えるかと断った。食いに行った仲間は腸捻転で死んだとの話だ。
 また先生は中国の貧富の差の激しさを話してくれた。ちょっとした金持ちになると自分では賄料理をせずコックを雇うのだが、夜になるとコックは台所のまな板の上で寝るそうなのだ。自分の部屋が与えられていないのだ。そんな貧富の差があるから革命が起きるのだ、君たちも革命などと騒いでいるが日本では起きないと、現実を見ろという風に話してくれた。
 また日中国交回復が実現してから産経新聞を除いて、中国の悪口を書かないとの約束で、朝日新聞などが北京に支局を開かせて貰ったとの、屈辱というかジャーナリズムの魂売渡の話も、割と早くから聞いていた。そんなことから中国様々の雰囲気には物凄い違和感を持っていた。
 私は高校時代世界史が好きだったが、中国史にはどうして馴染めなかった。西洋史なら古代民主主義社会、封建主義社会、絶対主義、資本主義と社会構造の変化が見て取れる。舞台もギリシャローマからヨーロッパ内陸部、フランス・ポルトガル・イギリスと移り変わって出来事と時代の理解がしやすい。所が中国史はずっと皇帝と人民のままで、舞台も北京と南京ぐらいにしか変わらず、出来た王朝がやがて腐敗して消滅するパターンも同じで、変化というものがない。だから出来事も唐の時代なのか明の時代の事なのかさっぱり区別がつかない、との思いだった。
 私にとって日本の中国跪拝とか中国に好意を持つとかの雰囲気は、何処から来ているのか全く不可解である。ひとつには日中戦争で中国に迷惑をかけたとの自虐の思いから来るのであろうが、中国を特別視する思いは戦争以前からある。「君は聖人の国に近づけて幸せだ」と、東京から関西に帰る知人に送る言葉としてそんな常套句があったとの、話がある。まあ頭でっかちのごく少数の知識人にしか通用しなかったであろうが、中国を特別視する言語空間は確かに江戸時代から存在した。中国の実態を知らないから書物だけによる幻想が蔓延っていたという事なのか。
 大躍進で雀を追い払ったとか土法高炉とか文化大革命で何千人と殺されたとか、あなたが生きていた時代の話ではないか。中国人は気違いじみたエネルギーでおよそ非科学的な事を大々的にすることが出来る民族だ。ゼロコロナ政策とか習近平の気が狂ったとしか思えない、教育産業圧迫政策とか不動産業崩壊政策とか、民族性を見れば分かるというものだ。韓国については不思議な雰囲気はある程度原因を探れても、中国については何故なのかさっぱり分からない。

コメントを投稿