『女衒の供養』は澤田ふじ子の『公事宿事件帳』シリーズの第15巻目の小説である。澤田ふじ子については、『火宅の坂』を読んで以来、かなりの作品を読んできた。公事宿シリーズも第14巻まで読んでいたが、懐具合もあって新刊本の購入を控えていたので、その後読む機会がなかった。今回の九州山行に先立って、移動時間に読む本を八戸の古本屋で物色していたら、15、16があったので購入した。『女衒の供養』については出発前に読み終わってしまった。
解説で、縄田一男氏は『女衒の供養』が初版本が出されたのが平成19年9月で、作者あとがきの文章を引用している。
「私個人の意見としては、核武装などとんでもない。自衛隊は災害救助隊とでも名を改め、あらゆる戦力を放棄すれ ばいいと思っている。もし核攻撃を受けたなら、すべての武器を捨てたまさに美しい国として、滅びてしまうのもま たよいのではないか」
作者の戦争や社会に対する見方が表れていると思う。
『女衒の供養』自体は、この本の4番目に掲載されている作品で、25年も前に妻と息子を残して家を出、のちに「女衒」として娘を売り買いしてきた男が、年をとって気鬱病となりそれを引き取ってくれといわれるというストーリーで、この男が小さな墓をこしらえ一心に拝む姿を、主人公の公事宿「鯉屋」の居候で用心棒の田村菊太郎があたたかく見守るというもの。
公事宿事件帳シリーズにに共通する、江戸期に舞台を取りながらも現代の社会に通じる貧困や格差といった問題に、公事宿「鯉屋」を軸に切り込んでいく姿勢に共感を覚えるのである。
解説で、縄田一男氏は『女衒の供養』が初版本が出されたのが平成19年9月で、作者あとがきの文章を引用している。
「私個人の意見としては、核武装などとんでもない。自衛隊は災害救助隊とでも名を改め、あらゆる戦力を放棄すれ ばいいと思っている。もし核攻撃を受けたなら、すべての武器を捨てたまさに美しい国として、滅びてしまうのもま たよいのではないか」
作者の戦争や社会に対する見方が表れていると思う。
『女衒の供養』自体は、この本の4番目に掲載されている作品で、25年も前に妻と息子を残して家を出、のちに「女衒」として娘を売り買いしてきた男が、年をとって気鬱病となりそれを引き取ってくれといわれるというストーリーで、この男が小さな墓をこしらえ一心に拝む姿を、主人公の公事宿「鯉屋」の居候で用心棒の田村菊太郎があたたかく見守るというもの。
公事宿事件帳シリーズにに共通する、江戸期に舞台を取りながらも現代の社会に通じる貧困や格差といった問題に、公事宿「鯉屋」を軸に切り込んでいく姿勢に共感を覚えるのである。
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