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前回ののとろ原キャンプ場からの帰り道の話です。
米子道に乗って、「このまま帰るのももったいないネ~」とのことから、寄り道することになりました。
と、言っても温泉はさっき入ったばかりだし・・・
「じゃ、かめっち に行こう!」(『かめっち』は卵かけごはんの超-有名店です)
ということで、美咲町の運動公園に到着。
駐車場に入るのも混んでるし、お店の前にはイベントでもあるのか、というくらいの人、人、人・・・100人以上がここの卵かけごはんを目指して大集合していました。
駐車場のナンバーも愛媛、神戸、高知なんていうのもあり、急きょネットで検索。
元棚原町の『らん』というお店が見つかり、18Km・約25分で到着。
吉井川から少し入った住宅地にお店はありました。
メニューは『卵かけごはん定食・500円』のみですが、いろいろなタレを掛けていろいろな味が味わえました。
そのお店ででてきた『黄にら水餃子』は何個も食べれそうな美味さでした。
壁に貼られてある黄にらの紹介を見てみると、棚原町が昔 硫化鉄 の一大産地で、『棚原鉱山』があったこと、閉山した後の坑道を利用して黄にらが栽培されていることを知りました。
岡山の名産で知られる『黄にら』ですが、全然知りませんでした。
早速近くにある『柵原鉱山資料館』へ行ってみました。
入館料は大人500円、高からず、安からず、いい値段です。
期待せずに入りましたが、施設、展示のクオリティーは非常に高く、とても興味深く拝館致しました。
①柵原鉱山の最盛期には3000人の町があり、にぎわっていたこと。
②鉱山から採れた硫化鉄を高瀬舟に乗せて瀬戸内海の犬島に運び製鉄されていたこと。
③九幡から30人の大人が4日かけて高瀬舟を棚原まで引き上げていたこと。
④『片上鉄道』ができ列車で鉱石を運ぶようになったこと。
⑤閉山に伴い『片上鉄道』も役目を終えたこと。
⑥廃坑となった坑道で 黄にらやうど を生産していること・・・
岡山に住んで20年になりますが、棚原の地名も知りませんでしたし、こんな歴史があるとは・・・恥ずかしいかぎりでした。
坑道見学は時間の都合でいけませんでしたので、またの機会にしたいと思います。
黄にらを食するたびに棚原と卵かけごはんを思い出すことでしょう ♪