霞浦駅からバイクタクシーで、空海坊まで来て、さらに湾の先端(北岐滩涂)近くまで行ってみた。
汐の干満の差が大きいのか、青い海はなく、干潟が広がっており、写真のように、船は海の底の土に潜っていた。
空海が漂着した後、1200年の間に、泥が湾にたまったのかもしれない。
この北岐滩涂は風光明媚な場所で、写真家が沢山集まる場所のようだ。→こちらの動画
「空海坊」(1995年建立)まで、バイクタクシーで戻ってきて、そこから暑い中、「空海大師紀念堂」への参道を、てくてく歩き始めた.
右奥の寺院は地蔵寺。
参道の両脇及び海側は、浅瀬を利用した養殖場となっており、有明海のムツゴロウと似たような魚が養殖されていた。
昔の海岸はこの近辺にあったのだろうか、空海が漂着した地「赤岸」の標石と、「空海入唐之地-赤岸」の記念碑。
後方は、1994年建立の「空海大師紀念堂」
記念碑の裏に故事が書かれている。
海側への一望。
この崖の下が、境内となっており、境内には、いろんな碑がある。→こちら
「空海大師紀念堂」の中へは入れなかったが、こちらのサイトに記念堂内部の写真が沢山あるので、拝借しよう。
<追記1>
中国版「9章空海和尚」テレビ番組です。ぜひ御覧あれ!!
空海大師紀念堂の航空写真です。
汐の干満の差が大きいのか、青い海はなく、干潟が広がっており、写真のように、船は海の底の土に潜っていた。
空海が漂着した後、1200年の間に、泥が湾にたまったのかもしれない。
この北岐滩涂は風光明媚な場所で、写真家が沢山集まる場所のようだ。→こちらの動画
「空海坊」(1995年建立)まで、バイクタクシーで戻ってきて、そこから暑い中、「空海大師紀念堂」への参道を、てくてく歩き始めた.
右奥の寺院は地蔵寺。
参道の両脇及び海側は、浅瀬を利用した養殖場となっており、有明海のムツゴロウと似たような魚が養殖されていた。
昔の海岸はこの近辺にあったのだろうか、空海が漂着した地「赤岸」の標石と、「空海入唐之地-赤岸」の記念碑。
後方は、1994年建立の「空海大師紀念堂」
記念碑の裏に故事が書かれている。
海側への一望。
この崖の下が、境内となっており、境内には、いろんな碑がある。→こちら
「空海大師紀念堂」の中へは入れなかったが、こちらのサイトに記念堂内部の写真が沢山あるので、拝借しよう。
<追記1>
中国版「9章空海和尚」テレビ番組です。ぜひ御覧あれ!!
空海大師紀念堂の航空写真です。
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