中国の「「抗日戦争勝利70年」を記念するとして3日に行う軍事パレードなどに出席するため、北京を訪問していた村山富市元首相(現、日中友好名誉顧問)が3日、体調不良のため現地で入院し、式典に参加しなかった。
村山氏は政府とは無関係の立場で出席する予定だった。
2日夜、歓迎会に参加した後、体調を崩し、現地の病院に入院した。肺炎になりかけていたらしい。
出発前から風邪気味だったことが影響したとみられています。式典には参加せず、4日、予定されていた記者会見などもすべてキャンセルし午後の便で現在、日本へと向かった模様。←大分朝日放送
91歳の彼は、もともと高血圧の問題があった。4日の午後の便で帰国と。←香港YAHOO新聞
村山富市氏は村山談話で中国で有名だ。
1994年6月30日、自らの意に反して思いがけず自民党・社会党・新党さきがけの三党連立政権の首相に指名された村山富市氏は;
「衆議院で僅か70議席程度しか持っていない社会党の委員長が総理に選ばれた事は、憲政の常道から考えてあり得ない事だが、こうした内閣が生まれてきた事には何らかの必然性があり、歴史的な役割が課せられているのではないか、
ちょうど戦後50年の節目であり、自民党政権では解決できなかった過去の戦争の歴史認識問題など、内外の諸課題にけじめを付ける」と決意して、新政権樹立の三党合意事項に、「過去の戦争を反省する決議を行う」 との内容を 盛り込み、「50年問題プロジェクト」を立ち上げた。=>これが、村山談話の発端である。
戦後50年目の終戦記念日である1995年8月15日、村山は、「社会党の委員長が総理になった以上、この程度の談話が出せなければ意味がない」と、異議が出るなら首相辞任を暗に匂わせる形で談話の閣議決定に臨み、
内閣改造で新しい官房長官に就任した野坂浩賢も、談話に異議を唱える閣僚がいれば即座に罷免する覚悟であった。
閣議で古川貞二郎官房副長官が談話を読み上げ、野坂が「異議ありませんか」と言うと、タカ派と言われる江藤隆美総務庁長官、平沼赳夫運輸大臣、島村宜伸文部大臣を含む全閣僚(村山改造内閣)が、一言も異議を唱えず談話に署名して、満場一致で閣議決定され、村山談話を発表した。←WIKIPEDIA
村山の後を受けた橋本龍太郎首相以降、現在の安倍晋三首相に至るまで、全ての歴代内閣が歴史認識について異口同音に、この談話を踏襲する旨を明言しており、「村山談話」は意義が深いといえる。
この談話により、日中関係の進展があったと言える。
談話が発表された年には、江沢民国家主席、銭其琛副総理兼外交部長が訪日している。←日中関係歴史年表
今回の習近平国家主席の演説を読んで見ると、村山談話に比べ、やはり違和感を覚えるは私だけでないだろう。
特に、次の項目が???だ。
平和のために、中国はずっと平和発展の道を歩んでいく。
中華民族は一貫して平和を愛してきた。
発展がどこまで至ろうとも、中国は永遠に覇権を唱えない。
永遠に領土を拡張しようとはしない。永遠に自らがかつて経験した悲惨な境遇を他の民族に押しつけたりはしない。
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村山氏は政府とは無関係の立場で出席する予定だった。
2日夜、歓迎会に参加した後、体調を崩し、現地の病院に入院した。肺炎になりかけていたらしい。
出発前から風邪気味だったことが影響したとみられています。式典には参加せず、4日、予定されていた記者会見などもすべてキャンセルし午後の便で現在、日本へと向かった模様。←大分朝日放送
91歳の彼は、もともと高血圧の問題があった。4日の午後の便で帰国と。←香港YAHOO新聞
村山富市氏は村山談話で中国で有名だ。
1994年6月30日、自らの意に反して思いがけず自民党・社会党・新党さきがけの三党連立政権の首相に指名された村山富市氏は;
「衆議院で僅か70議席程度しか持っていない社会党の委員長が総理に選ばれた事は、憲政の常道から考えてあり得ない事だが、こうした内閣が生まれてきた事には何らかの必然性があり、歴史的な役割が課せられているのではないか、
ちょうど戦後50年の節目であり、自民党政権では解決できなかった過去の戦争の歴史認識問題など、内外の諸課題にけじめを付ける」と決意して、新政権樹立の三党合意事項に、「過去の戦争を反省する決議を行う」 との内容を 盛り込み、「50年問題プロジェクト」を立ち上げた。=>これが、村山談話の発端である。
戦後50年目の終戦記念日である1995年8月15日、村山は、「社会党の委員長が総理になった以上、この程度の談話が出せなければ意味がない」と、異議が出るなら首相辞任を暗に匂わせる形で談話の閣議決定に臨み、
内閣改造で新しい官房長官に就任した野坂浩賢も、談話に異議を唱える閣僚がいれば即座に罷免する覚悟であった。
閣議で古川貞二郎官房副長官が談話を読み上げ、野坂が「異議ありませんか」と言うと、タカ派と言われる江藤隆美総務庁長官、平沼赳夫運輸大臣、島村宜伸文部大臣を含む全閣僚(村山改造内閣)が、一言も異議を唱えず談話に署名して、満場一致で閣議決定され、村山談話を発表した。←WIKIPEDIA
村山の後を受けた橋本龍太郎首相以降、現在の安倍晋三首相に至るまで、全ての歴代内閣が歴史認識について異口同音に、この談話を踏襲する旨を明言しており、「村山談話」は意義が深いといえる。
この談話により、日中関係の進展があったと言える。
談話が発表された年には、江沢民国家主席、銭其琛副総理兼外交部長が訪日している。←日中関係歴史年表
今回の習近平国家主席の演説を読んで見ると、村山談話に比べ、やはり違和感を覚えるは私だけでないだろう。
特に、次の項目が???だ。
平和のために、中国はずっと平和発展の道を歩んでいく。
中華民族は一貫して平和を愛してきた。
発展がどこまで至ろうとも、中国は永遠に覇権を唱えない。
永遠に領土を拡張しようとはしない。永遠に自らがかつて経験した悲惨な境遇を他の民族に押しつけたりはしない。
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