「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「法輪寺」(ほうりんじ)

2006年12月15日 08時08分44秒 | 古都逍遥「京都篇」
 「難波より 十三まゐり 十三里 もらひにのほる 智恵もさまざま」

 江戸時代の中頃から広まった本尊虚空蔵菩薩に縁が深い旧暦3月13日に行われる十三参りで知られる「法輪寺」は、およそ1800年前、中国や朝鮮との文化交流が盛んになり始めた頃、すでに現在の寺域に三光明星尊を奉った「葛野井宮(かずのいぐう)」であった。
 秦の始皇帝の子孫、融通王の一族が産業、芸術の繁栄、安全守護の一族祖神として信仰があった「虚空蔵尊」と深い因縁のあるこの「葛野井宮」を訪ねて渡来、農業、製糸、染織を営んだ。一族は秦氏族と呼ばれ、一族の守護繁栄の祖神として崇敬していた「葛野井宮」を中心として発展することを祈り、その名をもとにこの地域を「葛野(かずね)」と呼んだ。
 奈良時代に入り、元明天皇(和銅6年・713年)が行基菩薩に命じて堂塔を建立、「木上山葛井寺(もくじょうざんかづのいでら)」と称し勅願所とした。

 弘法大師の高弟・道昌僧正(どうしょう)が、承和年間(834年~847年)に大堰川を修築し、橋を架け船筏の便を開き、虚空蔵尊像を葛井寺に安置。清和天皇の貞観10年(868)「法輪寺」と改めた。
 また、亀山上皇(1274~1287年)が、「くまなき月の渡るに似たり」として、通称「法輪寺橋」を渡月橋と命名した。

 JR京都駅から京都・市バス、嵐山バス停下車南へ200㍍。
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