「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「日向大神宮」(ひむかいだいじんぐう)

2006年09月21日 21時04分38秒 | 古都逍遥「京都篇」
 京都最古の宮と称されており、古くは日向宮、日向神宮、粟田口神明宮、日岡神明宮とも称し社殿は神明造で、内宮、外宮が奉斉され「京の伊勢」として名高く昔は東海道を往来する旅人たちの道中の安全祈願、伊勢神宮への代参として多数参拝があったいう。また、神社の入口の一の鳥居のところが粟田口(京の七口の一つ)に当たり、弓屋、井筒屋、藤屋という京では有名な茶屋があって、旅人たちの送り迎えが行われ賑わいをみせた。周囲の山は神体山で、日御山(ひのみやま)、神明山(東山三十六峯の一山)と称し、神域には桧、杉の老樹が繁茂し、桜、つつじなど四季を通じて楽しめ、特に秋の紅葉は隠れた名所として人気がある。

 社伝によれば、当宮は、第23代顕宗天皇(485-487:古墳時代)の御代に筑紫日向の高千穂の峰の神蹟を移して創建されたと伝えられる。清和天皇は「日向宮」の勅額を賜い、醍醐天皇は延喜の制で官幣社に列された。応仁の乱の兵火で社殿並びに古記録が焼失したが、松坂村の農、松井藤左衛門によって仮宮が造営、禁中より修理料を賜り社殿が再興された。後陽成天皇(在位1586-1611)は内宮・外宮の御宸筆の額を賜り、文化6年(1809)に外宮、同7年には内宮の遷宮に際し、光格天皇が御神宝を寄進している。
 清和天皇の貞観年間(859-77)に疫病が流行した際、当宮に勅願が行われ、「この宮地に湧き出る清泉の水を汲んで万民に与えよ」との神のお告げがありそのようにすると疫病がおさまったとある。
 建武の戦乱中、新田義貞公は、戦勝を祈願され良馬と太刀一身を奉納したと伝わる。慶長年間には、徳川家康から神領として加増され、社殿の改造が行われている。

 境内の鳥居をくぐると、社務所に神楽殿、そして外宮、一段高くなって最も奥に内宮が見渡せるこじんまりとした境内。内宮本殿は桁行正面一間、背面二間、梁行二間の神明造の建物で、屋根にはV字に見える千木(ちぎ)、鼓のような堅魚木(かつおぎ)が載せられている。外宮もほぼ同じ神明造で、堅魚木の数が一本少なく七本で、内宮の千木が内削ぎなのに対し、外削ぎという特徴がある。またその奥に岩のトンネル「天の岩戸」あり、その脇道の山道を行くと、南禅寺の裏手の奥の院に出る。人気(ひとけ)が少なくなんとなく背筋がゾクッとするような感じで怖い。
 毎年10月16日に外宮大祭、17日に内宮大祭が行われている。内宮大祭は神嘗祭にあたる祭りで、収穫に感謝し、御酒と御饌(供物)を奉じ、祭典では御神楽や人長舞が奉納される。

 所在地:京都市山科区日ノ岡一切経谷町29。
 交通:京都市営地下鉄蹴上駅1番出口、徒歩15分。
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