F1の小部屋 NEO

F1のリザルトについてあれやこれや好き勝手にコメントしてみようと思います。レース終了後1週間以内に更新(目標)。

ROUND 15 JAPANESE GP

2009年10月08日 22時57分28秒 | Weblog
1位 S.ベッテル レッドブル・ルノー
2位 J.トゥルーリ トヨタ
3位 L.ハミルトン マクラーレン・メルセデス
4位 K.ライコネン フェラーリ
5位 N.ロズベルグ ウイリアムズ・トヨタ
6位 N.ハイドフェルド BMWザウバー
7位 R.バリチェロ ブラウン・メルセデス
8位 J.バトン ブラウン・メルセデス

 3年振りにF1が鈴鹿に戻ってきました。皮肉にもF1を鈴鹿から奪い取った富士スピードウェイは、昨年限りでF1の開催から手を引くことになりました。それにしても、参戦していないメーカー(ホンダ)のサーキットではF1を開催して、参戦しているメーカー(トヨタ)のサーキットでは手を引いてしまうというのはなんとも奇妙ですね。それもこれも、百年に一度と言われる大不況のせいなのでしょうが。こんなF1に誰がした!(爆)………さて、意味不明なことを喚いてしまいましたが、ここで気を取り直して次の話題にいってみましょう。時は遡りまして、日本GPが初めて行われたのは1976年の富士スピードウェイ。この日本GP開催に当たって、バーニー・エクレストンとレース開催の契約を執り行う大役を担ったのは若き森脇基恭氏。そう、TVの解説でおなじみ、ノバエンジニアリング代表の、あの森脇基恭氏です。さて、いよいよこれから契約という時、森脇青年はエクレストンに「おまえの持っている契約書を渡せ」、と言われます。言われたとおりに契約書を渡した途端、いきなりエクレストンは契約書を破り捨ててしまいました(何だってー?)。そして、エクレストンが持参してきた契約書を渡して「この契約書にサインをしろ」と言うのです。若き森脇青年はブチ切れて、エクレストンから受け取った契約書を同じ様に破り捨てて、そのまま自分のホテルに帰ってしまいましたとさ(スゲー)。さて、部屋に戻るとエクレストンから電話がかかってきました。「何をやってるんだ!契約を済ませるから早く戻って来い!」対して森脇青年は「えっ、契約はパーになったんじゃないの?」どうやら、契約書を破り捨てたのはエクレストン流の交渉術だった様で、この後すぐに戻って無事に契約を済ませることができました(じゃなきゃ日本GPやってないですからね)。この時の森脇青年の行為をエクレストンはいたく気に入り、一緒に仕事をしないか?と誘ってきた程です。数ある日本人F1関係者の中でも、エクレストンと対等に渡り合ったのは森脇氏ぐらいのものでしょう(向こうから電話をかけさせてきたぐらいですからね)。メディアに出る時はいつもニコニコしていますが、実はスゴい人なんですよ。さて、本題の日本GPです。ベッテルがポール・トゥ・フィニッシュを決めました。初の鈴鹿でこれだけの結果を出してしまうとは、やはり並みのドライバーではありませんね。重要なのはこの勝利でタイトルに望みを繋げたということ。首位のバトンに16点差というところに迫ってきました。さて、タイトルを争うブラウンの2人のドライバーですが、両者とも予選時のイエローフラッグ無視で、5グリッド降格のペナルティ。タイトル争いの重要な局面でこの展開は痛い。しかし、不幸中の幸いというか、10番手を走行していたバトンですが、前方を走っていたコバライネンとスーティルがシケインで接触、スピン。これにより、バトンはポイント圏内の8位に順位を上げました。終盤クビサが迫ってきて危なっかしい場面も見受けられましたが、何とかポジションをキープ。焼け石に水という感もありますが、からくも1ポイントを挙げることに成功。チームメイトのバリチェロは7位フィニッシュでバトンとの差を1ポイント詰めました。ここ数シーズン、タイトル争いは接戦が続いていますが、ここまでヤキモキする展開は無かった様に思います。「失速」するバトンに追いすがるバリチェロとベッテル。シーズン前半の、バトンの飛ぶ鳥を落とす勢いはどこへやら。バトンの唯一の強味は、リタイアしたベルギーGP以外の全てのレースでポイントを挙げていることぐらいでしょうか。いよいよ、混迷の度を増してきたタイトル争い。決着が着くのはブラジルGP、アブダビGPか?まあエクレストン的には、ファンの興味が削がれないので、最終戦までもつれてもらったほうがいいと思っているのは確実なんですけどね(苦笑)。

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