東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

前川健一,『東南アジアの日常茶飯』,コメント2

2008-06-11 20:02:39 | フィールド・ワーカーたちの物語
化学調味料についての部分。
現在の若い読者が理解できるかどうかわからんので、よけいなお節介。

化学調味料、現在は「うまみ調味料」「アミノ酸類」と表記される調味料グルタミン酸ナトリウム、つまり商標名をいえば「味の素」、東南アジアで「アジノモト」と呼ばれる調味料のこと。

本書で述べられていることが、現在も続いているのか判断不能だが、日本の企業である味の素(株)の製品が、日本の東南アジアへの経済進出の代名詞として用いられていたのである。(味の素KKのサイトによれば、1960年にタイ、1961年にマラヤに現地法人設立。まったく話がそれるけど、カルピスも味の素が総発売元になったんですね。)つまり、日本の企業による、東南アジア市場進出、現地の文化への干渉、現地の文化の破壊の象徴として、「アジノモト」というものがあったわけだ。(何十、何百もの旅行記に、路上で「アジノモト!」と叫ばれたという経験が載っている。)
本書で解説されているように、「アジノモト」は必ずしも日本製ではなく、むしろ現地産のグルタミン酸ナトリウムであることが多い。(『ナツコ 沖縄密貿易の女王』では、沖縄ではアメリカ製化学調味料があったという話が載っていたが、日本での特許権の範囲外にあった事情によるのだろうか?)アジノモトが東南アジアに広く普及したのは、日本企業の暴力的な市場支配によるものではなく、受け容れる側の味覚・嗜好によるものが大きい。と、いうのが、まあ、現在の順当な見方であろう。
つまり、日本企業が東南アジアの文化を蹂躙したわけではない、ということ。これは確かであって日本企業ごときに破壊される伝統文化なら、破壊されて当然である。彼らはそれほどヤワではないし、一方的に蹂躙されるわけがない。

さて、これからがわたしの意見。

まず、アジノモトを日本企業独特の市場支配とみる考えはおかしい。グルタミン酸ナトリウムはむしろアメリカ風レストラン、ハンバーガーやフライドチキンに用いられ、しかも日本製ではない。(白人旅行者向けの情報として、MSGつまりグルタミン酸ナトリウムが含まれている料理が多いのでアレルギーに注意なんてのが、ロンプラに載っているが、それじゃアメリカなんかではどうなるのだ?)

しかし、しかし、グルタミン酸ナトリウムが東南アジアの嗜好を踏襲しているとはいえ、やはり味覚を破壊しているのは確かではないか?

著者の前川健一さんが最新号の『旅行人』2008年下季号(№158)にラオス旅行記を載せている。
そこで、ビエンチャンとルアンパパンの食堂で、卓上に化学調味料が置かれている、という事実を報告している。(p109)
異常な光景であるが、実は、日本でも1960年代ごろには普通にみられた光景なのである。

今でこそ日本では、化学調味料を大量に使うことは、ダサい・間違っている・貧乏臭い・健康的でない・安っぽい、という認識が広まっているが、むかしは一般の食堂で卓上にコショウや醤油といっしょに化学調味料の結晶を入れたビンが置かれていたのである。
実は、統計上は日本でのグルタミン酸ナトリウムの消費は減っているわけでなく、加工食品や調理済み食品にはアフリカゾウも痺れるくらいのグルタミン酸ナトリウムが含まれているのだが、みんな平気で食っている。ヘルシーだの自然の味だのと銘うった食品や食物屋でも、グルタミン酸ナトリウムは大量に使っているのである。でなきゃ売れない。お一人様ウン十万円の料亭でもアリゲーターが痺れるくらいのグルタミン酸ナトリウムをぶち込んでいるのだ。

と、悪態をついたが、実はグルタミン酸ナトリウムに神経質になるのは、わたしが歳をとったせいかもしれない。(情けない話だが、できあいの惣菜のグルタミン酸ナトリウムが濃すぎて、食ったあとぐったりする。)
食物についてうまいだのまずいだの神経質になるのは老衰した証拠。むかしは、日本人みんな食物にグルタミン酸ナトリウムの結晶を振りかけてジャリジャリ食っていたのである。
ラオスのビエンチャンやルアンパパンで、食堂にグルタミン酸ナトリウムの容器が陽気に自己主張しているのも、ある意味で健康な状態かもしれない。

コカコーラなんかも同様だが、昔の日本でかっこいい、文化的!と見られていたものに東南アジアで出会って、懐かしいなあ、タイムスリップしたみたいと思うことがある……。こんな風に感じるのもある種の偏見であるのだが。

前川健一,『東南アジアの日常茶飯』,弘文堂,1988

2008-06-11 19:59:51 | フィールド・ワーカーたちの物語
東南アジアについて、日本側からの見方を決定した書物だ。
わたしにとって、ずっと座右の書。日常生活がいやになって、どっか遠くに行きたいと思うときひもとく本である。

路上観察と書物による知識で東南アジアを知ること、うわっつらのインチキ伝統ではなく変化していく都市の生態として文化を捉えること、情報源をきちんと明示すること、しかも、自分の見た事実にこだわること、すべてこの後の東南アジア本の方向を先取りした書物である。

著者は、この後、『バンコクの好奇心』『バンコクの匂い』『まとわりつくタイの音楽』など、タイを焦点にした著作をたくさん出して、タイ・ブームの先頭を切ったが、(ああ、こういう言い方は、著者には不愉快でしょうね)、この『東南アジアの日常茶飯』は、東南アジア全般に目を配り、路上観察の楽しさを伝えた書物であった。と、今現在思う。

1988年の段階で、本書を手にした日本の読者は本当にラッキーだった。
たとえば韓国と比べてみる。韓国の食い物に関する本は、純学術的なものから、トリビア雑学満載のものまで、東南アジアよりもずっと幅広く深いと思う。しかしまた、あまりにも出版点数が多いため、玉とクズをよりわけるのが大変で、結果的に、誤解に誤解を重ねたもの、偏見に偏見を重ねたものがはびこることになっていった。(やっと最近、プルコギなんて甘ったるくてマズーイなんていう声も届いてきたが、ちょっと前までは、「韓国料理は辛くてもおいしい」なんて偏見がいっぱいあった。今では、「辛いからおいしい」、さらに「韓国料理は別に辛いものばかりではない、辛い辛いと言うな!」という位置になっているようだ。)

さらに、本書で特筆すべきことは、東南アジアの都市の文化に目を向けたことである。プロの学者が農村漁村フロンティアを研究することは、貴重な情報であり、学問の領域としてはまったく正しい。しかし、東南アジアは同時に都市が発達した地域であり、イナカや自治都市の伝統がある地域とはまったく異なった都市が存在する地域である。ということは後に知った知識であるが、本書は、そのことを具体的に示してくれたものだ。
交通渋滞・無秩序な都市開発・西洋の模倣といった一見否定的に捉えられがちな都市の魅力を描いた本であった。
学者にしろ企業の駐在員にしろ観光客にしろ、大部分が都市に滞在しているにもかかわらず、自分が見た都市をなぜか例外的で本質的ではないように感じていた偏見を破壊した見方である。

という意味で、東南アジア本のマイルストーン。