東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

小泉文夫 その3

2007-08-20 08:55:42 | フィールド・ワーカーたちの物語
前項のような「未開」の地での調査も学術的に価値が高いが、やはり、われわれ普通のものに楽しめたのは、音楽文化が豊かな地域からの音であった。

南インド・北インド・ベンガル・ジャワ・バリ島・イラン・トルコ・ルーマニア・ブルガリア、といったユーラシア大陸の東西南北。
乾燥地帯の民族、南の海岸にそった民族、インドの各地、これらの地域の芸術家、専門家、あるいは観客や見物人に見せることを前提にした芸能が、やはり聴いていておもしろい。
これらは、もうCDやウェブでどんどん聴けるようになったので、ここでは省く。

そんななか、小泉文夫自身だったら楽しめたろうな、と思うのが「高砂族の歌」、台湾原住民の歌である。
キングレコード GXC-5002 『高砂族の歌』 として市販。
録音は1973年、CDや50枚組セットに収録されているのと、同じ録音だと思う。

10の部族すべてを収録だから、各部族の収録数も時間も少い。
しかし、解説を読めば、ひじょうに多様で、自由リズムの独唱から拍節的な独唱、拍節的合唱、自由リズムの合唱があり、合唱もユニゾンから平行オルガヌムやドローンを加えたもの、カノン形式などポリフォニー、あるいはハーモニーを持つものがある。

と、書いていくと、ちょっとちょっと、台湾の歌を、そんな西洋の基準でとらえるのか、と疑問・批判がわきそうだ。

しかし、この場合、これでいいのだ。

小泉文夫という人は西洋音楽の基準・美学の圏外にあるさまざまな音を紹介した人であるが、同時に西洋的な科学的論理的基礎もしっかりできていた人だと思う。
むこうの国の偉い人や官僚が嫌うような僻地にでかけ、原住民の村の長老に挨拶し、どっかと上座にすわり、(というようなイメージを平岡正明が書いていたっけ)無心で楽しめる人徳も持っていた。
わたしなんかは、この録音された歌をとても楽しめないが、小泉文夫自身はなんの違和感もなく楽しんだのではなかろうか。
それに、なにより、西洋西洋というが、ポリフォニーの伝統を維持したゲルマン民族も焼畑農耕民ですからね。

というような融通無碍な人が小泉文夫であった。
が、それがちょっと困る部分もあったな。

よい例が、この『高砂族の歌』というタイトルだ。
台湾のオーストロネシア語族の人々は、「山地民」「山胞」「先住民」という呼称を嫌っている(「熟蕃」だの「生蕃」という用語は論外!)。同様に「高砂族」という呼称も迷惑な呼び方である。
それを堂々とつかうのは、ちょっと無神経ではなかろうか。
客人に対して、礼をつくす人たちが、そんなこまかいことを気にしないにしても。

あるいは、たとえば、「ガムラン」というカタカナ書き。
小泉文夫自身が「ガメラン」のほうが現地の音に近いと知っていながら、語感が悪いといって「ガムラン」という表記を続けた(と、本人が書いている)。
そのため、「ガムラン」という表記が定着してしまったではないか。今打っているIMEスタンダードも「ガムラン」は一発でカタカナ変換になるのに、「ガメラン」はへんな文字に変換される時がある。
まったく困った人だ。

死後、評価が高まるとともに、限界も指摘された。
ポピュラー音楽に関心がなかった、という問題など重要だが、今はおいておく。
上記の困った点は、彼の人徳のうち、笑って許そう。

しかし、彼の晩年、といっても50代前半であるが、しだいにある種の壁ができていたようにおもえる。
以下、故人に対していささか礼を逸するが、書く。

マス・メディアを通じた小泉文夫の活動で、われわれは異郷の未知の文化に遭遇できたわけだが、一方で小泉文夫自身は、さまざまな会議・組織・イベントに参加し、猛烈に忙しくなった。
その中で、彼は、音やパフォーマンスばかりでなく、現地の気温や湿度を肌で感じながら音楽・芸能を観るイベントをつくりたいと言っていた(不正確な引用ですみません。ラジオの放送だったか。)。
しかし、これは、無理な方向ではなかろうか。
そして、わたしは、彼が病床に伏してからの苦しみ、手帳の予定に次々と横線が引かれていく、という苦しみを思う。
びっしりと予定が書きこまれた予定が、自分が関与しないまま過ぎていく苦しみ。

しかし、この点こそ、彼が病魔を招きよせた元凶ではないか。

彼が紹介したさまざまな驚異、華麗な響き、朗々とした歌声は、なにもすることがない、という退屈な日常から生まれたものではないのだろうか。
温度や湿度を同じにしても、共有できないものがある。

小泉文夫という人物は、貧富の差、世界中を移動できる者と一生うまれた地を離れられない者の差、膨大な教養を持った者と生活技術だけを持つ者の差、こんなさまざまな地球上の不均衡をのりこえて、いっしょに歌や踊りを楽しめる才をもった人物であった。

しかし、越えられないのは、時間の差、忙しくはたらく者と暇で暇でうんざりしている者の溝ではなかったろうか。

*****

小泉文夫が死去した1983年の12月、NHK-FM の「世界の民族音楽」で、追悼特集があった。
それをカセット・テープに録音したのをまだ持っている。
以上の内容は、この放送内容も参考にした。

他に、
岡田真紀,『世界を聴いた男・小泉文夫と民族音楽』,平凡社,1995
を参照。


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