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東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

矢野暢,「「山田長政」神話の虚妄」,1991

2007-08-24 17:10:00 | フィクション・ファンタジー
矢野暢(やの・とおる)編,『講座東南アジア学 10 東南アジアと日本』,弘文堂,1991.所収。

題名どおり、「山田長政」という架空の人物が造形される過程を論じたもの。
史料の問題は、あとにまとめて書く。

論考の重点は、明治時代の海外雄飛の夢、空想的な南進論の中から「山田長政」という人物の伝説が生まれ、それが大正・昭和時代の国策としての南進論のなかで、強化された、ということ。
最初は、静岡県の反中央政府運動、自由民権のシンボル創りからはじまったこと。
さらに後年、ファンタジーとしての「山田長政」小説や歌、伝記が数多く出版されること。

日本語史料は次の1点のみ。

京都・南禅寺金字院所蔵『異国日記』。
ここに山田仁左衛門長正という人物から、老中本多正純に届いた書簡の記録がある。シャムに、この名の人物がいて、鮫本と塩硝二百斤を進上する、という内容。
この記録のほかには、御朱印状台帳にも記載なし。

江戸時代の文献で、「山田長政」に言及したものは、
智原五郎八『暹羅国山田氏興亡記』、『暹羅国風土軍記』
記述は見てきたように詳細だが、伝聞のさらに聞き書き。なまえは「山田仁左衛門」である。

もうひとつ
天竺宗心『天竺徳兵衛物語』
「天竺に山田仁左衛門と申仁有之、シャム一国の王なり」という記載あり。
この山田仁左衛門という人物の記載はたったの6行。
しかも、作者96歳(!)の作(?)

近藤重蔵『外蕃通書』
智原五郎八の著作を「冗長ナリ」とする。新井白石と北島見信に準拠するが、結局、確実な史料としては、最初にあげた『異国日記』しかない、ということになる。

もうひとつ、こまったものが
平田篤胤『講本気吹颫(いぶきおろし、おお、IMEパッドにあった!)』,文化5年(1808)
「大日本魂の人の、外国に渡りたる時の、手本ともすべきこと」として「尾張人山田仁左衛門」を海外雄飛のモデルとしたもの。
この作品、もちろん完全にファンタジーだが、これが「山田長政」イメージの原型となる。
やれやれ、ここでも平田篤胤かい。この人を祀った神社がうちから歩いて10分ほどのところにあり、生誕碑もさらに5分ほどのところにあって、いわば郷土の偉人であるが、イナカ者の妄想一直線のような人物だなあ、ははは。

しかし、ここまでは「山田長正」という空想上の人物のおはなしである。(平田篤胤に罪はない、イナカ者のファンタジーとして大目に見てくれ)
それが、「山田長政」(以下めんどくさいのでカッコをはずす。)という実在の人物になるのが、明治時代である。

まず、静岡県で、郷土の英雄として、山田長政の碑を建立する計画がもちあがる。自由民権運動、反中央の運動のイメージ・キャラクターとして山田長政をもちあげたイベントだが、そこで小冊子、
関口隆正,『山田長政傳』,明治25年
が刊行される。
この山田長政=静岡出身の英雄というイメージつくりには、清水次郎長や新村出も関与していたようだし、京大教授・内田銀蔵も協力する。

(山田長政・静岡県出身という根拠についての長い長い注があるが、省略する。ウソっぽい肖像画や「日本義勇軍行列」という画像史料についての注もあり。)

さて、台北帝大系の学者も、山田長政イメージつくりに協力したのだが、同時に実証的研究もすすむ。
そのなかで、岩生成一がオランダ語文献から御朱印船時代の南洋日本町の研究が高名。
その『南洋日本町の研究』,1940.で、ファン・フリートの手記中の「オークヤーセーナーピムク」という日本の武将が山田長政らしい、という推測がのべられる。

ファン・フリートの手記の信憑性をおいておくにしても、この手記の中には、ヤマダナガマサという日本名はない。(他の日本人は日本名とタイの官職名が記載されているのに)
つまり、たまたま、日本名の記されていない謎の人物がいたから、山田長政と結びつけた、といってよい。

ちなみに、タイ語史料には、まったく現れない。(信用できない人は自分で研究してみよう!)

岩生成一の研究は、別に山田長政の研究ではなく、膨大な史料を渉猟したうえでの、東南アジア全体の日本人の活動の記録であるが、その中の、ほんの少々の記述が、山田長政伝説を補強する結果になる。

矢野暢は、岩生教授の史料分析が、少々不注意だと指摘している。

(また、1911年シャムに渡り、タイ宮内省の工芸技師としてはたらいた三木栄という人物が、岩生教授にオークヤーセーナーピムク=山田長政説を教えたという推測も述べられている。)

しかし、もう大正・昭和になると、山田長政の実在化には歯止めがきかない。
なんと、大正天皇即位大礼を記念して「山田長政」が従四位を追贈されたそうだ。つまり、死後、朝廷の臣下に任命された、ということ。もちろん、実在の人物としてだ。
そして、国定教科書に登場し、軍歌がつくられ、伝記が書かれる。

*****

本書の責任編集者であり、シリーズ全体の企画・編集代表の矢野暢は、京都大学東南アジア研究センター在籍時、スキャンダルを起して有罪、辞職(だったと思う、どうでもいい。)。
そのためか、この人の過去の著作は再版されないし、業績も忘れられようとしている。
しかし、この一編だけでもわかるように、重要なトピックを扱った研究者だ。
まあ、いろいろ問題発言もあったようだが、それと本業の業績は別だし、事件が有罪か無罪か冤罪か、というのも直接関係ないことでありましょう。

ただ、このトラブルのため、心労で土屋健治が体調を悪くしたのではないでしょうね?高谷好一などがセンターを離れたのは、この事件のせいでしょうか?

*****

ここまで書いてウェブをサーチしたら、山田長政伝説、非実在に関するページはたくさんあるんですね。
もっとも、実在を疑わないむじゃきなページやコメントもいっぱいありますが。

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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ヤマダナガマサなんて居なかった (通りすがり)
2007-08-31 13:41:58
 我が意を得たり、、でも、コメント無いので、、劣勢ですね。
 もっと彫りさげてくださいよ。
返信する
Unknown (Unknown)
2009-08-27 22:37:43
>ただ、このトラブルのため、心労で土屋健治が体調を悪くしたのではないでしょうね?高谷好一などがセンターを離れたのは、この事件のせいでしょうか?

たぶん、違うんじゃないでしょうか。ホントの通りすがりですが、妙なことを気にするもんだと思いました。
返信する
ちょっと調べてみました (Unknown)
2009-08-27 23:00:57
矢野さんの事件はセクハラとかスキャンダルとか言う生易しいレベルのものではなかったと言う話を聞いていたので、ちょっと調べてみました。

http://d.hatena.ne.jp/somnu-ambulare/20090514/1242250018

なるほど、時期的に、高谷さんが京大を離れたのは関係ありそうですね。
返信する
で、山田長政ですが (Unknown)
2009-08-27 23:32:13
要は、日本の南進の過程で、曖昧だった山田長政が武断的英雄とされていった、と言う矢野センセお得意のお話ですな。どうも自説のプロパガンダの匂いがプンプンしますが。

返信する
すいませんね何度も (Unknown)
2009-08-28 02:07:47
なんだか面白くなっちゃって。

山田長政が実在するかどうかって話は、これは静岡県民が顕彰したとか、平田篤胤が与太飛ばしたとかは余計な話で、純粋に岩生と矢野の歴史史料の扱いの問題として捉えるべきだと言うことでね。

タイ語文献には山田長政の名が出てこないと言っても、そのタイ語文献の史料としての性格が分からない以上、素人に判断ができるはずもない。

必要以上に矢野自身が歴史史料を読み解く能力を、高く評価する義理もないし、純粋に史料の問題となれば、いずれ学問的に解決されるのだろうと思う。

で、矢野がなぜ、山田長政にこだわるかと言うのが、下のコメントで述べられている。
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 密航してシャムに渡った二流の商人「山田長正」は、あるいは実在したかもしれない。それ以上の存在ではなかったことは確かであろう。だが、山田長政はつねに武断的英雄として描かれてきた。そのこと自体、望ましい歴史学的認識の破綻を意味しよう。それよりも、日本人は江戸から今日にかけて、なぜ東南アジアとの関わりにおいて「山田長政」を必要としたのか、それこそが問題であろう。アジア事情にうとい日本の政治的知性の、むしろ知識社会学的問題として、その点は問われねばなるまい。私たちは、南進論的思考をこの際きっぱりと超克すべきであろう。ことしは、まさにそのための年なのである。

山田長政は実在したか-日タイ修好百周年に寄せて- より部分抜粋
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ここで問題なのは、「山田長政をつねに武断的英雄として描いてきた」のは誰かと言うことでね。少なくとも矢野が学問的に白黒決着をつけるべき岩生のことではあるまい。

というか、矢野は昔から自分以外はみんなバカと言うようなヤツだと言う評判だった。上の方で紹介したサイトに書かれているようにね。
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コメントありがとうございます (y-akita-japan)
2009-08-30 19:15:23
ご訪問感謝。(同じ方ですよね。)

まず、岩生成一の研究については、わたしのような者が判断できるわけがないので、この部分は軽率な書き方ですね。

それから、高谷さんや故・土屋さんについては、ヤジウマ的な関心です。不謹慎だけど、こういう関心ってのは押さえがたい。ブログで発表するような話題ではないかもしれないが。

矢野教授が、この論文を書いた動機は、当然訪問者様のおっしゃるとおりだと思います。
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