東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

高谷好一,『マングローブに生きる』,日本放送出版協会,1988.

2006-04-25 22:40:32 | フィールド・ワーカーたちの物語
いったい「ムラユ」といわれる人々はどこでどんな暮らしをしているのか?
すでに卓越した業績をあげている著者が、地質や農業のことからはなれ、海と森に生きるムラユの世界にのりこんだ記録である。

最初、高谷さんはスマトラのリアウ州、インドラギリ川下流のマンダの村をおとずれる。
サゴ洗い、森林物産採取などの生業を見聞し、呪術師マジョリ翁の話をきく。(さすがの高谷さんも、呪術師の術にあてられる。)

次に河口の村、ブカワンにむかう。
ここは、ムラユの漁村であるが、ほかに漂泊海洋民だったオランラウトが定住し、福建系中国人の漁民も住んでいる。
福建系の動力船をつかった規模のおおきい漁法で、ムラユの漁獲は打撃をうけ、下働きの賃労働や出稼ぎをしている。
オランラウトの人々は、政府の政策によって定住しているものの、一年の大半はよそにでかけ、人口も世帯数もよくわからない。

著者は迷う。
これは、調査地の選定をまちがえたのではないか?
ムラユをもとめてやってきたものの、どこにも伝統的なムラユの生活はない。
いったいぜんたい、ムラユとはなんなのだ?

ブカワン村の長老、アブドル・ガフン氏の話が紹介される。
パレンバンで生まれ、2歳でタンジュンダトゥに移る。
12歳からシンガポールで船員修行、23歳で自分の船をもって独立、ブリギンラジャからシンガポールへエビ輸送(薪で動く日本製の船、氷をつかって生エビを運ぶ)。
1945年から外洋船の副船長になり、ジャカルタ、ティモールを往復。
1948年から日本に屑鉄を売り、セメントを輸入する会社をつくるが失敗。
1950年からオーストラリアに行き、真珠とりのダイバーになる。
1年でやめてシンガポールへ、1957年からスンバワ、1960年、やっとここブカワンでココヤシ栽培をはじめる。1970年から80年までブカワン村の村長。

これが典型的なムラユ世界に生きる人の人生なのだ。
この村で生まれ、この村で死ぬ男はほとんどいない。
次から次と仕事をかえ、事業をはじめてはつぶし、旅の先々で妻をつくってこどもをもうける。

福建漁民の横暴にいかりを感じたを著者は考えなおす。
ムラユの人々にとって漁業はいろんな選択肢のひとつにすぎない。
自分たちより効率的に漁業をやる連中がきたら、それはそれでしょうがない。
ムラユの人々にとって、こうした競合者、闖入者は、さいしょから折込ずみのことなのだ……。

この海域に住むのは、ミナンカバウ人、バンジャール人、ブギス人、中国人、ジャワ人などよそ者の集まりである。
アブドル・ガフン長老のように動きまわる人、気性が荒く海賊のようなブギス人、進取の気性に富むバンジャール人、礼儀しらずで金儲けばかりの中国人、こつこつ地味なしごとを続けるジャワ人。

こんなふうにステレオタイプで捉えることも一応理解を助ける。
しかし、実情はそんな簡単なものではない。
南カリマンタンからやってきたバンジャール人もスク(血筋)がちがうと違う言葉を話している。ココヤシ栽培、稲作、商売人と儲けのやりかたも違う。
南スラウェシからやってきたブギス人といっても、ワジョとブルクンバではぜんぜん言葉も気質も違う。
中国人というのも、すでにインドネシア国籍をもって何代も前から暮らしている人々であり、英語やインドネシア語でコミュニケートする人々である。
では、昔は伝統的なムラユの生活があったのだろうか?

第3章 海とスルタン 

ここで現在のスラットパンジャン、昔のトゥビンティンギ王国の歴史が語られ、さらにトゥビンティンギ王国の権威の前身であるシアク王国の歴史が紹介される。(貴種流離譚のように、トゥビンティンギ王国はシアク王の血筋を継ぐ王子によって開かれたという伝説がある。)
この部分、歴史書にあらわれる、王、海軍長官、王宮、家臣団、といった言葉を理解するのにたいへんに参考になる。

シアク王国の人口は1万から2万であった。
広大な南スマトラを支配した王国といわれているが、実態は、シアク川下流のほんの一部を支配しただけである。
中核区は全体の三分の二以上の人口をもつが、彼ら全部が王が自由にできる臣下ではない。ミナンカバウ人がそれぞれのスク(血筋、母系集団)ごとに自治機能をもち、首領をいだく。
そのほか、山住みの森林物産採取民も住む。
王の直属のしもべは1000人ほどである。

さらに海軍長官(ラクサマナ)は独自の領地をもつが、王の血筋でもないし、中核区の住民とも縁のない、雇われ軍、傭兵である。
ほかに副王、内務大臣、貿易大臣がいる。
王は傭兵をそなえた、合名会社の社長のようなもんである。
さらに東南アジア一般にいえることであるが、王というのが、異人、つまり、アラブやヨーロッパの血をうけついだマレビトなのである。

そして、王宮や港の権威がおよぶのは、川筋の狭い地域だけで、あとはトラやオランブニヤ(森におばけ、残念ながら絶滅危惧種らしい。動物学者による生態研究は行われていない)の住む森である。

第4章では、プランテーション時代の変化。

世界的なゴムの需要から、マレー半島はほとんどゴム・プランテーション化し、全世界のゴム生産の大半が東南アジア産となる。
ブラジル産のゴムがなぜ東南アジアの主産物になったのか?
それは、東南アジアが大人口に隣接し、移民労働を受け入れる条件がそろっていたからである。
その一方、ゴムはアブラヤシやサトウキビと違い、小規模の経営でも可能な(利益がでる)植物である。
南スマトラでも小規模なゴム栽培がひろまった。
もうひとつ、ココヤシの栽培もはじまる。
この二つ、もともとこの南スマトラには自生しない植物である。
導入をはじめたのはムラユやブギス、ここでジャワからの移民がふえる。

第4章、第5章の記述をまとめジャワ島からの移民について。

オランダ時代からジャワ人をスマトラ島に移住させる政策があったが、独立後、トランスミグラシという名のもと、大量の移民がスマトラにながれこむ。スマトラばかりでなく、スラウェシやカリマンタンにも移住して、いろいろな問題が生じている。
政府の机上の計画によって、とても人間の住めないようなところに移住させられるジャワ人がいる。(一方、カリマンタンなどで、焼畑民との間で軋轢が生じる場合もある。)
その一方で、ジャワ人は根気強く働き、果実や野菜を植え、庭をつくり、荒地を耕地に変えていく人々でもある。
うつり気なムラユや気性の荒いブギス、美学のない中国人に比べ、ジャワ人はまったくえらい。
しかし、将来的にもうまくいくかというと、やっかいな問題がひかえている。
農業が専門の著者であるから、海岸近くの湿地を米作地帯にしたサワ・パッサンスルットの解説もわかりやすい。しかし、この新技術が通用する環境はそれほど広くない。
スマトラの地図をみて、この広大な低湿地が全部稲作地帯になるなんて考えたらおおまちがいで、泥炭地帯など、まったく農耕は不可能なのだ。
ココヤシの栽培も、一作目、二作目はよいにしても、はたして三作目め(最初の開拓から40年目ぐらい)に耐えられるか疑問である。
将来のみとおしは明るくない。
トランスミグラシ政策も、60年代の人口緩和政策としての移民は無駄である、という認識がみとめられてきているようで、移民は地域開発のため、人口緩和は産児制限で対応すべきという政策になっているようだ。

というように、よそ者が集まり、この土地でうまれた者が離れ、つねに人々が移動しているムラユ世界も、ここにきて人口過剰な世界、土地が価値を持つ世界に変化しつつあるようだ。
人類にとって最後のフロンティアがヒトでうまってきているのだ。

本書で著者とともにインドラギリ流域やリアウ諸島の旅をした読者はムラユ世界がどういうものか理解できたであろう。
きまぐれで、ギャンブラーの生きかたをするムラユ、海賊のような密輸や非合法な仕事、堂々とした世界観、そうしたものを理解できるはずだ。
一方、乱暴で恐ろしげなブギス、乱雑だけれど世界に通じる生きかたをする華人、しんぼうづよく庭園や菜園をつくるジャワ人も理解できるはずだ。

著者の調査の態度はまことに礼儀ただしく、正直である。
世話になった長老やインフォーマントや通訳の青年の名前もちゃんと書いているし、ちょっとアブナイ呪術師のマジョリ翁にも敬意を表した対応をしている。

もっとも東南アジアらしい東南アジアを描いた傑作である。

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サワ・パッサンスルットについて

いろんなところで解説されているが、本書の記述が背景を含め一番わかりやすい。

潮汐灌漑田と訳される。満潮時に、川の水が逆流するのを利用して田に水をひく。
田といっても、厳密にいうと日本のような水田ではない。畔がないのである。つまり、水をためた水田ではない。焼畑の一種である。
焼畑の一種といっても、山腹の焼畑とちがい、乾燥した林に火をつけたりしない。
湿った地の木を切って、耕地にしたわけであるが、犂も鍬もつかわない。
しかし焼畑のように種植えではなく、苗代をつくって苗を育て、(育った苗をさらに苗代に植え替える二段階の苗つくり)、移植する。つまり田植えをする。
収穫はほづみ。鎌でいっきに刈ってしまうのではなく、完熟した穂だけ刈っていく。これは、いっきに刈ってしまうと、乾燥ができず、その間に雨がふると籾が発芽したりカビがはえたりするからである。
このように、灌漑・田植えをする湿地の焼畑がサワ・パッサンスルットである。

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母系社会について

ムラユといわれる人々、ミナンカバウなど、母系社会である。
本書は男の世界ばかり注目した内容であるが、高谷さん、最後に母系社会のことにもちょっとふれている。
母系ということは、女が土地や財産を相続する社会である。
一見、おんなのほうが得な印象をうけるが、男が出稼ぎ、海賊、行商、移民、そのほか外の世界をほっつき歩いているのに、女が土地を守って、動きがとれない社会なのだ。
しかし、一方、外の世界からやってきたものが、土地の女と所帯を持ち、こどもをつくっていくと、みることもできる。
つまり、この世界でうまれたこどもは、遺伝子的にみると、外の世界からやってきたものがどんどん蓄積されていく世界なのだ。
「中国人」「アラブ人」「ブギス人」という言葉を使うとき、このことに注意しよう。


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