東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

三島由紀夫,『暁の寺』,新潮社,1970

2007-08-15 13:40:33 | フィクション・ファンタジー
文庫は新潮文庫、1977.改版2002で読む。

なんじゃこれは!
小説としてめちゃくちゃではないか。
前半のタイとインドへの旅、輪廻転生をめぐる思索というより妄想。
後半の戦後風俗、主人公(といっていいですね)本多の精神的変化。
これがぜんぜんつながっていないのではないですか。

タイ・インドの描写は、作者の体験がナマで出すぎている。
今こんな描写をしたら、噴飯物だろう。
一方、戦後の本多をめぐる人物たちは俗物ばかりで、このような人物を配置しないと、そして本多を億万長者に設定しないと、物語は進行できないのですか。
第1部の重要人物・蓼科、1部2部通じての重要な人物・飯沼の落ちぶれた姿がほんの少し登場するが、こんなことをいちいち物語中に組み込む必要があるのか。

本多のジンジャンに対する思いも、老いの妄執、と一言で片付けられるようなもので、この主人公・本多の年齢・体力の衰えを実感できるわたしにでさえ、まったく感情移入できない。
感情移入など必要ない小説ならそれでいいのだが、そんな話ではないでしょ。
『春の雪』『奔馬』の人工的設定は効果的だったが、この第3部『暁の寺』になると、リアリティのなさが欠点になって、文学作品として楽しめない。

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以下、内容に関する重要なネタバレがあるので、未読の方は注意

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内容を論じるといっても、別に深い感想はない。
ウェブで検索したら、登場人物の俗物文士のモデルが澁澤龍彦だという情報があったがホントですかね。わたしは、てっきり沼正三だと思って読んでいたのだが。
まあどうでもいい。こんなどうでもいいことにこだわりたくなるような設定。

あと、現在の若い読者に理解できないでしょうが、同性愛にひじょうな禁忌があって、同性愛者は異性愛を持たないという迷信がはびこっていたのだ。
この俗信をわかっていないと、本多の妻・梨枝が隣室の光景をみて安心した根拠がわからないでしょ。

そして、最後にジンジャンに双子の姉がいた、という事実が、その姉の口から伝えられる。
まだ第4部を読んでいないので、このことが(現世的な意味で)事実なのかどうか不明。
シャム双生児のミステリか?

しかし!南方から来た双子の美少女といったら、こりゃモスラだ!
先日(8月1日)レビューした『モスラの精神史』でも触れてないな。

『暁の寺』がタイを舞台にした小説だとうわさに聞いていたから読んでみたわけだが、ほとんどタイの情景はないではないか。
日本軍コタバル上陸直前に主人公本多は日本に帰り、のんきにインド思想だの輪廻転生の本ばかり読んでいたわけだが、それでいいのか。ジンジャンの住む薔薇宮(ちなみに、このふりがなのない固有名詞はなんとよめばいいのだ?)が爆撃されているかもしれないぞ。