東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

白石隆,『海の帝国』,中公新書,2000

2007-08-03 11:04:39 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
東南アジア・東アジアの政治・外交を200年の単位で論じたもの。
ブリティッシュ・ヘゲモニー、つまり大英帝国のアジア全域支配の完成した時代から、20世紀末までを視野にいれる。

というと、もう山ほどある歴史関係著作の中に埋もれるような退屈な本のように思われるだろうが、違う。

まず、この期間の歴史をまとめた本というのは、ひじょうに少ない。
とくに日本人の著者による、短くまとまった本がない。

理由は、まず、著者が指摘するように、歴史学者はもっと長い時間スケールでものを考えるということ、政治学者や経済学者は、もっと短い20世紀後半に焦点をあてるためである。
また、ブリティッシュ・ヘモゲニーの時代は、ヨーロッパ史の一環として、あるいは中華文明の危機、日本の明治維新、といった方面に目がいき、東南アジアはその他支配された国としてひとまとめに捉えられがちであるためだ。

さらにおおきな理由、この時代を扱った本が少ないのは、東南アジア史を支配と抵抗の歴史とみる従来の史観から自由になろうという、歴史学界の傾向がある。
また、独立・内乱・独裁・経済成長などを論じるものは、どうしても一国の政治・外交を中心にしてしまう。

あるいは、著者が在籍したコーネル大学の重鎮ベネディクト・アンダーソンのように、「国家なんてもんは幻想である。」といった大上段の見方をして、個別の事情を無視してしまう史観もある。
東西冷戦の終結で、旧ソ連・イスラームの問題が世界の焦点になると、東南アジア研究なんかに誰も資金を援助しなくなり、アメリカ合衆国内の東南アジア研究は、予算的にも方法論的にも打撃を受けた。と、著者が回想している。

こういう時代に、著者は、東南アジアの国家形成、外交、アメリカ合衆国の覇権を軸に21世紀の東南アジアを捉える視点を模索する。

*****

ラッフルズの登場から、ブギス人と華人の関係、オランダ東インド会社の変貌、複合社会の形成、植民地世界の形成など、ひじょうにわかりやすく説かれている。

さらに、20世紀後半の国民国家の建設も各国の困難な事情を、簡潔に論じる。

そして、日本の立場として……
著者は冷静というか、客観的というか、次のようにはっきり規定している。
日本はアメリカ合衆国のジュニア・パートナー、アジアの兵站基地、アメリカの覇権の下のナンバー・2である。
アメリカの覇権から独立し、新秩序を作るなどということは、およそ現実的ではない。

アメリカの覇権に異議を唱えることができる国家は中華人民共和国だけである。

最終章の今後の展望は、現在の秩序を安定させること、インドネシアなど問題の多い国家を市場経済・民主主義の枠の中に落ち着かせること。
あるいは、(本書での記述は少ないが)ベトナムやミャンマーを暴走させずに市場経済圏に落ち着かせること。
以上のような平凡で現実的な選択である。(平凡で現実的なことが、必ずしも実現しやすい、とは限らないが。)

というわけで、ASEANなどの国境をこえた合意組織、多国籍企業の覇権があるとはいえ、現在の世界は、個別の国家の存在なしにはすすまない。当分、現在のような、アメリカ合衆国の覇権の下で、東アジア・東南アジアの各国が、安定して経済成長するように考えるしかない。

というような、夢も希望もない(?)結論。

このようにまとめると、ひじょうに退屈な本である印象を与えるが、結論部分を無視すれば、200年の東南アジア世界の構造を知る、抜群におもしろく、読みやすい一冊。

なにより、「まんだら」「朝貢貿易システム」「複合社会」「文明化」「華人」「マレー人」「リヴァイアサン」「国民国家」といった、近代東南アジア史を理解するのに必要なテーマの説明がわかりやすい。
著者は鶴見良行『マラッカ物語』に批判的。ベネディクト・アンダーソンの考えを了承したうえで批判的。濱下武志(朝貢システム、東アジア交易)・原洋之介(東南アジア経済)・末廣昭(工業化・日本との関係)・坪内良博(人口論)・立元成文(マレー世界・ブギス人)・土屋健治(文明化)などなどを参照・引用している。
上記の著者たちが詳しく説明してくれない基本を知るためにも最適。

8月1日にアップした『モスラの精神史』を考察するためにも、すぐ読めるのでおすすめ。