東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

榊原政春,『一中尉の東南アジア軍政日記』,草思社,1998.

2007-03-24 11:15:31 | 20世紀;日本からの人々
著者は越後の高田藩主第十六代当主、妻は徳川家から、義理の兄(妻の姉の嫁ぎ先)は高松宮という雲の上の人。
学習院、東大法学部を卒業後、台湾拓殖会社勤務、徴集で軍隊へはいったあと、士官学校をへて、尉官待遇となる。

軍隊ではぺえぺえとはいえ、政治学を修めたインテリ、台湾拓殖での実務経験もある。こうしたバックグラウンドをもつ人物が南方軍総司令部付に配属され、東南アジア各地をまわった個人的日記である。

この日記を発見、というより出版にこぎつけたのは、解説と注を書いている倉沢愛子さん。
どういう経緯でこんな高貴なひとの記録にお近づきになったか知らないが、倉沢さんの温厚なお人柄によるものか?

内容は、大東亜戦争開戦の1ヶ月前から、開戦後1年半ほどの南方軍の戦闘と軍政の記録、個人的な見聞、軍政に関する個人的な意見、など。

おおくの報道関係者や作家、画家が動員された報道班の一員としてサイゴンにむかう輸送船にのりこむ。
(この報道班の記録が、戦後も多数活字化されている。)

解説に倉沢さんも書いているように、発表を予定してない個人的日記のうえ、ジャワ・バリ・スマトラ・シンガポール・フィリピン・ビルマ・ベトナムと広い地域を実際にみている。

戦時中の記録として、例外的なほど読みやすい。
あたりまえの話だが、軍人や兵士のかいた回想は読みにくい。
以前は、わたしも、自分の読解力の不足とおもっていたのだが、どうも、そうとばかりいえないようだ。

戦記や従軍記の類は一般に、自分たちにだけわかる隠語や専門用語をはずかしげもなく使っている。
これは、軍隊生活をした人にとって無理もないなあと思っていたが、やはり人に読ませる文章として恥ずかしい。
軍人というものが、第一に役人である、ということがわかってからは、よけい腹がたつ。
あのへんな言葉使いは、ようするに、最近の役人が、IT革命だの情報公開だの、10年もしたら意味不明になる言葉を使いたがるのとおんなじなのだ。
やたらとシナ文字をつかいたがるのも暴走族と同じ虚勢である。

その点、この日記は、さすがインテリ、後世に伝える文章、内地に暮らす人にもわかる文章である。

さらに敗戦後の記録は、仲間内の誹謗中傷やうらみつらみばかりで読むのがつらい。
食い物のうらみぐらいなら、戦場の過酷な経験として読めるが、女のとりあいだの、物資の横流しだのを読むのはツライ。
彼らにとっては戦争よりも派閥争いが重要だったんだと、あらためてわかる。

本書は、日本がまだ勝ち戦を続けている時点で終わっているので、この点でも爽やかである。

それで内容は各自読んでいただくとして、すごいのは、やはり総司令部付ということで、移動は自動車と飛行機!
宿舎には、世話をする兵士がいて、ときどきホテルに泊まったり、という信じられない世界だ。

さらにすごいのは、そんな筆者の生活感にとっても物資が豊富で都会的なサイゴンやバンコクの姿である。

けして筆者のような上流階級の軍人ばかりでなく、一般の兵士や徴用者も東南アジアの物資の豊かさに驚いたことはいろんな記録に見える。

この日記にもあるように、ビルマ戦線に回された兵士たちはものすごい過酷は戦場を体験したわけだが、ジャワやマレー半島、それにバンコク、サイゴンなどは、当時の日本と比べ、暮らしやすく、物資が豊富なところだったのだ。

筆者は台湾拓殖の経験があるから、食料・工業製品の円満な流通、輸送機関のことに関心をもっているが、軍人さんは無頓着なもんだったようだ。
ただし、いくら著者が冷静に分析しようとも、経済・民生の問題は解決不可能だったろう。
オランダもUKも100年以上の植民地統治の技術と経験があり、それでも問題をかかえていた。さらに、実質的な商業を握るチャイニーズを敵とする日本が、順調に経済を運営できるわけはない。そして、日本が一番信頼すべきイスラームや上座部仏教徒の価値を無視して治安が維持できるわけはない。
著者の分析は即物的で現実的(そして冷酷)だが、ファナティックな軍部に通用する論理ではなかったわけだ。

そんなわけで、当時としては例外的に流通・経済・人材動員に関心をもつ著者の意見がダイレクトに表現されている。


可児弘明,『近代中国の苦力と「豬花」』,岩波書店,1979

2007-03-24 10:39:08 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
史料は求める人の前に発現する。
香港・広東省の人身売買・奴隷的労働力の移動をあつかった研究である。
書名は「キンダイ チュウゴク ノ クーリー ト チョカ」 とよむ。
豬花は日本語にない単語であるが、音読みでチョカと読む。

中国史研究者は、みんなこの程度の知識を持っているのだろうか。仰天の事実が満載である。

まず、時代はアヘン戦争後。
マクロな視点でみると列強、というより、大英帝国による輸入超過の決済として、労働力の輸出が苦力貿易ということなのだ。

最初は北アメリカ西海岸やキューバ、ペルーへの苦力が主流である。
これは、単純にまとめると、奴隷制廃止後の労働力補充である。
というより、実態は奴隷制そのものである。
アメリカ大陸までの航海の間、積荷である苦力の損耗率(つまり死亡率)が20%から30%というすさまじさ。
アフリカから新大陸への奴隷貿易航海を中間航路というが、その消耗率(つまり死亡率)とたいしてかわらないのでは?

大陸横断鉄道の完成によって、東海岸から西海岸へ労働力の移動が可能になる。
それとともに、華人苦力は、ヨーロッパ人労働力からじゃまもの扱いされる。
華人移民の規制、制限がもうけられる。

1870年代からは、苦力の輸出先は東南アジアの開発地域、つまりマレー半島・ボルネオが主流になる。
シンガポールが最大の受け入れ先、それから再輸出されるものも多い。
それとともに、苦力の性欲を処理する売春業も移動する。
中国からの移民として、最初の女性移民が売春労働力としての「豬花」である。
こうした背景をもつ、19世紀後半から20世紀初頭にかけての、東南アジア向け女性労働力の移動が本書の主題である。

と、ながながと要点を得ないまとめかたになったが、

香港から海峡植民地への女性奴隷の交易

が、本書のテーマである。
もちろん、奴隷という言葉は使われていない。交易という言葉も使われていない。
犯罪行為としての誘拐・略取、合法的な女婢使役制度や売春制度、半ば合法的な侍妾制度、それらが複雑にからみあった交易・商売・慣習・犯罪の分析である。

史料は、著者みずから探しあてた、保良局(民間の福祉施設、孤児・犯罪被害児を保護、善導する組織)の記録文書である。
つまり、犯罪被害者として救済された子女と、直接の加害者である誘拐・強略者の記録である。
であるから、遠方に送られてしまった者(ほんとうに被害者)の記録ではない。
また、売春宿を利用した客や、背後で儲けた者たちの記録は、表面に現れない。
それにもかかわらず、生々しい一次記録、現場の証言である。

二、三注意したいこと。

まず、これは、ブリティシュ・ヘゲモニーの時代における、言い方をかえれば、近代化の課程で出現したできごとである。ということ。

そうではあるが、この交易・制度をささえた背景に、中国の家族制度、女性観が強力な基盤として存在したこと。

さらに、人口過密な中国から、四方八方にあふれでた華人は、人口過密地帯でうまれた伝統を、一部は引き継ぎ、一部は廃棄していったことである。
(当時の過密人口の移動先として、四川地方、台湾、東北地方、そして南海があった。)
現在、東南アジア、東北アジア、アメリカ大陸にちらばった華人、元の家族制度・女性観を引き継いでいる面がある一方、正反対に変化した面もある、と思われる。

そして、本書の主題からまったく離れてしまうが、同じく人口過密なところからはみでた存在として、華人と衝突することになるのが日本からの移民である、ということ。