東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

孫歌(スン グー),「昭和史論争における一つの側面」,2006

2007-03-21 21:33:40 | 20世紀;日本からの人々
『岩波講座 アジア・太平洋戦争』第3巻,岩波書店,2006.所収。
著者は、中国社会科学院文学研究所研究員。

いったいぜんたい、これは、何を問題にしているのか、ほとんど一般人にはわからない問題。

亀井勝一郎 対 遠山茂樹 の「昭和史論争」をめぐる、歴史研究者の立場を論じているようだが、これが重要な問題なのか、もはやどうでもいい問題なのか、普遍的な問題なのか、瑣末な業界内部の問題なのか、よくわからん。

マルクス主義歴史学が主流だった戦後の歴史学界における、重要な関心事であったようだ。
上原専禄、石母田正、旗田魏、といった人たちがマルクス主義歴史観を代表する人びとらしい。(無責任なまとめかたで、すいません。各自、確認されたし。)

それで、1962年に問題になったのが、AF問題、東洋文庫の現代中国研究センターにアジア・フォード財団の資金援助を受けるかどうか、という問題である。

今、これを書いているわたしも、何がそんなに問題なのか実感できないが、アメリカの支配下にあり、アメリカの財団の援助を受ける屈辱、自立性を損なうのではないか、というおそれ、危機感、そういったものが表出した事件であるようだ。
これと同時に資金援助をうけたのが、京都大学東南アジア研究センターであって、このことに関しては桜井由躬雄が『緑色の野帖』の中で書いている。

うーむ。そんなに重大なことだったのか。
東南アジア研究センターもマイケル・ジャクソンもフォードがいなければ存在しなかった?

マルクス主義歴史観の側の反対運動を否定するわけではないが、アメリカ合衆国の軍事的支配が永久に続き、経済的依存も永久に続くと思われた時代、(そして、永久に続くという予感はある意味正しかったのだが)アメリカから金をもらってでも研究したい、東南アジアを見たい、という日本人がいたのもたしかなことだ。

桜井由躬雄の言葉をかりるならば、当時マルクス主義歴史観の解釈をめぐって重箱の隅をつついていた歴史学本流に比べ、東南アジア研究センターは月世界のようだった。