こちらは、もっと時代が下ったバックパッカーを題材にした映画。
はっきりいって、超くだらない映画だった。
『エマニエル夫人』のような1970年代なら、まあ笑ってすませていもいい気がするが、これは2000年の制作ですよ。
最初、まさか単純にヒッピーもどきを肯定する映画じゃないだろう、と思ってみたのだが、なんと、まさに単純にヒッピーもどきの集団を肯定する映画であった。
原作小説は映画とは異なるという噂もきくが、めんどくさくて読む気はしない。
ちょっと考えてもわかるが、タイ王国は人口6500万をこえる国ですよ。
無人の地や、観光客が法規を無視して暮らせる場所があるわけないでしょうが。
それに、どうしてこの映画の製作者や監督が無視できたのかふしぎだが、電気も水道もない所で暮らしたら、のんきにマリファナなんか吹かしていられないでしょうが。冷蔵庫もないし洗濯機もないんだよ。
映画の途中まで、上記のような疑問・矛盾が噴出して、最後になんらかの解決があると思って見ていたのだが。
旅行者だけのコミュニティーが崩壊の原因は人間関係のトラブルばかりで、肝心の水や食料をどうするか、皿洗いや洗濯をどうするのか、という問題はぜんぜん描かれない。
もっとも、住民を無視した旅行者だけのコミュニティーというのは、映画のアイディアとしては悪くないと思う。しかし、警察もいないし、軍隊もいない、医者も病院もない、それにテレビもインターネットもないんだよ!、物語の進行に必要なディテールが完全に欠落している。
念のために言っておくが、この話は、非現実的な寓話やファンタジーではないのだよ。
しかし、この映画はヒットしたようで、映画のロケ地のピィピィ島は、いまやタイ国内でナンバー・ワンのバカンス地として脚光を浴びているようだ。(某インターネットの旅行サイトでは、最高の目的地にランクしている。)
まあ、津波の被害から回復するのに、この映画が役立ったのなら、それでいいんですが。
原作について、ジョー・カミングズという人物がコメントしている。
ジョー・カミングズというのは、原作小説の中で主人公(映画でデカプリオが演じた)に「ぶっとばしてやりてえ」と言われた人物、つまり、ロンリー・プラネットのタイ・ガイドの著者なのである。
つまり、こういうことだ。
小説の中で、デカプリオ演じた主人公は、誰も行ったことのない、観光客に汚されていない、無垢のビーチを求めている。しかし、ロンリー・プラネットのガイドに紹介されるいなや観光客が押しよせ、堕落した観光地になってしまう。だから、このガイドの著者をぶっとばしてやりたくなるわけだ。
それに対し、当の著者は、こう応えている。
西洋人でありながら、西洋人が訪れたことのない、秘密の場所を見つけようとする矛盾、まったくおかしい。
同じ観光客、バカンス客といっしょに楽しむのもいいじゃないか。たくさんの観光客が行く名所もいいし、便利なリゾート地も悪くないぞ。
そして、もしも、ほんとに〈西洋人に汚されていない、ピュアな〉アジアを求めるならば、そんなことは簡単だ。
タイでもどこでも、ちょっと観光コースからはずれた小さい町や村に行ってみな。西洋人なんていないし、キミは、そこでただひとりの西洋人であろう!
と、まあこんなことを言っている。(以上 Joe Cummings, "The Final Word" in Planet Talk JUL-SEP 2000 より、ロンプラが発行していた印刷のニューズレター)
さてさて、今年の冬は、キャンセルも多く、「ザ・ビーチ」ごっこをするチャンス!もっとも、新聞やテレビのニュースとは違い、これがチャンスとタイ旅行の計画を立てている人は世界中にいっぱいいるだろうから、ピィピィ島へ行ってもきっと観光客で溢れているだろう。みんなといっしょに楽しもう!
はっきりいって、超くだらない映画だった。
『エマニエル夫人』のような1970年代なら、まあ笑ってすませていもいい気がするが、これは2000年の制作ですよ。
最初、まさか単純にヒッピーもどきを肯定する映画じゃないだろう、と思ってみたのだが、なんと、まさに単純にヒッピーもどきの集団を肯定する映画であった。
原作小説は映画とは異なるという噂もきくが、めんどくさくて読む気はしない。
ちょっと考えてもわかるが、タイ王国は人口6500万をこえる国ですよ。
無人の地や、観光客が法規を無視して暮らせる場所があるわけないでしょうが。
それに、どうしてこの映画の製作者や監督が無視できたのかふしぎだが、電気も水道もない所で暮らしたら、のんきにマリファナなんか吹かしていられないでしょうが。冷蔵庫もないし洗濯機もないんだよ。
映画の途中まで、上記のような疑問・矛盾が噴出して、最後になんらかの解決があると思って見ていたのだが。
旅行者だけのコミュニティーが崩壊の原因は人間関係のトラブルばかりで、肝心の水や食料をどうするか、皿洗いや洗濯をどうするのか、という問題はぜんぜん描かれない。
もっとも、住民を無視した旅行者だけのコミュニティーというのは、映画のアイディアとしては悪くないと思う。しかし、警察もいないし、軍隊もいない、医者も病院もない、それにテレビもインターネットもないんだよ!、物語の進行に必要なディテールが完全に欠落している。
念のために言っておくが、この話は、非現実的な寓話やファンタジーではないのだよ。
しかし、この映画はヒットしたようで、映画のロケ地のピィピィ島は、いまやタイ国内でナンバー・ワンのバカンス地として脚光を浴びているようだ。(某インターネットの旅行サイトでは、最高の目的地にランクしている。)
まあ、津波の被害から回復するのに、この映画が役立ったのなら、それでいいんですが。
原作について、ジョー・カミングズという人物がコメントしている。
ジョー・カミングズというのは、原作小説の中で主人公(映画でデカプリオが演じた)に「ぶっとばしてやりてえ」と言われた人物、つまり、ロンリー・プラネットのタイ・ガイドの著者なのである。
つまり、こういうことだ。
小説の中で、デカプリオ演じた主人公は、誰も行ったことのない、観光客に汚されていない、無垢のビーチを求めている。しかし、ロンリー・プラネットのガイドに紹介されるいなや観光客が押しよせ、堕落した観光地になってしまう。だから、このガイドの著者をぶっとばしてやりたくなるわけだ。
それに対し、当の著者は、こう応えている。
西洋人でありながら、西洋人が訪れたことのない、秘密の場所を見つけようとする矛盾、まったくおかしい。
同じ観光客、バカンス客といっしょに楽しむのもいいじゃないか。たくさんの観光客が行く名所もいいし、便利なリゾート地も悪くないぞ。
そして、もしも、ほんとに〈西洋人に汚されていない、ピュアな〉アジアを求めるならば、そんなことは簡単だ。
タイでもどこでも、ちょっと観光コースからはずれた小さい町や村に行ってみな。西洋人なんていないし、キミは、そこでただひとりの西洋人であろう!
と、まあこんなことを言っている。(以上 Joe Cummings, "The Final Word" in Planet Talk JUL-SEP 2000 より、ロンプラが発行していた印刷のニューズレター)
さてさて、今年の冬は、キャンセルも多く、「ザ・ビーチ」ごっこをするチャンス!もっとも、新聞やテレビのニュースとは違い、これがチャンスとタイ旅行の計画を立てている人は世界中にいっぱいいるだろうから、ピィピィ島へ行ってもきっと観光客で溢れているだろう。みんなといっしょに楽しもう!