今年、2月26日の「法要」の際は、当ブログに「案内」を転載した。
そのことが「全ての原因」とは思わないけれど、結果的に(私にとって)後味の悪い結果となった。
言うまでもないことだが、法要に参列するためには、それなりの礼儀作法が求められる。
その第一は「お香典」を供えるということである。
ところが、聞くところによると、今年2月26日の法要では「礼儀を弁えない人」が大勢出現していた。多分、この方々には「法要に参列する」という認識がなく「二・二六事件記念日のイベントに参加する」つもりで、賢崇寺を訪れたのだと思う。
あの日の参列者は、私の印象では「初めてお見かけした方」が多かった。私は「仏心会、慰霊像護持の会」の一員ではないから、事務的なこと(芳名録とか会計とか)を知る立場ではない。しかし、後日の情報では「初めてお見かけした方」の約半数が、お香典を供えずに参列していたという。
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「イベント」と勘違いされた要因は、いくつか考えられる。
①(法要に参列する意思はなく)松本健一氏の講演を聴きにきた人が多かった。
②当ブログを見て「一般人も参加できる」と知った人が多かった。
あの日、私は(短時間だが)慰霊像護持の会の「浄財受付」に坐っていた。そして、数人の方から「理不尽な苦言」を聞くことになった。イベント気分の参加者にとって「法要の内容」が気に入らなかったのだと思う。
この続きは、稿を改めて。
私は、今年27回目の「老母(末松太平未亡人)視察」のため、千葉市登戸に出かけなければならないのだ。