◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

波多江さんの一喝

2009年08月20日 | 今泉章利
いやあ、やられましたです。

弘前で、お話して、小泉さんが財政均衡、郵政民営化をやったといったら、そのあと日本をほっぽり出したやつなど、話にならんということでした。

国のためになるのなら、昔は、命を捨てるまで、その一生を捧げたのに、あの体たらくはいったい何だというわけです。

昔、まだ、小泉さんが国会議員のころ、30年ぐらい前、、私は、父の関係で、鎌倉水交会の会合に出たことがありました。そのとき、お歳の先輩が私のところにやってきて、あんだに話がある といわれ あんたの政治には、、といわれ、ちょっと待って下さい、、それは、横須賀の小泉さんでしょ、、私はね、今泉ですから、、と言った覚えがあります。大石尚子さんが当時市議会議員になって少し経った頃でしたでしょうか、、

いろいろとお話をしました。雪降りやまずにあった、真崎・荒木の乾杯の話をした方が、對馬さんのすぐ前で、首相官邸で撃たれて、前田病院にいたけれど、裁判が終わるまで出なかった、、おかしいでしょう? そんなことを言われました。私はこの件はすでに決着した話なので、、と申し上げましたら、、自分で調べたのかい  という感じでありました。

誠に忸怩たるものあり。反省至極。民主党は政権をとるか。とったらどうなるのか。。うううう、小生は、霞が関にもよく行きますし、でいろいろと混乱の中の渦巻いているところに近すぎるので、、何も言えませんでした。

兄はね、いつ死んでもいいって言っていたから、その死に顔はね、、ほんとに安らかで、、ゆすれば起きるみたいな顔だったのよ。

面会所はね、急ごしらえのバラックで、隣とは一枚の板で仕切られていて、隣の人がしきりと真崎さんの悪口を言っていた。。。のよ。

95歳のおばあちゃまには、あの時のこと、いま、もいつも同じように見えている。こんな人が、まだお元気でいるんだ!

あの事件じゃね、ほんとうに、よくぞ、見てきたようなウソを書く人いて、言葉を失いうことが多いのよ。
どんなことですか。
一杯あるけどね、お骨は赤い紐に縛られて、對馬家の玄関に届けられていたとか、、悔しいのはね、そんなでたらめを、県の歴史に、そのような説もあることを記すなどと書いてあることよ。

おばあちゃまの行きつけの弘前のしゃれたコーヒー屋さん。もう20年も行っておられるとか

コーヒーとケーキをごちそうになって、帰京したのであった。

(今泉章利記)

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