水上さんの「救国学生同盟」についてのまずスタンダードな資料として、昭和10年の「司法研究」というのがある。これは司法省にいるスタッフによる研究会の報告だが様々なものが対象となっていて近代史における明治政府側の考え、調査状況がわかり興味深い。
今回のものは、他に比べるものがないので、とりあえずベースの資料として扱いたい。「我が国における最近の国家主義 乃至 国家社会主義運動について」と題した資料集は厚さ三センチ 東京区裁判所検事 馬場義續氏によるものである。
救国学生同盟について (昭和10年3月 司法研究 第十九輯、 報告集十、司法省調査課)
一七 救国学生同盟 (その1)
本同盟は、縦横倶楽部 森伝 の主宰する救国同志会学生班に参加していた吉田豊隆等が指導者との間に意見の相違をきたして、昭和七年五月二十日創立せられたるものにして、会員は昭和八年十一月の埼玉救国青年挺身隊事件により、検挙せられた吉田豊隆(拓大)、水上源一(日大)新谷要二(中大)、小野久士(日大)、等を始め、拓大、法政大、国大、帝大、専修大学等の学生約三十名であった。而して本同盟は五・一五事件直後、五月二十日同盟代表者をして西園寺公邸を訪問せしめ、政党政治絶対排撃、至誠愛国の士に依る挙国一致内閣出現要望の決議文を提出したるを始めとし、同年六月十一日農村救済、竝に満州国即時承認を要望する決議文を作成して首相及び衆議院議長に提出し、また、同月国際連盟支那調査委員会来朝に際し、支那代表 顧維均 入京すとの風説伝わるや、これが反対運動を起こす等、時事問題を捕え活発なる運動を開始し、十月上旬左のごとき宣言綱領等を定めた。
陣頭旗標
一、一君万民政治ノ確立
一、政党政治絶対反対
一、議会制度ノ改革
一、資本主義経済機構ノ排除
一、国家計画経済ノ実現
一、日満統制経済の確立
一、大東亜主義ノ建設
一、同志ハ一朝有変ノ秋ハ国民ノ前衛闘士タルコトヲ常ニ悟達待機スベシ
一、同志ハ勇猛果敢ナル日常闘争其他一切ノ効果的手段ヲ盡シテ救国済民ノ実果ニ邁進スベシ
一、同志ハ救国主義ノ旗ノ下ニ結盟セルコトヲ自覚シ、私情ヲ捨テ大義の為ニハ如何ナル艱難モ忍苦スベシ
注:読んでおられる方は、この 森伝 のことご存じか、早稲田の学生で闘争の時、退学になったものである。ただ人物的に大物と見えて、戸塚警察の当時の所長であった正力松太郎とも懇意になったし、退学に当たり大隈重信ともあっている。この森伝は、二・二六事件のほとんどすべての憲兵資料を書き写しし、それが、小学館の二・二六事件秘録として昭和46年にでている。
以下2へ
(今泉章利)
注:このブログのコピー、転載などは著作者の書面による同意なしには行えません。(すべての記事に適用されます)
今回のものは、他に比べるものがないので、とりあえずベースの資料として扱いたい。「我が国における最近の国家主義 乃至 国家社会主義運動について」と題した資料集は厚さ三センチ 東京区裁判所検事 馬場義續氏によるものである。
救国学生同盟について (昭和10年3月 司法研究 第十九輯、 報告集十、司法省調査課)
一七 救国学生同盟 (その1)
本同盟は、縦横倶楽部 森伝 の主宰する救国同志会学生班に参加していた吉田豊隆等が指導者との間に意見の相違をきたして、昭和七年五月二十日創立せられたるものにして、会員は昭和八年十一月の埼玉救国青年挺身隊事件により、検挙せられた吉田豊隆(拓大)、水上源一(日大)新谷要二(中大)、小野久士(日大)、等を始め、拓大、法政大、国大、帝大、専修大学等の学生約三十名であった。而して本同盟は五・一五事件直後、五月二十日同盟代表者をして西園寺公邸を訪問せしめ、政党政治絶対排撃、至誠愛国の士に依る挙国一致内閣出現要望の決議文を提出したるを始めとし、同年六月十一日農村救済、竝に満州国即時承認を要望する決議文を作成して首相及び衆議院議長に提出し、また、同月国際連盟支那調査委員会来朝に際し、支那代表 顧維均 入京すとの風説伝わるや、これが反対運動を起こす等、時事問題を捕え活発なる運動を開始し、十月上旬左のごとき宣言綱領等を定めた。
陣頭旗標
一、一君万民政治ノ確立
一、政党政治絶対反対
一、議会制度ノ改革
一、資本主義経済機構ノ排除
一、国家計画経済ノ実現
一、日満統制経済の確立
一、大東亜主義ノ建設
一、同志ハ一朝有変ノ秋ハ国民ノ前衛闘士タルコトヲ常ニ悟達待機スベシ
一、同志ハ勇猛果敢ナル日常闘争其他一切ノ効果的手段ヲ盡シテ救国済民ノ実果ニ邁進スベシ
一、同志ハ救国主義ノ旗ノ下ニ結盟セルコトヲ自覚シ、私情ヲ捨テ大義の為ニハ如何ナル艱難モ忍苦スベシ
注:読んでおられる方は、この 森伝 のことご存じか、早稲田の学生で闘争の時、退学になったものである。ただ人物的に大物と見えて、戸塚警察の当時の所長であった正力松太郎とも懇意になったし、退学に当たり大隈重信ともあっている。この森伝は、二・二六事件のほとんどすべての憲兵資料を書き写しし、それが、小学館の二・二六事件秘録として昭和46年にでている。
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(今泉章利)
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