前に、労働生産性の話を書いた。コンサルや学者さんは労働生産性というと、労働の効率化を考えてしまうという話。
そこで話を出したように、政府、企業のお偉いさん、学者、コンサルが「モノづくりの効率化・高度化」による「成長戦略」という、20世紀の成功体験にとらわれて、今の時代についていっていないという話は、IoT~DXへ続く、今の政府のデジタル化戦略にも表れている。
デジタル化の投資には、大きく3通りある(と自分は思う)
(1)製品や商品を生産・流通させるために、デジタル化を行うというもの。
この場合、デジタル化による効率化、高度化(高機能・高品質)を狙う
(2)会社の事務処理・総務業務(バックオフィス)を効率化するもの
デジタルによる効率化、省力化を狙う
(3)製品・商品・会社の宣伝、広報や企業・人の結び付けにデジタル化
この場合、コミュニケーションの拡大や深耕を狙う。
IoTやAIは製造現場の省力化や製品の高品質化、効率的な製造等を狙いとするため(1)にあたる。
(2)は会計ソフトなど。これは今も昔も投資が続いている。
コロナで(3)が注目された。ZoomやLineの導入、SNSや動画サイトによる宣伝がこれにあたる。
政府、企業のお偉いさん、学者、コンサルは、IoT,AI,DXと(1)の投資を盛んに進め、実際投資してきたけど、これは労働生産性のところで見た通り、モノが高く売れなければ、どんなに製造を効率化しても、利益はたかが知れている。
そのうえ、さらに悪いことに、AIを導入しても、直接製品の向上にはつながらないことが多い。AIは画像分析、自然言語処理には効果を発揮するが、その結果を使ってモノを動かすという制御機能には、いまいちだ(強化学習させるより、状態方程式使ったほうが早い。機械制御するには)
そんなわけで、DXの投資も成果も行き詰った。
一方、21世紀の社会科学は、安田雪先生や構造的空隙を持ち出すまでもなく、ネットワーク、「つながり」に焦点がおかれた。
つながりのデジタル化、デジタル投資は、ちょっと前まで(~2019)は、SNSやWeb,メール、テレビ会議など、限定的なものだったが、コロナ禍の中で、劇的にそして強制的に投資させられた。
在宅勤務によるZoom、クラウドの導入、家で紙を出すには限界あることからくるペーパレス化など、もしコロナが来なかったら投資することがなかったものにまで、ガンガン投資を強要させられた
そしてZoomと在宅勤務は人々の仕事のスタイルを変えた。
昔は、会議というのは会議室で行われていたので、同時間には1つの会議にしか出れなかったし、参加者も会議室に入る人数に限られた。
今は、同じ時間に2つ、3つの会議に参加するのは普通だし、何十人もの会議も毎日のように行われている。その結果、問題が発生している現場の人たちの会議にこっそり参加して(ミュートして)聴けるようになった。情報はより源泉に近づき、正しいものとなった。
会議をTwitter感覚で流し見しながら、Line感覚でハングアウトでビシバシ当事者とダイレクトでこっそりやり取りしながら、内職感覚で自分の仕事をして、たまにメールをみるという、昔だったら「何日分の仕事?」というのを在宅で、ふつうに日常生活としてこなすようになった。ほんと、生産性で言ったら、何倍に上がったんだろう・・・
ただ、その一方で、「在宅勤務は生産性が悪い」とか言い出す人たちもいて(AI,IoT,DXなんかやってた、製造業の人・・かな)在宅から、会社出社に戻す人たち、会社もある。こういう会社はZoomとかの投資は行わず、もっぱら(1)のDX投資に向かうことになる。
その結果、コロナが進むなど、社会がエグい方向で進化すると、(3)に投資た会社と(1)に投資した会社は、決定的な差がでるようになってしまった・・・
と書いても具体的にイメージわかないと思うので、コロナに対する、政府と埼玉県の例で書いてみたいと思う。
去年の4月ごろは、日本全体が、そんなに差がなかった。全国規模で、オンライン診療が始まった。コロナが原因で。
ただ、その後、政府はオンライン診療について、あまり進めようとしなかった。どっちかというとデジタル庁とかつくって、(1)の流れでしょうか?
いやそれよりも、医療よりもオリンピックを重視するようになった。
結果、どうなったか?
コロナはもっとえぐいデルタ株になった。病院では対応できなくなった。
しかし、オンライン診療に真面目に投資してこなかった政府は「自宅療養」という選択肢しか道がなくなってしまった。
これでは、保健所の人も大変。自宅療養している人は医療が受けられず、ただ悪化するのを待っているだけ。自宅で素人ができることと言ったら、せいぜい加持祈祷だろう。神仏に縋ることぐらいしかできない。
とはいえ、透析とか受けている人がコロナにかかった場合、加持祈祷で透析ができるとは思えない。医療という意味では崩壊している。
もし、埼玉のように全国で、(オリンピックやデジタル庁に投資するのではなく)オンライン診療に投資していたら、どうなったか?それぞれの人が、かかりつけの病院と結びつき、「自宅療養」ではなく「かかりつけ医によるオンライン診療による遠隔医療」が受けられたかもしれない。
この差は、さらに軽症者への「飲み薬」がもしできた場合には決定的な差になる。前者の自宅療養の場合、医師とつながっていないので、飲み薬を配布することはできない。なので、みすみす重症化するとわかっていても何もできず、かなりの人が重症化し、事態はさらに悪化していく。
後者の「かかりつけ医によるオンライン診療による遠隔医療」の場合、かかりつけ医が遠隔で診療し、薬の処方箋を出して、その処方箋を受け取り、薬屋さんで薬に変えて、コロナの人まで届けるような仕組みを作り出せば、コロナにかかった人は薬を飲むことができ、軽症で済み、事態は改善していくことであろう。
現時点では、「抗体カクテル療法」は医者にかかって点滴を受けないといけないので遠隔治療でできるものではない。なので、ここまでの差は出ないが、社会が一歩変わると、大きな差が出る可能性はある。そしてどう転んでも、今も将来も、自宅療養に明日はない。
このような(1)に投資したか(3)に投資したかの差は、コロナの話だけではなく、一般企業にも言える話である。
(3)に投資し、人々を結び付けておいた企業は、今後の社会の荒波にも乗り越えていけそうだが、(1)に投資してしまった企業は、既成概念では対応できないほどエグい社会変革が起こった場合、なすすべなく潰れていくしかない・・・
・・・という二分化された社会になる可能性がある。