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ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

UML等各種ダイアグラムのエラーチェック体系化(その6:UMLだと、行き詰まる)

2009-06-23 22:05:49 | Weblog

 シリーズ、 「UML等各種ダイアグラムのエラーチェック体系化」です。
 前回は、ドキュメントの記述する基準として、

・後工程の入力になるために、前工程としては、どこまで記述しないといけないか?

を基準に考えると書きましたが、じつは、そーやって考えると、UMLの図は、
みごとに行き詰まります。




 たしかに、アクティビティ図とユースケース図の間には、関連があります。
 しかし、これらにおいては、プロセス記述が中心で、データが記述されません。

 データが記述されるのは、クラス図なのですが、このクラスが出てくる根拠が、前工程であるアクティビティ図、ユースケース図から、かならずしも、導き出せないのです。これは、矛盾チェックとして、ユースケースは、どこかのクラスに存在するはずであるという(成果物からの)チェックはできるのですが、前工程とはつながっていないため、ここに悪く言えば恣意性、よく言えば技術者の経験的勘が入ってくることになります。

 クラス図まで持っていけば、Javaなどのクラスに落とし込めることはたしかです。

 ただ、プログラムのほうには持って行けるのですが、データベースのテーブル作成根拠がないのです。ふつうはこの根拠はER図の導出方法(つまり正規化)になりますが、そもそもUMLにER図はないので、(=エンティティはオブジェクトではない)クラス図で代用することになりますが、そうなると、そのクラスは、永続性をもたせるべきなのかどうか?ということが、これまた、悪く言えば恣意性、よく言えば技術者の経験的勘になってしまうのです。




 つまりですね、UMLの図はぶつ切りで、これを結び付けようとすると、えいや!っていうところが出てきてしまい、関連性もなにも、なくなってきてしまうのです(>_<!)

 ところが、ところがですね、ここで、すごいことが起こるのです!!!

・後工程の入力になるために、前工程としては、どこまで記述しないといけないか?

 を基準に考えた場合、ある図とある図を組み合わせると・・・・

・・・あーれー不思議なことに、ぜーんぶつながって、さらにUMLの多くの図、DFDなどが、自動的に導き出せるのです。

 そして、その図は、UMLや、DFDではないんだけど、よーくみんなかく図なのです。

 この、全部をつなげることができ、多くの図が導出できるという、
 史上最強ダイアグラムについては、またこんど。。


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日本のWebはGoogleとかじゃなく、「スナッコまこ」を目指しているってことよ!(その4)

2009-06-23 13:52:45 | Weblog

 前回のこの話では、日本における、一般の人たちの情報交換の変化について書きました。
 昭和30年代~50年代くらいまでの、大量生産・大量消費時代は、放送というソリューションが有効だったけど、その後、経済が満たされるようになってくると、個性の時代になり、個別の、多様なグループ(コミュニティ)間の情報伝達が必要になった。
 この点、画一的な放送は不向きで、インターネットは、とてもあっていた。そのために、一般の人の情報伝達手段として、急激に利用されるようになったという話でした。

 このように、個別の多様なグループに対する情報伝達となると、一般大衆向け放送とは、ちがってきます。
 一般大衆向けであれば、みんなにウケるような情報を流さねばなりません。
 強烈な個性を出してしまうと、一部の人にしか受けません。なので、あたりさわりのない情報を流します。

 それに対し、個別の多様なグループに対する情報伝達となると、逆に、強烈な個性を出し、「はまる」人を集めます。
 このはまったコアメンバーを中心に、(必要ならば)ここから運営費用を吸い上げ、情報伝達していくことになります。
 逆に言えば、それに反対する人も多くいるわけです。そういう、「反対」、「賛成」が先鋭化すればするほど、
 コアメンバーの結束は強くなります。

 その流れでみると、
 民放テレビ・ラジオ(キー局)→民放テレビ・ラジオ(地方局,BS,CS)→コミュニティFM→インターネットTV
 というようなかんじで、多様化、先鋭化してくるわけで、

 その究極のかたちが、インターネットTVのSolive24の、なっちゃんが休んだときの、
 「スナッコまこ」なわけです。
 ありっぺが、スナックのママのまこに扮して、1時間番組をやったのですが、
 内容=ピスタチオを食べて、お酒をついだだけ?
 で1時間もたせるという、ある意味、画期的な番組だったわけです。
 (たぶん、ノープランだったのでしょう・・・)

 こんな超、まったり化した放送を、民放テレビでやったら、非難ごうごう、っていうか、
 実際、「スナッコまこ」放送中も
 「なっちゃん、返ってきて!」という意見があったのですが、ウィリアムのいたずらを含めた、
 一部には受けました(ま、そのあと、なっちゃんが返ってきて、よかったよかったなのですが)

 インターネット放送だと、一部の人に受けて、それで運営が出来れば、十分なわけです。
 他の人が、どう思おうと・・・

 日本のWebは、こーいった、一般の人の小さなコミュニティで受ける、先鋭化、まったり化した方向、つまり「スナッコまこ」の方向に向かっているのであって、中央にだれか1人の王様(これがGoogle)がいて、その人が何でも知っている、っていう方向には向かわないと思います。

 というか、インターネットは、「スナッコまこ」のためにあるのかもしれません・・・

・・・それは別の機会に・・・


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