梅田氏の日本のWebは残念を受けて、書いているこのお話。
日本の場合、梅田氏が語るような、上への利用は、利用しなければいけない人の間では、すでにネットを利用しなくても困らない状態になっているので、ネット利用は急には広がらない。
その一方、日本では、横同士の情報交換のルートは、できかけていたんだけど(パソコン通信で)、それよりも、もっと広く、便利なものとして ネットが出てきたので、ネットを利用した、ホームページ、ブログが急速に広まったという話を書いた。
でも、冷静に考えると、そーいう、普通の人の情報交換メディアというのは、すでにあったわけです。放送=ラジオ、テレビというものです。
しかし、これらは、多くの人に同時に同じ情報を提供します。その上、交換という感じではないです。そこで、社会がまずしく、等質なものを求め、等質なものに憧れる(大量生産・大量消費社会)、昭和30年代~昭和50年代までは成功しますが、それ以降の、ある程度の収入を得て、等質でないものを求める、現代のメディアとしては、不十分なわけです。
その先駆けが、1980年代中期に起こりました。このころから、アイドルが多様化(松本伊代、石川秀美、早見優などなど・・)、その後、アイドルというのが、矮小化していき、多様な価値観が生まれてきます。
そーなってくると、多様な価値観を持った人たちに対する情報交換メディアが必要になり、その結果、アマチュア無線→パソコン通信→インターネットと発展していきました。
そして、インターネットにおいて、ある人物が、その場にあった多様なコミュニティに属し(ただし、そのコミュニティ1つ1つは、あまり大きくないことも多い)、それほど高尚でもない情報を交換することによって、大きな利益を得るという、現在の日本のインターネットの形ができてきました。
そして、このコミュニティは、作成することが容易になれば容易になるほど、(気に食わなければ新しいコミュニティを建てればいいだけなので)、同じ趣味の人が集まって、尖鋭化、過激化、まったり化?してきました。
そして、放送は、尖鋭化、過激化、まったり化していけばいくほど、ついていけなくなります。
今回は、ここまで。