水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

12月19日

2013年12月19日 | 日々のあれこれ

 「学年だより」ネタにしようかと思って記録しておいたけど、使わなかった文章。
 

   ~ 普通の生活を忘れない    坂井真紀
 「普通の生活を忘れないこと」。デビュー当時にドラマのスタッフの女性から頂いた言葉だ。「自分のことはきちんと自分でやり、歩き、電車やバスに乗り、野菜の値段もわかっていること。普通の人を演じるのだから、地に足つけて五感を研ぎすませて普段の生活をすること」
 当時の私は弱冠21歳。他人よりも自分の意見が正しいと思うお年頃。思い出すと恥ずかしいことばかりだが、この言葉はなぜか「そりゃそうだ」とおなかの底にすっと落ちた。
 あれから22年。特に仕事がうまくいかないとき、この言葉と自分の生活を確認する。朝起きて、着替えて、窓を開けて掃除をし、食事をして、散歩して、電車に乗って。落ち込んでいるのなら、やけ酒をしたっていい。空がきれいだな、これおいしいな、いい匂いがするな、人と話して楽しいな、心が苦しいな、なんて自分を見つめる。普通の生活を送れること、生きていること。とてもありがたいことだと思わなければ。
 物事がうまく進まない時はたいてい、目の前にある状況に対して感謝の気持ちを忘れているのだな、これが。ちゃんと生きて、いい女優になりたい。(「朝日新聞12月1日」) ~


 物事がうまくいかない時、つい自分以外に原因を見つけようとして、一層あせったり、いらついたりしてしまう。
 そういうときに掃除はかなり効き目があるな。とりあえず机回りをごっそり袋につめて、机の表面が見えてくると、目の前も少し明るくなる。
 冬期講習はまだまだ続くけれど、とりあえずいったん明日の終業式で落ち着こう。

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12月17日

2013年12月17日 | 日々のあれこれ

 先週末、義父が他界した。ここ数年、冬になると少し具合が悪いので念のため入院して、正月には自宅にもどり … 、という様子だったので、今年も同じかなと思っていたら、急に悪くなったと連絡を受けた妻と、家にいた次女が松本に向かう。自分と長女はけっきょく間に合わず、翌日の午後スーパーあずさに乗り、実家についた時はちょうど湯灌をしてもらい、ジーパンとセーターという普段通りの格好に着替えさせてもらったところだった。
 どの程度悲しんでいいかわからなかった。急だったせいもあるけど、それはあくまで自分にとってであり、毎日面倒をみていた義母には予感もあったかもしれない。義母自身も急だったと言ってはいたが、日常の流れの上に訪れた死であり、ここ数年会ってなくて、元気な頃の姿しか思い浮かばない自分には、何か実感が伴わない。
 その後、葬儀のだんどりや、親戚の人とやりとりしているうちに夜は更けていく。
 日曜日は、ふだんに比べるとずいぶんのんびり起きて、夕方に納棺、葬儀場に移動して通夜。
 法祥苑というその施設は、驚くほど立派で、同じ程度の旅館やホテルに泊まったなら、どれだけかかるだろうと思うくらいだった。
 自分も一緒に泊まると言ってきかない義妹の子どもを、おいていけばと言って、そうすることにし、久しぶりに子どもと風呂に入り、シャンプーしてあげたり、水鉄砲したりして楽しかった。その後、ふとんやざぶとんをあるだけ出して積み上げて基地をつくって遊んだけど、自分が遊んでもらっていたのかもしれない。
 月曜は告別式。葬送の儀式があれやこれやと設けられているのは、遺族が悲しみに浸っている暇がないようにするためだという話があるが、なるほどそのとおりだと思う。
 義母から喪主代理のあいさつを頼まれ、一瞬え? と思ったが、口先三寸で糊口を凌いでいる身としては臆している場合ではない。はい、わかりましたと笑顔で引き受けて、文例をヤホーでググってみる。
 便利な世の中になったものだ。すぐに見つかる。昔なら慌てて本屋さんの行くとこだ。
 「生前の厚情への感謝、会葬の御礼、今後へのお願い」が骨格であるとすぐわかり、あとは具体例を盛り込めそうなら盛り込めばいい。
 あいさつの骨格というのはつまり「これまで、今、これから」という推薦書や面接で書くべきこと、言うべきことと本質は同じだ。
 結婚式のスピーチのように受け狙いのエピソードを盛り込む必要性はなく、むしろなるべく定型にそって、かわったことは言う必要はないと開き直って、初めての経験をすませた。おにいちゃんのあいさつが泣けたと妹から言ってもらえたので、役目は果たせたかもしれない。
 出棺し、斎場でお骨を納めるときになって初めて、義父はいなくなったのだと思った。悲しく寂しいのは確かだ。ただ今までに何回か経験してきた、あまりに若い方の葬儀に比べれば納得している自分もいて、自分が義母や郷里の父母よりも先に逝くなんてことだけはないようにしなければと考えた。自分の意思でなんともできるものではないが、最低限の健康管理などはしないと親に申し訳ないと思えるくらいには大人になった。
 大学のレポートがあるという次女と松本駅に向かい、職場へのお菓子やお弁当を買ってスーパーあずさで帰宅。
 帰ってすぐに洗濯機をまわし、そのままになっていた洗い物を始末し、すすぎが終わったころには翌日のお弁当の準備がだいたい出来ていた自分は、けっこう主婦力あるなと自賛し、少しほっとしてビールを開けた。
 火曜は出勤。校長、教頭に弔電やお香典のお礼を述べ、冬期講習の一日目の授業。
 すこし仕事がたまっているので、部活は合奏を少しのぞいただけだったが、何ができてないかはすぐにわかったので、やらなければならない。忙しいが、そうしていられることに感謝の念がわく。

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12月16日

2013年12月16日 | 学年だよりなど

  学年だより「くすぶり力(2)」


 ~ 度を超えた大量インプットは、経験の質を変えるのです。
  … くすぶり時代に大量インプットの習慣と技を身につけると、それがワザ化して、対象を変えてもドーンとインプットすることができるようになります。 (齋藤孝『くすぶる力』幻冬舎) ~


 たとえば日本映画の名作を百本見ると、邦画通になるだけではなく、人間を理解する力や時代を読む眼が養われると、齋藤氏は言う。
 一本の映画にこめられた莫大なエネルギーを感じられるようになるからだ。
 それを浴びるように見ることによって、自分の人生に深みをつくっていく。
 もちろん、映画でなくていい。
 サッカーに打ち込んでいれば、ある試合を観たときに、ある選手の一つのプレーにどれだけの過去が蓄積されているかを想像することができるようになるだろう。
 別の競技をやっている選手に対しても、そのプレーがどれほどのエネルギーの投下の上に成り立っているか、感じるようになるだろう。
 スポーツ選手に対する松岡修三選手のインタビューが、「どんな気持ちですか?」としか問えない若い女子アナさんと根本的に違いがあるのは、その部分だろう。
 どんな分野でも、ステージをあげていくためには、圧倒的な量のインプットが必要だ。
 そしてその結果として、ものを見る目が変わり、人間を理解する力が変わる。
 自分はなぜ成功してないんだ! 有名じゃないんだ! 結果が出ていないんだ! との思いをもちながら、大量にインプットし続けること、それが自分の石油エネルギーとなっていく。
 それこそが自分の魅力形成の原動力になる。


 ~ のっぺりして掘っても何も出てこない人からはフェロモンが出ていません。
 くすぶり時代こそ、何かにはまり込む時間です。
 ~


 簡単に成功してしまうよりも、むしろ「くすぶり時代」は必要だと言う。


 ~ 自分の中に何のくすぶりもないという若い人には、「もっと志を高く持って、くすぶってみろ」と言いたい。志が大きければ、どうしたって「くすぶる」のではないか。すべてが初めからうまくいく人はほとんどいない。才能などがあってもくすぶり期間が長くなることはある。
 事の成否は、くすぶり期間に、どれだけエネルギーを蓄積し、技を磨くかだ。 (齋藤孝『くすぶる力』幻冬舎) ~


 てっとりばやいのは、勉強オタク、部活オタクになって、徹底的にやってみることだろう。

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リクルートを辞めたから話せる、本当の「就活」の話

2013年12月12日 | おすすめの本・CD

 今や、大学は、学問の府というよりも就職斡旋業の性格が大きくなり、その性格をより強めようとし、高校にまで「大学入試の人物重視化」という形で、その流れがおしよせようとしている。
 大学の就職課は、学生たちに面接や会社訪問のマナーを教えたり、自己分析をさせたり、エントリーシートの書き方を教えたりする。
 『リクルートを辞めたから話せる、本当の「就活」の話』の著者である太田芳徳氏によると、大学で行われている一連の指導が、非常にまとはずれなものに見えることが多いという。


 ~ 現在の日本の就職事情の歪みは、この三者(注:企業・大学・学生)のねじれに由来することが大きい。
 企業は就職活動にある「暗黙の大人のルール」を話さない。大学はその「企業のルール」を知らないまま学生を指導する。そして、何も知らない学生は間違ったことを覚え混乱していく。
 おかしな就職指導、おかしな就職活動が繰り広げられているのは、企業の立場や考えに対する理解が深まっていなかったり、間違っているためでもある。まずは、企業の立場を知り、そして就職指導と就職活動にどのような問題があるかを知り、就活全体を見直してもらいたい。 (太田芳徳『リクルートを辞めたから話せる、本当の「就活」の話』PHPビジネス新書) ~


 大学職員は、一般的な就職活動を経ることなくその職についた人が多く、その職についてしまえば大学という世間から隔離された空間で生涯を過ごす場合が多い。
 そういう人が、現実の社会に対応した指導ができないのは仕方ないと筆者は述べる。
 もちろん、同じことは企業側にも言えるけどね。
 企業側は、いまの大学の現状も、学生の志向や文化も、そんなに理解してないとも言えるし。
 だから一概に、リクルート社というまさに最先端で働いてきた著者の考えこそがすべて正しいとするわけにはいかない。
 いかないけど、「企業の求める人材」が変化しているのに、それに対応できない大学や学生に問題があるといいう話は知っておくべきだろう。

 「マナー講座も資格も必要ない」「自己分析などするな」と筆者はいう。
 筆者は、有名難関大学ではない大学で「特別就職講座」を開いてきた。
 この講座では、「つきぬける経験」をすること、「論理的に話し書ける」ようになることの二つを徹底して指導し、その大学からは過去存在しなかったような大企業への内定をかちとってきたという。
 「つきぬける経験」とは、具体的には、こんな感じ。
 たとえば、接客業のアルバイトをしている学生がいたなら、その職場で一番の売り上げを達成させる。
 簡単なことではないが、そのために何をすればいいかを考えさせ、自分だけの力では難しいことやら、繰り返し失敗して繰り返し改善していく過程で、自分を成長させていく。
 「やった! 一つ上のステージにあがれた」という体験こそが大事で、そういう経験をもっているかどうかは、人事のプロは一瞬で見抜くという。

 読みながら、われわれ教員がやっている仕事って、まさにこれなんじゃないかなと思えてきた。
 部活にしても勉強にしても、中途半端じゃなくて、つきぬけるレベルでやらせたいのだ。
 それから国語に限らず、教室で行われている教科の勉強は、結局は論理的に物事を見るようにさせたいとの目標をもっている。
 大学も後半になってあわてて「つきぬける経験」とかしようとするのではなく、突然「論理的に」読み書きしようとするのではなく、高校のうちに、高校のうちだからこそできるそれを経験してもらいたい。
 人格はその結果として自然についてくると思うから。

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どぶろっく

2013年12月11日 | おすすめの本・CD

 今年聞いた音楽アルバムでベストは何かと訊かれたら(誰もきいてくれないけど)、自信をもってこの一作を薦めたい。
 どぶろっく「もしかしてだけど、アルバム」。
 下ネタ中心の歌ネタでプチブレイクしているお笑いコンビのアルバムだ。
 知りませんか? 
 「♩ もしかしてだけど もしかしてだけど それってオイラを (ハモって)誘ってるんじゃないのぉ」
 っていうの。
 男の細かな妄想をこれでもかと歌い上げたフォークロックと言える。
 ご婦人からすれば、「ほんっとに、男ってばかね」と思われるような歌詞なのだが、男子の脳内はみな八割方同じだ。
 ネタとして歌詞だけ見ると、そこまでインパクトないのだが、音楽がすごい。歌がうまい。サウンドがいい。
 たとえばそんなに中身がなさそうな楽曲でも、壮大なアレンジで、絢爛たるサウンド感で演奏すると、ものすごい大曲に聞こえることがあり、吹奏楽界にはそういうのがけっこうある。
 どう演奏するかは、けっこう中身と同じくらい(それ以上にかな)大事だ。
 話も同じだ。
 内容よりも話し方の占める比率がいかに大きいかは、科学的にも解明されているっぽい。
 「もしかしてだけど、アルバム」を聴きながら、歌詞の内容を意図的に聞き流していると、今のjポップのヒット曲集に聞こえてくる。
 サウンドとか、コードの付け方とか、メロディーの跳躍の仕方とか、「今」感にあふれている。
 「なんか売れそうな楽曲つくろうか! オッケイ! こんなんどうですか。いいね、今の一般ピープルの求め具合ってこんな感じでしょ … 」的な曲が集まっている。
 曲によっては、明らかに某有名フォークデュオ風とか、おしゃれ扱いされる某有名バンド風とかの作風をマネたかと思われるのがある。どの程度意図的につくっているのだろう。
 同じジャンルの先輩「マキタスポーツ」さんの作品ほど意図的な風刺がこめられているとは思えないが、それが逆に毒を強めているのがおそろしい。
 おしゃれなバンドは、たとえば、「愛してる」とか「奇跡にありがとう」とか「世界が僕をおしつぶす」とか、歌う。
 どぶろっくは、「誘ってるんでしょ」とか「おっぱいツンツンしたい」とか「おしっこは意外にとびちる」とか歌う。
 何がちがうのか。何もちがわないのではないか。
 だって、「靴紐が解けたら」、「僕」は「死のうと思った」りするではないか(中島美嘉「僕が死のうと思ったのは」)。
 ジーンズから短パンにはきかえたある夏、「おしっこは意外にとびち」っていると気づいた瞬間、世界は変わるのだ。 
 世界は時に人をおしつぶし、時に人をよみがえらせる。
 どうしようもない無力感にさいなまれていても、雨のにおいをかいだ瞬間にふと「なんとか生きてみよう」と思える時がある。
 採点が長引き、スーパーの閉店時間がせまり、少しあわてぎみに走っていたら、南古谷中学校の前でスピード違反をとられてしまう夜もある。何年ぶりだろ。
 人の営みに貴賤はない。
 そんなことまで考えさせられる、どぶろっくのこのアルバムは今年聴いた吹奏楽、クラシック、落語のすべてのCDのなかで、ベスト作だ(ただし、この評価を受け入れてもらえる方は少ないかもしれない)。

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12月10日

2013年12月10日 | 学年だよりなど

  学年だより「くすぶり力」


 人の魅力とはどうやってつくられるのだろう。
 かっこいいと言われたい、ナイスガイとして扱われたい、自然と人が集まってくるような魅力的な男になりたい … 、そんな思いを全く抱かない人はいないと思うが、どうだろう。
 じゃ、どうすればいいのか。
 すくなくとも、今のみなさんは、かっこよくてチヤホヤされる人生を送ってはいない。
 全国大会で優勝してインタビューされてもいないし、モデルとなって雑誌のページを占めていたりもしない。町を歩くと「キャー!」と言われるようなことはない(もしいたら、謝ります)。
 でも、現状の自分に百%満足していて何の望みもないという人もいないはずだ(もしいたら、ごめんなさい)。
 いつかは、いい男になりたい、世間的にも成功したい、彼女がほしいと思いながら、それがなかなか叶わずに悶々としている今のみんなは、まさに「くすぶり」の時期にいる。
 自分の感覚では、選ばれしごく少数の人間をのぞいて、男子にとっての高校時代は「くすぶり期」だと思う。
 そして、その時期をどうすごすかによって、くすぶったまま終わるのか、火種さえなくなってしまうか、もしくは大きな炎をあげることができるかに、分かれていくのだろう。


 ~  特に若いころに抱くくすぶり感は、生涯にわたる推進力になります。言ってみれば、それは「精神の石油エネルギー」です。
 ある時期、鬱屈した思いが黒くてドロドロの原油のように自分の中に貯まります。それ自体、その時点では使いものになりません。
 でもそれが仕事に就いたときに掘り起こされて、精製して使えるような状況になると、火を点(つ)けた途端、一気に燃え上がるのです。時間をかけて貯めたエネルギーは、そう簡単には枯渇しません。 (齋藤孝『くすぶる力』幻冬舎)
 ~


 ドロドロのエネルギーをためていくには、大量のイップットしかない、と斉藤先生は言う。
 趣味の世界でも、勉学の世界でも、それが何のためになるか全くわからないことに徹底的にはまること。たとえば歴史オタクになったり、たとえば映画をひたすら観たり。
 ひとつの世界にはまりこむことで、人としての深みが生まれるのだ。


  ~ 度を超えた大量インプットは、経験の質を変えるのです。
 これは映画好きかどうかという問題ではなくて、自分に対する資本の投下です。いや、お金はかかっていないので、時間の投下です。SNSなどでなんとなく過ごしている時間をここに投下すれば、どれだけの財産を手に入れることができるか。
 くすぶり時代に大量インプットの習慣と技を身につけると、それがワザ化して、対象を変えてもドーンとインプットすることができるようになります。 ~

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もらとりあむタマ子

2013年12月08日 | 演奏会・映画など

 前田敦子さんがAKBを「卒業」したとき、他人事ながらも、これから仕事あるの? と心配したのは自分だけではないと思う。でも、大丈夫だ。需要はある。このレベルの仕事ができるなら。
 東京の大学を出たものの、就職せずに実家にもどってごろごろしているタマ子。
 はっきりとした事情はあかされないが、母親はほかに男をつくって出て行き、姉も結婚して家を出、スポーツ店を営む父と二人暮らしをしている。
 そうじ、洗濯、食事の支度は全部父親任せで、漫画を読みふけって毎日をすごしている。
 かといって、ひきこもりとも言えない。
 業を煮やした父親が「いい加減、就職活動しろ」と叱ると、「そのときが来たらちゃんとやる」「いつやるんだ!」「少なくとも、今ではない!!」と逆ギレしたりする。
 そのだらだらぶりといい、父親との距離感といい、絶妙のリアルさで演じきっていた。
 彼女を女優さんとして見たのは、「あしたの私のつくり方」で成海璃子さまの相方をしてた時。とくに印象はなかった。「苦役列車」は、なかなか存在感があった。あったけど、前田さんじゃなくても成立する役だったかな。
 タマ子は前田さんじゃないとだめだ。あまりにも上手だったから、そう思うのかもしれないけど。
 彼女くらいに有名な同年代の女優さんの場合、この役をやるには美しすぎる子が多い。
 見た目的、知名度的にぱっとしない子をこの役に据えた場合、作品のあまりにリアルさゆえに、たんに素人の女の子が出ているだけに見えてしまう。
 このキャスティングをした監督さんのセンスもすばらしい。
 駿台の教員セミナーのあと、速攻で移動した新宿武蔵野館は満席で、立ち見のお客さんまでいた。
 ていうか、都内でここしかやってなくて、武蔵野館の2番スクリーンは席数が100ないから、さすがに混むだろう。この作品なら、もっと大々的に上演されてもいいんじゃないかと思ったけど、南古谷ウニクスでお客さんが入るかというと、まあ、無理だろうなあ。
 テレビドラマの拡大版系の作品より、百倍おもしろいと思うのだが。
 派手派手の大作でなく、スリルとサスペンスもなく、大笑いも大泣きもさせない、でも観た人の心をなぜかあたたかくさせる … 。この映画のような演奏がしたい。

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馬車馬さんとビッグマウス

2013年12月07日 | 演奏会・映画など

 大きな夢をもて! 志を高くかかげよ!  … って、言うじゃなぁい。
 とくに、学校の先生は。
 でも、先生! あんたたち、夢がかなった結果が、今の姿ですか!
 残念っ。自分にあまく他人に厳しい斬ぃりっ!

 「夢が叶って学校の先生になれました」という人と、「ほんとは役者になりたかったけど、夢かなわずに学校の先生やってます」という人とでは、どっちが幸せだろうか。
 ちゃんと叶えるために、夢は最初から小さめな方がいいのか。
 自分の能力の範囲で叶いそうなレベルのなかで設定するのが、正しい夢の描き方なのか。
 でも、あんまりそれがちっちゃい望みだと、夢扱いされないこともあるし。
 かりに自分が、「吹奏楽顧問なってやってらんねぇ、これからハリウッドスターを目指す!」と言ったとき夢扱いされるのか。
 妄想を抱いた、もしくは精神的にヤバくなったと扱われること間違いない。
 じゃ、どのレベルからどのレベルを「夢」といっていいの?
 かりに「夢」認定されて、それに向かって頑張っても結果がでないとき、どこであきらめればいいの?
 その「夢」に向かうだけの、追い続けるだけの才能があるかないかは、どこで判断すればいいの?
 われわれは「夢を追え」という商売ではあるが、あまりにも無責任にそういう言葉を発するだけで、具体的に何をどうすればいいかは、教えていない。教えられていない。 
 むろん「夢のあきらめ方」なんて。
 
 麻生久美子さん演じる、脚本家を夢見る34歳独身の馬淵みち代は、10年以上もシナリオコンクールに自分の作品を送り続け、シナリオスクールにも通っている。
 スクールで出会った、関ジャニの安田くんが演じる若者は、大口をたたくばかりで一向に作品を書こうとしない天童義美。
 コンクールの性格にあわせ対策を練って作品を書かねばならないと馬淵が言えば、そんなありきたりの本書いたってしょうがないやん、おれはおれにしか書けへんものを書く! と豪語する天童。
 馬淵に一方的に好意をよせる天童と、天童になど一切興味を持たずにパソコンに向かい続ける馬淵とが、徐々にお互い影響され合って、一歩前に進むことができる過程をイタおもしろせつなく描写した「馬車馬さんとビッグマウス」は、夢ってなんだろねと考えさせられた今年の傑作のひとつだ。

 「あたしだって、わかってるよ、自分に才能がないことくらい。でも一度もってしまったしまった夢って、どうやってあきらめたらいいか、わかんないんだよ」 
 天童の前でこう言って泣き崩れた馬淵も、天童が初めてちゃんと作品を提出することに決めたコンテストで、自分はこれでだめだったら終わりにしようと決心する。
 最後の作品は自分のことを書こう、夢を追いかけて叶わなかった自分をモデルにした作品を思い切り書いて、それでだめだったらあきらめがつくと、心に決める。
 この開き直りがよかったのか、彼女のシナリオが初めて認められて、映画化されることになり … 、とはいかないとこが、この映画のいいところだろう。

 夢を追って、それが叶う人の比率は、いったいどれくらいなのだろう。
 それを調べるには、当然何を「夢」とみなすかの定義が必要になってくる。
 「その人にとっての実現不可能性」と「本気で追い求める度合い」の積を夢の単位とする、というような。
 大きな夢であるほど、それを叶えた人の比率は少なくなる。
 アイドルになりたいとか、プロスポーツ選手になりたいとか、オリンピックに出たいとか、多くの人が夢見るものほど、叶える比率はすくない。
 それが現実だ。そういう現実を知っていて、周囲からとめられて、それでもやり続けられる人が「自分は夢を追っている」と言う資格のある人だ。
 そして資格のある人の中でも、ほんの一握りの人しか夢を叶えられないのが現実だ。
 そんなリアルさを、力むことなくさらっとつきつけ、夢叶わずに終わる主人公にも、愛おしむような視線をおくる。
 吉田監督も、長く業界にいれば、夢破れて去って行く若者の姿など、山ほど見て来たことだろう。
 自分は才能があふれているからこそ作品をつくり発表できるんだ、というようなおごりたぶった姿勢はみじんも感じない。
 夢を叶えた者にも、途上の人にも、新たな道を歩みはじめた者にも、ひとしく優しい視線をなげかけるような、愛おしさを感じる。
 監督のそんな思いを体現し、見事に演じた麻生さんは、まぎれもなく才能あふれる女優さんだ。
 でも、彼女に「才能があって、いいですね」って言ったとしたら、「そんなことないです、一生懸命やってるだけです」て言うような気がする。
 先生が教材研究をして授業するのと同じように、あたしは脚本よんで、役作りして演じてるだけですよって、言ってくれるような気がする。
 夢が叶ったかどうかは結局、その場所で、その人がどう生きているか、そのありようを本人がどう受け止めているかで決まるのかもしれない。
 
 それにしても、麻生さんはお見事でした。
 今年の主演女優賞をさしあげたい。あ、「箱入り息子の恋」の夏帆ちゃんもすてがたいな。
 「そして父になる」の真木よう子さんが助演女優賞、「みなさん、さようなら」の波瑠さんに新人賞を進呈する。
 舞台では、宅間FES「晩餐」で神がかり的お芝居をみせてくれた、田畑智子さんに決まりだ。

 

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PISA補遺

2013年12月06日 | 日々のあれこれ

 国内の学力検査における地域差も、PISAと同じように話題になる。
 秋田県、福井県が毎回上位を占め、都会はなかなか結果が好ましくない。
 田舎と都心に近いところと両方で暮らした経験からいえば、まあ妥当なところだろうなといつも思う。


 ~ これ(公立学校教員採用者数)を都道府県別に見ると、たとえば01年の秋田、東京、埼玉、大阪は順に127人、1117人、345人、268人だった。一方、11年のそれらは、順に70人、2772人、1242人、1967人となっている。これらの数字は、過疎化が進行している県と大都市圏周辺とでは、この問題を同一に論じることはできないことを示している。
 前者の方は現在でも実質競争率は高く、優秀な者が教員になっていると考えられる。しかも試験問題は主に記述式であるので、論述問題にも強い (芳沢光雄『論理的に考え、書く力』光文社新書) ~


 「都会では先生の数が不足している」「東京や大阪の教員採用担当が地方に出向いて受験者を募集している」といったニュースを目にしたことはあったが、こうやって数字を示されると、こんなにも違うものかと思う。
 大都市圏に比較すると、地方は教員採用試験に受かりにくい。
 自分が受けた頃(どんだけ前かという話だが)はここまで差は大きくなかったが、でも地方の方が狭き門だった(この俺様がおちたのだ)。
 公務員以上に安定した高給を約束される職がそんなにないからだ。
 学校の先生をさげすんだ目で見る人の多い都会とは土地柄がことなり、根本的には今も変わらない。
 東京近辺に住んでいたなら、超難関大を受けて受かるだろうと思われる高校生が、ふつうに地元国立大学の教育学部に入ったりするので、年によって例えば一地方大学の教育学部・中学校英語の難易度が異常に高かったりするものだ。
 学力検査結果の地域差を考えるとき、無視できない、というか、自分的には最も大きい要因なのではないかと思う。
 だから、東京や埼玉に住む子どもより、福井や秋田に住む子どもの方が幸せな環境におかれていると結論づけていかというと、それはやはり別問題だ。
 日本よりも上海やフィンランドの方がPISAのスコアが高いから、そちらの国の方が幸せだとは一概に言えないことと同じで。
 幸福指数の高い県にみんなが住みたがるかと言えば、むしろ現実は逆だし、もっと言えばブータンに本気で移住したいと願う日本人はほとんどいないこととも通じる。
 PISAのテストで一喜一憂することが、成熟した国のあり方とは違うんじゃないかなと思う気持ちを、ものすごく遠回りして書いてみた。

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12月5日

2013年12月05日 | 学年だよりなど

    学年だより「レッツ・チャット(2)」

 石川県立明和養護学校(特別支援学校)に勤務する山元加津子さんは、文筆活動や、講演活動などを通じて、子ども達の様子を伝え、理解してしてもらう活動を続けている。
 その活動をサポートしていた同僚の宮田俊也さんが、脳幹出血で倒れたのが平成21年だった。
 脳幹出血は、およそ8割の方が亡くなり、意識がもどるのは100人のうち4人という深刻な病気だ。宮田さんの場合は出血の度合いも大きく、かりに命をつなぎとめたとしても、意識がもどることはないと診断された。
 それでも、回復を信じて、家族の方とともに看病を続ける。倒れて八日目に宮田さんの目が開く。お医者さんからは反射による動きと説明があったが、山元さんがのぞき込んで話しかけると、目の奥の光が何かちがったように感じた。
 宮田さんには意識があるに違いないと感じた山元さんは、なんとかしてそれを感じようとする。
 指でもいい、頬の動きでもいい、どこか一箇所でも反応してくれるところはないかと祈りながら言葉をかけ続ける。お互いがあきらめなかったせいであろう、宮田さんの頭が、指がかすかに動くようになったのだ。職業柄、意思伝達装置というものがあることを知っていた山元さんは、その一つである「レッツ・チャット」を宮田さんにつなぎ、彼の思いを知ることができるようになった。
 一般にはもちろん、医療関係者の中にも、意思伝達装置の存在が知られているとは言い難い。
 そのため、意識がありながら伝えることができない状態のままの患者さんがたくさんいる。
 山元さんは、メルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」や講演会などを通じて、宮田さんの思いを伝え、意思伝達装置の存在を多くの人に知ってほしいという活動を続けている。
 そこで紹介されていた「まあくん」の言葉を紹介しておきたい。
 サッカー大好き少年だった「まあくん」が脳幹出血で倒れたのは小学校3年生の時だった。
 再起不能と言われ、意識はもどらないという周囲の言葉を、まあくんは耳にする。
 この子に意識はあると言い続けたのは、たった一人お母さんだけだった。


 ~ 母が信じるのをやめた瞬間、僕はこの世の中で、全くひとりぼっちになるのではないかという恐怖が、その頃は自分を襲っていました。 …
 そういうふうにして僕は、ひとりで苦しみと闘っていましたが、当時はやはりまだ、自分は苦しみの意味はよくわかっていなくて、なんとかしてこの苦しみから抜け出したいという気持ちでいっぱいでしたが、いまはこの苦しみの意味を問い直して、僕にできることはなんなのかを考えるようになり始めています。この苦しみは、いまは苦しみではなくて、この状況という言い方をしたほうがよくて、いまはもう苦しみではくて、もっと自由にはなりたいけれど、不自由ではあるけれど、苦しみの状態はなくなりました。
  … 今はこの状態を一歩でも前に進めるためのリハビリだから、今のこの状態をとても肯定しているのですが、この状態に留まることも、またひとつの僕の人生の否定になるような気がするので、この人生をきちんとしたものにするためには、やはり前に歩み続けるしかないのだというのが、今の気持ちです。 (「宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと」ブログ )  ~

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