水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

12月17日

2013年12月17日 | 日々のあれこれ

 先週末、義父が他界した。ここ数年、冬になると少し具合が悪いので念のため入院して、正月には自宅にもどり … 、という様子だったので、今年も同じかなと思っていたら、急に悪くなったと連絡を受けた妻と、家にいた次女が松本に向かう。自分と長女はけっきょく間に合わず、翌日の午後スーパーあずさに乗り、実家についた時はちょうど湯灌をしてもらい、ジーパンとセーターという普段通りの格好に着替えさせてもらったところだった。
 どの程度悲しんでいいかわからなかった。急だったせいもあるけど、それはあくまで自分にとってであり、毎日面倒をみていた義母には予感もあったかもしれない。義母自身も急だったと言ってはいたが、日常の流れの上に訪れた死であり、ここ数年会ってなくて、元気な頃の姿しか思い浮かばない自分には、何か実感が伴わない。
 その後、葬儀のだんどりや、親戚の人とやりとりしているうちに夜は更けていく。
 日曜日は、ふだんに比べるとずいぶんのんびり起きて、夕方に納棺、葬儀場に移動して通夜。
 法祥苑というその施設は、驚くほど立派で、同じ程度の旅館やホテルに泊まったなら、どれだけかかるだろうと思うくらいだった。
 自分も一緒に泊まると言ってきかない義妹の子どもを、おいていけばと言って、そうすることにし、久しぶりに子どもと風呂に入り、シャンプーしてあげたり、水鉄砲したりして楽しかった。その後、ふとんやざぶとんをあるだけ出して積み上げて基地をつくって遊んだけど、自分が遊んでもらっていたのかもしれない。
 月曜は告別式。葬送の儀式があれやこれやと設けられているのは、遺族が悲しみに浸っている暇がないようにするためだという話があるが、なるほどそのとおりだと思う。
 義母から喪主代理のあいさつを頼まれ、一瞬え? と思ったが、口先三寸で糊口を凌いでいる身としては臆している場合ではない。はい、わかりましたと笑顔で引き受けて、文例をヤホーでググってみる。
 便利な世の中になったものだ。すぐに見つかる。昔なら慌てて本屋さんの行くとこだ。
 「生前の厚情への感謝、会葬の御礼、今後へのお願い」が骨格であるとすぐわかり、あとは具体例を盛り込めそうなら盛り込めばいい。
 あいさつの骨格というのはつまり「これまで、今、これから」という推薦書や面接で書くべきこと、言うべきことと本質は同じだ。
 結婚式のスピーチのように受け狙いのエピソードを盛り込む必要性はなく、むしろなるべく定型にそって、かわったことは言う必要はないと開き直って、初めての経験をすませた。おにいちゃんのあいさつが泣けたと妹から言ってもらえたので、役目は果たせたかもしれない。
 出棺し、斎場でお骨を納めるときになって初めて、義父はいなくなったのだと思った。悲しく寂しいのは確かだ。ただ今までに何回か経験してきた、あまりに若い方の葬儀に比べれば納得している自分もいて、自分が義母や郷里の父母よりも先に逝くなんてことだけはないようにしなければと考えた。自分の意思でなんともできるものではないが、最低限の健康管理などはしないと親に申し訳ないと思えるくらいには大人になった。
 大学のレポートがあるという次女と松本駅に向かい、職場へのお菓子やお弁当を買ってスーパーあずさで帰宅。
 帰ってすぐに洗濯機をまわし、そのままになっていた洗い物を始末し、すすぎが終わったころには翌日のお弁当の準備がだいたい出来ていた自分は、けっこう主婦力あるなと自賛し、少しほっとしてビールを開けた。
 火曜は出勤。校長、教頭に弔電やお香典のお礼を述べ、冬期講習の一日目の授業。
 すこし仕事がたまっているので、部活は合奏を少しのぞいただけだったが、何ができてないかはすぐにわかったので、やらなければならない。忙しいが、そうしていられることに感謝の念がわく。

コメント
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