橘あきらさんの高校では二年生で「羅生門」をやるのか … (「恋は雨上がりのように」)。
でも「羅生門」の補習授業って、そこまでして教えることってあるのかな。
その流れから橘さんがにきびを気にしているシーンに移るのは上手い。
バイトの休憩時間に補習プリントを机に置いて、バイト仲間にもらったにきび薬を塗っている時、店長が入ってくる。
「夏休みの宿題、もうやってるの? えらいなあ」と言う店長に、「補習 … 」と答えるあきら。
「羅生門」のプリントが完成できないと聞いた店長は、突然「一人の下人が羅生門の下で雨やみを待っていた」と暗誦し始める。
どうした、近藤さん。しかも、「あなたは、下人のとった行動をどう思いますか?」というプリントの問題を見て、「これは悪問だ」とつぶやく。
~ 国語は算数と違って答えがないってよく言われるけど
それは問題が悪いんだよ。
正しい問題は、ちゃんと論理的にひとつの答えを導き出せるように作られているからね。~
どうした、近藤店長。
ひょっとして中堅私大の文学部で国語の免許も一応取りました、的な設定なのだろうか。
言ってることはまっとうだ。
ちゃんとした問題には答えがある。
ファミレスの店長でさえ知ってることを、なぜ理解できない国語教育の研究者がいるのだろう。
老婆と出会って、下人にはある勇気が生まれてくる。
それまで「悪」と思っていたことが、生きるために「善」になったのかな? …
近藤が言うと
「店長はどう思いますか?」とあきらが尋ねる。
「店長が下人だったら、同じように盗人になりますか?」と。
さっき薬を塗っていたのを見られて恥ずかしがった時の表情とはちがう。
挑むような目で聞いてくるあきらに
「俺は … 。たぶんならないな。
この年になると、小さく生きていく癖がついてるし、波風は立てたくない」
目をそらしながら答える。
「月刊スピリッツ」の対象読者層に、このやりとりのゾクゾク感は伝わるのだろうか。
「下人のニキビは若さの象徴」と続ける言葉に、少しほおを赤らめるあきら。
「俺はもう、ニキビすらできないただのオッサンだからさ」
あきらに言っているのか、自分に言い聞かせているのか。
最後のページ。あの薬でニキビ治ったよ、ありがとうというあきらを描く。
次のコマでは、「え? ニキビできた」と鏡を見る店長の顔。
「下人の勇気が、彼の人生にプラスになればいいと思います」と感想の書かれた補習プリント。
象徴とサブテキストがちりばめられた、見事としかいいようにない一編だ。