学年だより「多重人格(3)」
会社を経営していた父親が急病で業務を遂行できなくなり、その子供が仕方なく後を継ぐ。父の仕事や経営に全く興味がなかった当人だったが、後を継いでその任を果たすどころか、より業績の上がる会社に成長させた、というような事例はいくらもある。
みなさんなら、突然部活の部長をやらざるを得なくなったという場合を想定するといいかもしれない。必要に迫られて別の人格を演じているうちに、それが新しい人格となっていく。
~ 「ある人格を演じる」ということと、「ある人格を育てる」ということは、同じことなのです。
正確に言えば、ある人格を「演じる」ことを、長期間行っていると、自然にそれが、板についた「人格」になり、一つの「人格」として自分の中に育っていくのです。
例えば、何かの理由で、ある人物がリーダーの立場に置かれ、周囲からも期待される「リーダー像」を、気持ちを込めて演じていると、その人物は、自然に「リーダーらしく」なってくるのであり、いつか、それが「本来の人格」のようになってくるのです。そうした事例は、世の中に数多く見受けられます。 (田坂広志『人は、誰もが「多重人格」』光文社新書)~
自分にそんな気はまったくなかったことを、やらざるを得なくなり、やってみたら力を発揮できたということは、その人の中に「隠れていた人格」が顕在化したということだ。
将来は「自分にあった仕事を探そう」「やりたいことをやろう」という言葉を耳にすることは多いと思うが、それは現時点で現れている「表の人格」に合わせて仕事を選ぶということだ。
それ自体は悪いことではないが、自分の可能性を自分で限定しているということでもある。
想定外の事態になったとき別の人格になれるなら、自ら想定外の事態に身を置くことで、意図的に人格を変えることができるはずだ。
そんな簡単に変えられるはずがない、自分は生まれつきこういう性格だから … と思う人もいるかもしれない。
しかし、人格の大部分は後天的な学習で作られている。
生まれ育った家庭環境、家族構成、土地柄や友だち関係、そしてどんな経験をつんできたかによって、人格は形作られていく。
大人数の兄弟の長男として育てられる場合と、末っ子とでは、意識的に、かつ無意識的に異なる人格になりそうな気はすると思う。もっと極端な例で言えば、この平和な日本の生活に困らない家庭に育つ場合と、日々の食べものに事欠いたり、命の危険さえある環境で育つのとでは、人格形成に大きな違いがうまれるのは間違いないだろう。
私達は、自分の生育過程のなかで、自分で「キャラ」を作ってきたのだ。
引っ込み思案で人前に立つのが苦手なキャラで生きてきた人も、リーダーシップをとらざるを得なくなって、新しいキャラを作る。もともとの古い人格が消えてしまったというわけではない。
自分で「新たな人格」を養い育て、付け加えることができたというイメージが正しい。