学年だより「期待」
先生に勉強のやり方を聞く、受験雑誌を読む、進路講演会を聞く、先輩の合格体験談を聞く … 。
どんなふうに勉強をすべきか、どれくらいやるべきかなど、勉強のやり方についての情報はちまたにあふれている。
大人の世界に目を向けてみると、「受験勉強本」以上に、「成功本」があふれている。
これまでに出版されたそれを累計してみれば、日本人の人口の何倍もの数になるだろう。
しかし、大成功を収めている人、億万長者になった人は、そんなにはいない。
『偏差値30から東大に入る方法』なんて本も、出版され近場の本屋に並んでいるものは、何千部か、それ以上は刷られている。
そういう本を読んだ人は、必ず成功して素晴らしい結果を手にしているだろうか。
そういう人もいるだろう。しかし、みんなも予想がつくと思うけど、ほとんどの人は成功しない。
何が悪いのか。本の内容が悪いのか。いや、そんなことはない。
まがりなりにも出版され流通している本は、少なくともネット上で「あなただけに教えます、すごい方法、今から三日間だけ12800円(本来は12万円分)」というPDFよりはちゃんとしている。
「勉強本」「成功本」を手にした人の多くは、「よし、がんばろう、やれそうな気がしてきた。こんどこそ変われる気がする」という気分になるのだ。
本に書いてる方法のすべてを否定するような人はいない。
すべてを信じるまではいかないにしても、いくつかの方法を試してみようとする。
ノートや手帳を買ってみたり、目標を貼りだしてみたり、早起きしはじめたり、トイレそうじしてみたり。
そして、成績がみるみる上がっていく自分、仕事で大成功を収める自分を想像し、うっとりする。
ガネーシャ様は、こう言う(突然すぎますね。ガネーシャとはヒンドゥ教の神様で、人間のからだにゾウの頭をもち、商業や学問を司る神です)。
~ 「自分、この本最初に読んだ時、今と同じように興奮してたんやで。変われると思って自信持っとった。なんでか分かるか?」
「それは … なぜですか?」
「それはな、本に期待してたんや。『この本なら僕を変えてくれる』そう思うとった。だから興奮してたんやな。今の自分もそれと同じなんや。自分はワシに期待しとる。『この神様なら僕を変えてくれる、どこか今までとは違う場所に連れてってくれる』ってな。せやろ?」
… ガネーシャはゆっくりと口を動かした。思い言葉だった。
「けどなぁ … 期待してるかぎり、現実を変える力は持てへんのやで」(水野敬也『夢をかなえるゾウ』飛鳥新社) ~
主人公の「僕」は、それなりの会社に勤めてはいるものの、与えられた仕事をただこなしているだけ、いま一つ充実感のない日々を過ごしていた。でも、いつか自分もひとかどの人間になりたい成功を収めたいと漠然と思い、時々そういう本を読んだりしていた。
「おまえなぁ、そのままやと2000%成功せえへんで」と突然現れたのが、ガネーシャだった。