久しぶりに読んだ重松作品『空より高く』は面白かった。
自分の卒業とともに廃校になる高校に通う高校生のメンタリティが、すごいリアルに描かれていると思う。
誰かに背中を押してもらわなければ、いや押してもらってさえなかなか素直に進んでいけない男子の姿というのは、いつの時代も同じなのかもしれない。
そこに赴任してきた教師の神村仁。
「おれのことをジン先生とよんでくれ! おわりだからこそ何か始めようぜ、レッツ・ビギン!」と生徒の前で叫び体育館をシーンとさせた中年オヤジ教師。
ジン先生が真正面から高校生に向き合っていく小説は、つい「学年だより」ネタにしてしまうほどおもしろくてアツかった。重松清健在なり。
現役教師として一点気になったのが、ここ。
~ 「だって、オレらレベルだと、はっきり言って、大学はどこでも人生変わんないもん」
教室の掲示板に貼ってある偏差値別の大学一覧表を見てみれば、よくわかる。紡錘形のおなか--大学の数がいちばん多いゾーンが、僕の合格圏内だ。なんだか、もう、この時点で「その他大勢」の人生が約束されているというか、下から這い上がるよりも、そこから抜け出すほうが難しそうな気がする。(重松清『空より高く』) ~
偏差値別の大学一覧表は、実は「紡錘形」はしていない。
だから「おなかの部分」はないのだ。形としては、円錐を横からみた形、つまり三角形のようで、末広がりというか、下広がりのようになっている。発展途上国の年齢別人口構成みたいな形。
なので、「大学の数がいちばん多いゾーン」というのは、偏差値的にはいちばん下の枠になる。
定員を確保するのが大変なので、この枠のほとんどの大学が、ふつうの高校生なら試験を受けて落とされることはないという状態になっているはずだ。
そういうところはもはや大学とはよべないと言う人はいる。
実際に、アルファベットの書き方から指導しているなどという話を聞くが、大学がそこまで面倒見てくれるなら存在価値はあるはずだ。
そういう大学からも、人材は育つ可能性はある。
田中真紀子文科大臣が、「大学が多すぎる、もっと淘汰すべきだ」と述べるのは一面真理ではあるが、現実問題としては勝手に淘汰されていくことになっているのだ。
あえて、認可が下りている新設大学をいまさら認めないという意地悪をするのは、現実を知らずに、パフォーマンスでやっていると言われてもしょうがない。
ほんとに大学の質をあげたいという考えなら、いまある大学がきちんと運営されているかどうかを調べないといけない。
でも、どうかな。これって真紀子さんが最終的におれるんじゃないかな。
またお役人さんを敵にまわしてしまったし、マスコミにとって大学は、自分たちの再就職先やら広告費用でお得意さんだ。今後、マスコミが真紀子さんをつぶそうとする動きになるような気がする。その前に民主党さんが野に下るか。