学年だより「調教作業」
たとえば小説家という限られた(選ばれたと言うべきか)生き方ができる人は、おそらく神から命じられた限られた方々だけだ。そのような限定的な才能を万人がもっているとは普通考えられない。たとえばプレミアでプレーするサッカー選手しかり、メジャーリーガーしかり。
作家の村上春樹氏は、「小説家にとって最も重要な資質は何ですか」という質問に、「言うまでもなく才能」だと答えている。「文学的才能がまったくなければ、どれだけ熱心に努力しても小説家にはなれない」と。
そして才能の次に大事なのは何かと問われ、氏は「集中力」そして「持続力」だと答える。
~ 自分の持っている限られた才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。そしてこの力を有効に用いれば、才能の不足や偏在をある程度補うことができる。
… 集中力の次に必要なものは持続力だ。一日に三時間か四時間、意識を集中して執筆できたとしても、一週間続けたら疲れ果ててしまいましたというのでは、長い作品は書けない。(村上春樹『走ることについて語るときに僕が語ること』文春文庫) ~
残念ながら今年の受賞はならなかったものの、ここ数年つねにノーベル文学賞の最有力候補と言われる村上氏。近年の作品『1Q84』は、数百万部を越えるベストセラーとなっている。
そんな村上氏だが、「自分には才能が不足している」と言う。
こちらからすれば「うそぉ!」というしかないが、あくまでもご自身の感覚としてはそうであり、その才能の不足分を「集中力」と「持続力」とで補ってきたと言う。
「才能」はもってうまれたものだが、「集中力」と「持続力」については、いくらでも向上させていくことができると氏は考えているからだ。
~ このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができる。毎日机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然に身についてくる。これは前に書いた筋肉の調教作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。これは日々ジョギングを続けることによって、筋肉を強化し、ランナーとしての体型を作り上げていくのと同じ種類の作業である。刺激し、持続する。刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかし、それだけの見返りはある。 ~
集中力や持続力は、筋力を鍛えるのと同様に身体的かつ運動的努力で身につけられるのだ。