やっぱりプロのライターさんはすごい。
えのきどいちろう・北尾トロ両氏の『愛の山田うどん』を読んで、そう思った。
今、現代文で「世界中がハンバーガー」という多木浩二氏の評論を読んでいる。
世界中に広がるハンバーガーショップは、食事の形態が変わっていったことばかりか、人と人とのつながりが変化してきたことを表すと氏は述べる。
「目の前の現象には、どのような本質がかくされているのか」をつかむという、現代文の基本的な勉強に手頃な文章だ。
一昔前、共産圏にはじめてマックができたときの狂騒は、人々がその味を求めたのではなく、自由主義圏への憧憬だったのだという文章もある。
その現象の本質は何か。
埼玉に「山田うどん」があるのはなぜか。埼玉を中心に、関東一円に広がっているのはどういうことを表しているのか。そのくせ都心に存在しないのはなぜか。山田うどんに象徴される「埼玉性」とはいかなるものか。
~ 山田うどんチェーンが平準化し、一般化した埼玉は、その方向性において最終的に埼玉である必要がなくなったのかもしれない。関東全域が一種の「埼玉性」を持った。だから関東全域のロードサイドには山田うどんがある。いや、山田うどんを主語にし同じことを言い直そう。山田うどんが関東全域を埼玉化してみせたのだ。山田うどんがある場所はどこか埼玉だ。(『愛の山田うどん』) ~
「浦和は田舎と家内は笑う(うらわはいなかとかないはわらう)」という有名な回文がある。
こちらに来る前、つまり埼玉も群馬も区別がつかなかった頃、将来埼玉県民になるなどと想像もしなかった頃、「さいたまんぞう」さんという芸人さんの歌う「なぜか埼玉」をラジオで聞いたことがあって、とくに何の印象も持たなかったが、ま、埼玉ってすごい田舎なんだろなと思っていた。
落語の本を読んでても、王子やら赤羽やらがとんでもない田舎扱いされてたから、川越東高校に面接にくるとき、友人には「東京の方に仕事がみつかるかもしれない」と話して出てきた。
はたして、田舎だった。
面接に訪れた日、夜行列車を大宮でおり、川越線に乗り換えたら単線で(今もだけど)、南古谷に降り立ったときの呆然とした感じは今も思い出す。
そして南古谷駅前に山田うどんがあった(ありましたよね? Kittyさま)。
当時、はっきりいって、おいしいとは思わなかった。
今おいしく感じるのはなぜか。舌が変わったのか。それもある。
『愛の山田うどん』を読んでわかるのは、1980年代以降、ファミレスチェーンが急展開していくなかで、山田うどんも、ロードサイド展開していったということ。
セントラルキッチンをつくって味を管理し、店舗を拡大していったことだ。
そのせいで、駅前店はなくなり、少し離れたところに木野目店がつくられたのだろう。
80年代後半から埼玉に移り住んだ自分は、まさにこの変遷の時代を生きてきた。
「浦和は田舎」と昔笑った家内も、今レッズの勝敗が気になってしかたない。
1990年代に誕生したJリーグが首都圏にもたらしたのは、「ベッドタウン解放闘争」だと、えのきど氏は述べる。
浦和、大宮、川崎、柏、いずれも都内に通勤する人たちが多く住むベッドタウンだが、それゆえに地元意識の希薄な住民の多い街でもある。
お父さんが寝に帰るだけだった街が、Jリーグのチームのおかげで「おらが街」になったという。
山田うどんは、レッズやフロンターレのスポンサーの一つでもあるそうだが、東京近郊の都市がその存在意味を変えていったことを、山田うどんが象徴する。
山田うどんは、あらたな埼玉をつくった。田舎を郊外にかえたのだ。
えのきど・北尾両氏のこの御本は、ここ数十年の東京近郊の変化をみごとに論じきっている。
再来年あたり、現代文の教科書に載ってても何の違和感もないだろう。