水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

とってもゴースト

2012年11月30日 | 日々のあれこれ

 明日も自分が絶対に存在すると言える人は誰もいない。
 明日と言わず、1時間後、数秒後であっても、消滅してしまうことさえある。
 だとしたら、今生きているこの瞬間をもっと愛おしみ、大切に生きるしかない … なんてね。
 みんな、理屈はわかっているのだ。
 それでも、うだぁっとしたり、ぼぉっとしたり、とげとげしたり、さぼったり、ぐずったり、むかついたり、おぼれたりしてしまう。それが、人間だ。
 だから、そういう自分であることを受け入れて、かっこつけすぎず、無理しすぎずに、生きていること自体を忘れずにいればいい。
 ただ、できるならば、人を愛した記憶だけはからだにやきつけられたなら、それこそが生きた証と言えるかもしれない。
 音楽座ミュージカル「とってもゴースト」は、そんなこと考えさせられた。

 事故や事件や病気やいろんな事情で、幼くして生をとじることを余儀なくされた子の存在を知るときがある。
 あんなに小さいのに、あんなに若いのにと心がいたむのはなぜか。
 この世に生をうけて、たくさんの人に愛されて、かりに短い生涯であったにしても、そのこと自体はすばらしいことだ。
 しかし、幼い子であれば、人に愛されてはいても、おそらく誰かを愛する経験をしないまま旅立ったということが多いだろう。それを思うとせつない。
 誰かを愛することなんて、時には苦しさの方がまさることもあるのに、人が人としての存在を賭けてまでのめり込んでしまうこともあるほどの感情だ。
 だから、それこそが生きた証だ。
 突然死が訪れゴーストになってしまった入江ユキさんが、自分の死を受け入れられないのは、自分ではやり残した仕事のせいだと思っている。
 でも、無意識のうちに彼女が求めていたのは、人を愛した経験だった。
 そして、神様のはからいで、完全の消え去る前に人を愛する経験をさせてもらうことで、はじめて旅立っていける。

 逃げながら、後悔しながらこの世を去るくらいなら、せめて悔し泣きしながら逝きたい。
 失敗がなんだ。失敗することは生きていることとほぼ同義じゃないか。
 もちろん笑えてたら最高だけどね。
 いつ死んでもいいように生きるなんて大それた生き方はできないけど、せめて好きな人には好きといっておきたい。
 自分を支えてくれている人には、いいそびれないうちに、時々ありがとうと言っておきたい。
 そうだ、このブログをいま読んでくださっているみなさまに、キムタツ先生が毎日書いてらっしゃるように感謝の意を表しておきます。
 今日も読んでくださってありがとうございます。
 コメントまで下さったみなさまありがとうございます。
 ときどき意味がわかりにくいこともありますが(一言よけいやちゅうねん)。
 ありがたく、明日もパソコンにむかえれば、足跡をのこしたいと思います。
 今日も一日生きた、いや生きながらえさせていただいた、その感謝の思いで書きます。
 明日の夕方、「とってもゴースト」を味わってきます。
 あなたに素敵な明日が訪れることを。
 メリークリスマス(はやいやろ!)
 ハバグッデイ!

コメント
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