「恋に落ちる」という表現は実にうまく本質を表していると思うことがある。誰かを好きになる時は、もちろんいろんな伏線はあるのだろうが、ある瞬間にふっと、もしくは気がついたらいつのまにかそうなっている。人は数秒で恋に落ちる、という科学的な研究結果があるという話を読んだこともある。
落ちたいね、たまに。いっそ、そのままおぼれたい。
「酒色(酒と女)におぼれるのは非常の怪物(人ではない)」と福沢諭吉先生は言っておられるが、「酒色におぼれる」生き物をこそ人というのだ(なぜにこんな主張をしてるのだろう?)。
ちょっと観たいなと思ってて見逃した「マリリン七日間の恋」を、南古谷ウニクスが上映してくれたのはありがたかった。
恋に落ち、女におぼれる青年を観た。
映画の撮影に滞在している絶頂期のマリリンモンローと、映画の第三助監督、つまり究極の雑用係である青年がラブラブになるというお話。
きわめて特殊な経験を描いていて、おそらく観る誰もが(観る男性はと言った方がいいかな)自分のこととして身にしみてしまう。
衣装係の女の子ルーシーとデートの約束をしていながら、それを忘れてモンローといてしまうこととか、頭の片隅でこんなことはあり得ないと思いながらモンローにのめりこんでいくこととか、夜中に呼び出されてダッシュで行ってしまうこととか、周囲からどう見られているのかわからなくなることとか。
どれも自分のことのようにイタい。そしてそれこそが恋愛であることも間違いない。
モンローにおぼれる青年、女優としてのモンローにおぼれるベテラン俳優のローレンスオリヴィエ。
モンローと結婚して小説が書けなくなった主人のヘンリーミラー。
モンローの付き人の女性も、類い希な才能と美貌を持ちながら精神的もろさをもつ彼女を支えられるのは自分しかないという気持ちでいる。彼女もモンローにおぼれた一人だ。
どれだけたくさんの人を翻弄させられるかは、スターの条件なのかもしれない。
松田聖子におぼれた人生を過ごしている方々が今でも男女問わず何万人もいるように。
ローレンス・オリヴィエが監督もつとめ制作していく映画のシーンと、周囲の人々を翻弄し続ける現実のモンローとが、時に重なり時にネガとポジになりながら、必ずおとずれる終幕に向けて積み重ねられていく構成が実に練られている。
昨今の草食系といわれる男子は、おぼれないのかな。
おぼれていたい目にあうのが人生なんだけどな。けっこうキツいことも多いけど、そういうのを蓄積した方がかっこよくなれるのではなかろうか。よけいなお世話か。
もちろん、おぼれる対象は女性とはかぎらない。仕事でも趣味でもいい。
身近にも、音楽におぼれ、部活におぼれている先生方はたくさんいる。
ルーシー役のエマワトソンも期待通りのお姉さんになってます。