階段で一年生に声をかけられる。「学年だよりって先生書いてるんですよね」「そうだよ」「今日の、けっこういいこと書いてありましたね」「そっか、ありがとう」「親も読んでますよ」「ありがとう、またがんばって書くよ」。わーい、ほめられた。
1学年だより「上達」
関東大会に出場する部活動が8つ、テニス部はすでにインターハイ出場も決めている。
「文武両道」を目標に掲げる学校はあまたあるけれど、本校は高いレベルでそれを実践している学校だと言っても過言ではないだろう。
先輩たちがいかに鍛えているかは、先日の体育祭でも実感できたのではないだろうか。
楽しんでがんばっている先輩はたくさんいる。しかし決して楽はしていない。
普段の部活で接してるときには「勉強なんか全然してねぇよ」と笑っている先輩もいるかもしれないし、高校生活をなんなくこなしているように見えるかもしれない。
実際には、ほとんどの先輩が部活と勉強の両立に苦しみながら頑張っているのが実情だ。
もちろん勉強のことを考えて途中で引退する先輩もいる。
ただ、これまでの先輩方の進学状況をみた場合、部活を最後まで続けたことが原因で結果が出なかったと思われる例は実は思いの外少ない(個人的な感覚ではゼロ、逆の例はかなりいる)。
部活を三年間続けていれば、勉強に費やす絶対的な時間が少なくなるのは当然だが、実際にはマイナスにはなってない。
部活は根性や集中力を育てるとこれまでよく言われてきた。
もう少し詳しく考えてみると、部活によって「物事を身につける身体」になれるという面があるのだと思う。
たとえば、野球のバットスイング、バスケットのシュート、バレーのレシーブなど、スポーツの根本的な動きを身につけようとするときどうするか。
バットを振るという一つの行為には、重心のかけかた、腕の回し方、タイミング、視線の位置などいろんな要素が含まれる。
振り始める時にはどの筋肉を意識し、身体を回転させていく動きの中で筋肉をどう連動させていくか。ゆっくりとした動きの中で確認し、徐々にスピードをあげていき、それらいろんな要素が自然に行われるように繰り返し練習する。
すると無意識にうちにイメージ通りの動きがだんだんできるようになってくる。
繰り返していくことによって一つの「型」が身に付く。
何回も何回も繰り返すことによって、自然にその動きができるようになってくる。
そして試合の中で、いくつかの「型」が場面に応じて無意識に使えるレベルになったとき、それを「技」化したと言う。
部活というのは、繰り返しの練習で「型」を身につけ、それを「技」化させ、実戦の場でその「技」を発揮する過程であると言うことができる。
と考えたとき、このプロセスは普段の勉強において、できない問題をできるようにしていくプロセスと酷似することに気付く。
例題を解く。解き方を理解する。繰り返し練習する。いくつもの解き方が技化されると、違うタイプの問題を見たときにも、すうっと解き方が見えてくる。
部活と勉強は、物事の上達というプロセスにおいて共通しているのだ。