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Bernrasteler Doctor 1987 Kabinett

2008-01-20 05:56:24 | ドイツ

Bernrasteler Doctor 1987 Kabinett

Mosel-Saar-Ruwerのワインです。前に調べた範囲では、Bernrastelerが村名になるとおもうのですが、Bernkastelerが正しいのでしょうか。でもらべるはBernrastelerになっています。


トリアー2世Prince Boemundが1360年に大病にかかった際
この畑のワインを飲み回復したとして、
彼によって「医者」と名づけられた銘醸畑。

『ベルンカステーラー・ドクトール』。この名前を聞き、
先ず頭を過ぎるのがドイツ屈指の作り手、Dr.H.ターニッシュ。

その歴史は350年以上も昔にさかのぼります。ドクトール畑はドイツで最も高値な畑として知られ、蔵が所有する7.5haに及ぶ畑は、ドクトールの中でも最も優良とされるモーゼルの中段に広がります。19世紀中盤には既に高い名声を得、国際的なオークションで破格の価格にて取引が開始されるようになります。

現オーナーは、マルグリット・ミュラー-ブルクグラーフ女史。Dr.ターニッシを世界的な舞台に登場させた、かの名匠Dr.フーゴ・ターニッシュの孫娘にあたります。
蔵では、ドクトールを合わせて、23ヘクタールの土地でリースリングを栽培、赤ワインの生産量は全体の5%程で、2%がピノ・ノワールの畑になります。

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1921年、ベルンカステーラー・ドクトールからモーゼル初の貴腐ワイン(トロッケンべーレンアウスレーゼ)が、ターニッシュ家によって収穫されました。

世界大戦の戦時下当時、フランスやドイツでは多くのワインが略奪、戦利品として奪われたといいます。
造り手達は、地下セラーをセメントでカモフラージュするなど苦悩時期を乗り越え、伝統を今に伝えてきました。
(参考文献 :ドン & ペティ・クラドストラップ著 「ワインと戦争」)

戦時下という厳しい状況下ターニッシュ家でも同様、敵国からの略奪を逃れる為、岩肌に”黄金のワイン”1921年産のベルンカステラー・ドクトールトロッケンべーレンアウスレーゼをひっそりと隠したのです…。
そして月日は経ち、1959年に隠されていたワインが発見されました。偶然、当時の従業員が2重になっている壁を発見したのです。
その後1985年、この1921年産ワインにオークションで11,100 マルク(当時の価格で約80万円)もの値がつき、現在までのモーゼルワインとしては最高値のついた記録的ワインとなりました。

▼ ドクター・ターニッシュ
ドクターターニッシュ家はドイツで最も地位の高い畑といわれるドクトール畑の所有者で最も名声を得ています。1633年で30年戦争の生き残りがワインを造り始め、1800年にはすでにこのドクトル畑の最大の所有者として記録されています。現在ベルンカステルの村を中心に約6haの畑を所有し、リースリング100%からクラッシックなスタイルのエレガントできめ細やかなワインを造っています。(ヒュージョンソン3つ星、ゴーミヨ3つ房VDPメンバー)

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▼ベルンカステル ドクトールは

CHディケムと並び称されるモーゼルの銘醸畑!!ベルンカステル地区を代表する最上級畑。14世紀、大病で医者にも見放されたトリアーの大司教ヴェーム二世がこの畑のワインを飲んで奇跡的に治ったことから[お医者様]の名が畑に与えられたという超有名畑!しばしばあのCHディケムと並び称される。


▼ ベルンカステルについてヒュー・ジョンソン氏は
※「中部モーゼルでトップクラスのワインを産する町。リースリングを絵に描いたようなワインを生む。「超一級畑」にはドクトルDoctor!上位の栽培生産にはターニッシュ家」とヒュージョンソン氏「ポケットワインブック」の中でふれています。
うきうきわいんの玉手箱より)