がじゅまるの樹の下で。

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阿麻和利斬首の地???

2010年12月04日 | ・琉球史散策/第一尚氏

なんとま~、衝撃的なタイトルをつけてしまいましたが…。

 

あくまでも語尾に「???」です。

阿麻和利の死に様そのものが謎ですから、
何かと「憶測」でしかないんで、
そこのところ踏まえて読んでくださいね。

 

読谷村の民話集(古老の口伝集)によると、
阿麻和利は首里軍に攻められ、
生まれシマ屋良村(現・嘉手納町屋良)へ逃げ、
そこから更に逃げ読谷山に入った。

しかし、ついに見つかり、
「マルチャバタキ(俎畑)」というところで斬首された。

と。

マルチャ(俎)とはまな板の意味で、
作物ができない平らな畑ゆえにそう呼ばれていたのだとか。

で、その俎畑の場所を
「闘牛場があった(作る予定だった?)場所」
と古老たちがおっしゃっていることから、

読谷出身の方々に聞いて
まとめた場所が、ここ…かな???ということです。
(この写真よりももっと下おりて右かもしれないけど、だいたいこのエリアっぽい)




 

で、すぐ近くに阿麻和利のお墓がある、ってね。

 

……前も書いたけど、ワタシ的には
阿麻和利は勝連グスクで死んだ説を取りたいですなぁ。

 

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*追記*

この後、色々と本を読んでいると、俎畑、つまりウエンミモーエリアは
現在のトリイステーション内のようです。

「真説 阿麻和利考」(高宮城宏著)より引用↓

ウエンミモは昭和9年に大木原より楚辺876-968番地に地目編入、
原名として親見原の宛字が用いられており、
トゥクブサーモーグヮーより北方へ600米ほど離れている。
現在のトリイ通信施設内に位置している。
(P169)


※トリイ通信施設は徳武佐の北には位置していないため、
「南方へ」もしくは「西方へ」の誤字か?



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