がじゅまるの樹の下で。

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南西諸島最大の交易拠点、城久遺跡群

2019年12月04日 | ・琉球史散策/グスク時代

開催中のグスク展に合わせて
まだ記事にしていないグスク訪問記事も
アップできればと思って…います。

 

というわけで、
今回は喜界島の城久遺跡群。

城久と書いて「ぐすく」と読みます。

 

「ぐすく」だけど、
城久遺跡群は「城跡」ではなく、
「集落跡」になります。

 

県博の館長、田名先生によると
琉球の「グスク」の語源には諸説あるけれど、
この喜界島の「城久」との関連もあるのでは?
と。

 

というのも、この城久遺跡群は
琉球のグスク時代よりも前の時代にさかのぼります。

発掘調査結果によるとⅢ期に分けられ、

Ⅰ期 9~11世紀ごろ
Ⅱ期 11後半~12世紀ごろ
Ⅲ期 13~15世紀ごろ

最盛期がⅡ期。

(なお、琉球のグスク時代は12世紀ごろ~と言われています)

 

城久遺跡群がすごいのは、

* 南西諸島とは類を見ない大規模集落の跡であること。
* 遺物の出土量が突出している
* 製鉄遺構・遺物がでている

 

よって、

*かなり力を持った有力者がいたこと、

(南九州や大宰府との関係も?)
*大いに繁栄していたこと、
*琉球列島、九州島、中国大陸、朝鮮半島におよぶ
 南西諸島一の交易拠点であろうこと、

が考えられています。

 


城久遺跡群の交易ネットワークは
琉球へヒト、モノ、情報、文化をもらたしたことでしょう。

琉球が農耕を開始し、グスク時代になっていく過程には
この城久遺跡群の存在・影響が大いにあったと考えられます。

 

 

城久遺跡群のうち、
「山田半田遺跡」を訪れました。
(360度動画→

最盛期であるⅡ期の、中心的な建物があったであろう場所で、
屋敷跡が杭打ちで印されています。

 

大いに繁栄した、最先端の大規模集落。

今は見渡す限りの畑で
なかなかイメージしがたいですが、
VRなんかで再現してほしい場所です。

 

 

実際に喜界島に行ってみて、
実感したのが、
「地形」です。

面積は大きいけれど
やんばるのように山が多い奄美大島とは違い、
喜界島は小さいけれど、
島の中央は台地になっていて、
台地の上は平らな地形。

 

地形が天然の要塞になっているし、
見通しもいい。
台地を上ってしまえば平地で農耕しやすい。

奄美ではなくここに集落が発達し、
交易の拠点にしたのも納得、でした。

 

 

 

ちなみに、ここ城久遺跡群の山田半田遺跡。
同じ日の夜に再訪しました。

星がきれいに見えるかな、と…。

予想通り、
あたり一面、ま…っくらだったのですが、
天気が微妙だったので、
「満天の星空!!!」は残念ながら満喫できず…(´;ω;`)

あと、ちょっと寒かったという思い出…(笑)

 

 

参:
「城久遺跡ー発掘調査開始15周年記念資料集―」
(喜界町埋蔵文化センター/2017.4)


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