がじゅまるの樹の下で。

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鬼鷲in北中城村

2018年02月14日 | ・現代版組踊レポ

現代版組踊舞台レビューについて



鬼鷲ー琉球王尚巴志伝―

2018年2月11日(日)

北中城村中央公民館

 

約1年半ぶりに開催された鬼鷲。

夜公演にお邪魔しました。
(この日は舞台ハシゴでした)

 

時間通りにスタート(これ重要!)し、
平田さんの挨拶から。

久々に見る生平田さん

さ来年度の2019年度は
現代版組踊(肝高の阿麻和利)ができて
ちょうど20周年に当たるらしい!
(公演は2000年3月だけど、年度で言うと1999年度)

そして、玉城朝薫が組踊というものを世に出してから
ちょうど300周年!
(二童敵討と執心鐘入、1719年初演)

これは、さ来年度は、
きっと何かが起こる…

期待しています!

 

 

+ + +

 

 

今回のレビューは苦言を含みます。
気を悪くしたらすみません。
書くべきか迷ったけど、
いち一般客として思ったことを正直に書く、がモットーなので
一意見としてやっぱり書いておくことにします。

尚、1日目夜公演のみの感想です。
2日目に追加変更などがあったのかどうかは
分かりませんのでご了承下さい。

 

 

+ + +

 

観劇した夜公演で特徴的だったのが、

女の子オモロと、

特別子役(小4!)の尚巴志と

きよらに照れまくりの尚巴志、

そして北山組

かな。

 

 

尚巴志はプロポーズのシーンで
素直に照れまくり&喜びまくりで
まるでアカインコの様でした(笑)

ただ、この素の感じのはこのシーンだけ、
という印象で、ちょっと突飛な感じもしたので
ほかのシーンでももっとこういう雰囲気を醸し出せたら
もっとよかったかも☆

また、個人的には子ども時代は特に
もっとはっちゃけていいと思ってます。
(ガキ大将のような)
割とずっと優等生系の大人びた感じなのでね。

でも今回のちび尚巴志は小学生の特別子役君。
長セリフにも関わらず、よく頑張ってました!

 

女の子おもろは歌サンシンも披露もしてくれて
お見事でした。

アカインコ+おもろコンビは
これまで小芝居満載で笑いを取るキャラで
はっちゃけにはっちゃけまくってて
時には尚巴志(主役)を喰っちゃってる時もあったんだけど
今回はだいぶ抑えてきたな、という印象。

特にとりたてて笑いを取りに行くというシーンもなく
ほほえましい、というくらいで
個人的にはこれでも十分だと思いました。

 

というか、

ごめんなさい、

アカインコ+おもろコンビ、
登場の90%、見えませんでした。
(舞台中央にいる時以外は全滅)

ただ、声が聞こえるのみでした…。

(これに関しては後述します)

 

 

前回大変革した北山組は、
基本同じスタンスの役作りでした。

今後はずっとこの路線で行くのかな?

個人的にはTHEワル★な本部も好きなんだけどな。

それが「北山の風」の本部とのギャップがあることで
歴史の二面性と言うか、見方は一つではないというか
そういう楽しみにもつながるとも思うし…。

もちろん、今の設定も決して悪くはないですけれどね。

確かにこっちの方が本部が尚巴志の言葉になびいた背景、
というのは分かりやすいですよね。
(単に本部の私利私欲ではなく、って感じで)

今回は与那覇も攀安知への怒りと言うよりも
悩み苦しむ悲壮なテンションでした。

 

うむ。
どちらの設定も捨てがたいので
こういうのはどうだろう。

 

公演によって、
キャラ設定を変える。

 

大筋や台詞は基本一緒でも
演じ方でがらっと印象が変わる。

それが公演ごとに違う
(昼・夜、1日目・2日目)

ってのはリピーターにとってもたまらん
舞台演出だと思うなぁ

そしたら2種類見に来たくなるなー。

鬼鷲メンバーのレベルの高さなら
可能だと思うなぁ。

同キャストでこれができたらすごいけど、
キャスト変えてでもいいし…

(『ガラスの仮面』でこういう回があるのですよ。
同じ作品なのに演出でまるで違う舞台にしてしまうという…)

 

ああ、でもあまりそのスタイルを前に出しちゃうと
尚巴志自体がまた喰われちゃうからやっぱりダメかな?

 

そんな北山組も去年よりもちょっとシンプルになってました。

本部VS攀安知で交戦の後、
攀安知が自ら刀を捨て、本部の刃に倒れる
ショックを受けた本部は攀安知に駆け寄り、共に戦場を逃れようとするが
攀安知はそれを許さず本部を突き放し、本部だけを逃がす…

…という壮大な二人のドラマは抑え、

本部は攀安知の刃を受け、瀕死のまま退場、
攀安知はそのまま自害する、というものに。

うん、これくらいにしといたほうがいいよ…

本部・攀安知が直接やり合うのではなく
それぞれがソロで殺陣を披露するという演出も面白かったな。

(でもこの時舞台下階段にいた本部は
果たして後方のお客さんに見えていたのだろうか)

 

攀安知の死後の、乙樽の舞と
昇天する攀安知のシーンはありました。
肝高の阿麻和利オマージュな前回とは違い、
乙樽は攀安知の霊には気づかず
攀安知(の霊)は手を伸ばすもすれ違うという演出になっていました。

 

確かにきれいなシーンです。

 

ただ、個人的な意見を書くと、

北山戦の後は、
一刻も早く尚巴志に戻したほうがいい

と思っています。

攀安知の死の余韻をあれだけしっかり入れてしまうと
ただでさえ強い攀安知の印象が更に刷り込まれて
(むしろ尚巴志に討たれた攀安知に同情する)
なかなか尚巴志に戻れない気がします。

 

だから何度か書いてるけど、
祈り(供養)の舞も、
乙樽というよりはきよらに、
尚巴志にも痛みや葛藤を(以前はあった弟の戦死とか)、
そして誓いを。

そしてそのまま首里城建設につなげたい。

アカインコからの代弁ではなく
尚巴志そのものに語らせたい。

 

以前の公演は割とこんな感じだったんだけどなぁ…。

この時の公演とかは
その点すごく考えられてて良かったと思う。

 

 

そしてやっぱり、

うう~ん………

って思ったのは、

最後はアカインコと尚真が尚巴志そっちのけで
全部持っていくところだよね…。

 

(これも前回のレビューでも触れてますが
今回はこのもやもやを徹底分析してみました)

 

この演出、
最初(西原→宜野湾公演)は新鮮さもあって
「へー面白い!」って思ってたけど
3回(年)目にあたる前回からは
尚巴志の影がどんどん薄くなっていくようで、
なんだか…心がもやっと。

 

今回同じ演出を見て、改めて、
うん、やっぱり、と確信しました。

 

尚真自体は尚巴志と同じ国を治めるものの立場として
登場しても面白いと思うのですが、

(武力を使わず)国をまとめるには…
と悩む尚真が、

 

尚巴志の生きざまから
答え(ヒント)を得なければ
意味がない

 

と私は思うのですが、
いかがでしょうか。

 

アカインコの提案(武器を取り上げる、中央集権、芸術の推奨)は
全てこれまで演じられてきた尚巴志は全く関係なく(ないように思える)、
むしろ尚巴志の武力による統一の過程を
そっちのけにした提案のように思えてなりません。

だからこそ、

北山戦の後の尚巴志をどう見せるか、何を語らせるかは
とってもとっても重要になってくると思うのです。

 

むしろ、舞台後半の鍵はここだと思うのです。
 

 

クライマックスも,


テーマソングでしっとりと終わり、
舞台が暗転した時に語られる
宮沢さんの後日談ナレーション。

 

 

全部、尚真の話。

 

 

いや、これら設定や展開自体は好きですよ。

武器を楽器に、

いいじゃないですか。

おもろ主取や尚真が行った政策など、
史実とフィクションのリンク具合もすごい好みです。

 

でも、

それは、

尚巴志の話では、

ない。

 

尚巴志の生きざまが生(活)かされた
尚真代の未来(まとめ)、
でもない、のです…。

 

 

作品タイトルが尚巴志(鬼鷲)である限り、
これはちょっと、そのままでいいのか?
と思ってしまいますよね。
やっぱり。

 

舞台の流れはとてもきれいなのよ。

ナレーションで繋げて
ダイナミック琉球に行くという流れは
実に鮮やかだと思います。

 

なのに、なのに、
尚巴志がそこにいない。

 

ああもう、どうせなら作品タイトルを変えてしまえば
こんなにもやもやしないのに!

と思ったよ…。

でもそれでいいのか?という話ですよね。

 

まさか……
(ネームバリューのある)宮沢さんのナレーションありき……で
展開を固めてしまってるわけではないよね…?

と、ちょっと穿った見方をしちゃったりして……
(もちろん、それはないと信じたい)

 

 

「鬼鷲(翔べ!尚巴志)」の作品はずっと見続けてきて
思い入れも強いし、贔屓にしている作品ので、
(東京公演も飛行機乗って見に行ったくらいです)
尚巴志という人を、もっと徹底的に立ててほしいな、
もっと徹底的に大事にしてほしいな、と
その想い一つなんです…。


尚巴志の生きざまのキーワード、
やはり必要じゃないかな?

前はもっと尚巴志が立っていたんじゃないかな?

 

子供たちのがんばり、演技演舞は素晴らしいからこそ、
そう思ってしまうのです。

 

 

これが今回の私の正直な感想です。

 

 

アカインコ、イラスト描いてたのに君は全然見えなかったよ…

 

 

+ + +

 

 

そして、今回1番ダメージを受けたこと。

 

舞台、十分に見えませんでした。

 

会場が公民館だということで
懸念していたことが的中しました…

 

公民館はホールと違って段差のないフラットに床に
パイプ椅子を並べた座席+地べたにゴザ敷席構成は
席によって当たり外れが大きいのです。

そして、言っちゃなんですが、
特にメインの椅子席の方はハズレの方が圧倒的に多いのです。

(前方のいい席は招待客用に全部おさえられていたので
一般人が座れる「ちゃんと見える席」は更に限られる。)

 

客席から舞台がどう見えるのかは
椅子を並べただけではわかりません。

全ての椅子にお客さんが座った時、
舞台がどう見えるのか、
が大事なのです。

床に段差がないので、椅子に人が座ると
よほど背の高い人でない限り
視界がかなり遮られます。

どうしてもお客さんとお客さんの隙間からどうにか覗き見る
という感じになります。

それでも、舞台の上で全て演技・演舞をしてくれるなら
視点が上がる分、なんとか見えるのですが、

舞台自体が狭いこともあって
今回は舞台下での演技も結構あったし、
鬼鷲メンバーの人数的に
演舞も大半は舞台下へ。

 

嗚呼、子供たちの頑張りが
どれだけお客さんに見えたことでしょう…。 

 

段差のないフラット席の会場では
舞台下では演技しない(話を進めない)、
これはお客さんの事を思えば、
多少舞台上の立ち位置が単調になろうとも、
避けてほしかったです…。 

 

 

私は、この時期に冷える地べたのゴザ敷席はキツイので
余ってる椅子席の中で、
少しでもベターな場所を探したのですが、
それでも舞台3分の1と端っこ(ストーリーテーラーアカインコたちの立ち位置)
が全滅でした…。

尚、来るのが遅かったわけではなく、開場時間には到着していました。
それでも椅子席はもうアウトでしたよね。
だから本当は開場の後ろで立って観たかった。そのほうがよく見えるから。


見えないからとしょっちゅう体を動かしてもぞもぞするのも
後ろの人の迷惑になるだろうと思って
もう、覗き見ることも諦めて声だけ聞いてましたよ…。

でも3分の2は見えてたからまだいい方だだはず。
場所によっては半分くらい見えてなかったはずなので…。
(過去に経験あり)

そんな環境で、チケット代はホール公演とほぼ一緒、
というのは、いかがなものでしょう…?

昔、浪漫シアターで那覇中央公民館でよくやってた時は
同じ座席スタイルでしたがチケット1000円でしたらからね…。

 

パイプ椅子も2時間ノンストップだとお尻も痛くなるし
(一応座布団も配ってたけど、充分な数はなさそうだったので遠慮しました)
舞台中も後半は特にずっと椅子がギシギシなる音が響いていて…。
(前が見えないことに加えて、腰やお尻への負担で
お客さんがどこかで常に動いてるんですよね)

 

鬼鷲のメンバー数やキャリアや知名度から言えば
やっぱりホール公演のほうがふさわしかったのではないでしょうか。

 

どのような環境で人に見せるのか
っていうのは、
作品の評価を大きく左右すると言っても過言ではないと思います。

環境も、作品の1つなのです。

 


公演が小規模だったり 伊平屋島とか
公民館でも座席に高低差があったり(作れたり)本部の公民館での北山の風とか
メンバー数が少なかったり 久米島・具志川改善センターでのワカチャラとか
キャリアがまだ浅かったり 
手作り公演やチャリティー公演だったり 大里農村環境改善センターでの尚巴志とか
短縮版などの特別公演だったり 久米島での肝高の阿麻和利とか
その土地でやることに大きな意味があったり 楚辺公民館での花織の宴とか
はたまたチケットが格安だったら 那覇市民会館中ホールでの琉球浪漫シアターとか

公民館でやるのも分かります。

 

でも、今回の鬼鷲は、そうじゃない。

 

立派な、年に一度の、本公演です。

 


北中城村だからこその何かが
特別演出としてあるわけでもなかったし。

地元の伝統芸能などが見られることを期待していたのですが。
(これまでなら何かしら絡めて来てたはず…)

 

 

…と、色々疑問が残りました。

 

 

生意気にも色々と書きましたが
どれも子供たち云々ではなく
大人(制作・運営)側に少し考えてほしいことかな、と。

 

そんなこんなで
今回の鬼鷲はせっかくの子供たちの活躍が十分に見れなかった、
満喫できなかった、です。

 

これは、とてもとても残念でした。

 


子供たちの頑張りを、
もっとしっかり見たかった、です。